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永遠の0(ゼロ) (2017-2-6 13:23:49)
百田 尚樹 著、講談社 刊。
(版元の紹介文より:)「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくる――。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。(ここまで)
「探偵!ナイトスクープ」の放送作家としても有名な百田氏は、小説作家としてもヒット作を連発しているが、そのデビュー作がこれ。今更、遅ればせながらで読了。
「必ず生きて帰る」「命を失いたくない」。当時の帝国海軍パイロットとしては異例の意思を持つ、主人公の実の祖父・宮部。主人公は、祖父のかつての戦友達に次々とインタビューしていくが、片やいつも臆病で周りを気にしてばかりいた、まともに戦おうとしていなかったという証言があるかと思えば、一方で操縦技術はずば抜けていた、ひとたびドッグファイトとなれば無敵だった、僚機を一度も失うことなく、何度も命を助けられた、理不尽な上官には昂然と異論を唱えた、など、矛盾する人物像が錯綜する。複数の伏線が最後には主人公のルーツにも関わって一つとなり、真相が明らかに。
家族への愛を貫いたある一人の戦闘機パイロットのドラマ。一見するとそうにも見えるが、私の思いはもう一つ別のところにある。筆者は、劇中で主人公やその姉に語らせているとおり、当時の軍部首脳の作戦立案の無能さ、人命軽視の風潮、官僚主義的な発想による組織の機能不全、これらを痛烈に批判しているのである。更に言えば、現代社会でも、この時と同じことが平然と繰り返されているだろう、という強いメッセージだと受け止めた。
振り返っても見るがいい。業績をよく見せんがために、会計書類の改竄を平然と行う企業、商品のカタログ数値の偽装を行う企業、社員を残業漬けの勤務に就かせ、自殺者が出ても迷惑なことが起きたぐらいにしか考えていない企業。戦時中の話ではなく、どれもつい最近の話である。民間でも役所でも、トップ・幹部のええカッコしいやメンツのために立案された無駄な作戦・目標によって、振り回されるのはいつも末端の兵隊である。
かつて不景気によるリストラの嵐が吹き荒れた。それによってV字回復を遂げたともてはやされた企業や、コストカッターと崇められる経営者もいたが、会計の基本を知っていれば、リストラして一時的に会計状況がよく見えるのは当たり前のことである。しかし、クビを切られた従業員の持つ技術が海外に流出して、我が国の技術的優位性を揺らがせ、また、賃金カットや非正規雇用で低収入にあえぐ労働者は、当然余計なモノを買わないので国内消費は冷え込んだまま、いつまでたっても景気が回復しない。一企業の業績を糊塗するがために国全体は傾く。業績悪化は、兵隊の働きが悪いからではなく、経営者たる将校が無能だからだ。斬るべきは兵隊のクビでなく、将校のハラであるのだ。
一方で、兵隊たる労働者に対しても痛烈なメッセージが投げかけられていると思う。祖父・宮部の言動は、人間としてごくまっとうな感情だった。しかし、当時の社会ではそれが異端の扱いを受ける。今の社会でも、理不尽なまでに要求される仕事量の多さ、サービスを含む残業時間の多さ、家庭にも影響するような無体な異動命令などにあふれているのではないか。にもかかわらず、それはおかしい、と昂然と反発する機運はほぼ皆無である。端的に言うならば、昔特攻、今社畜である。おいお前ら、本当にそれでいいのか、との声が、この小説から発せられているのだと感じた。
なお、劇中に出てくるエリート新聞記者については、筆者の最近のSNS等での過激な発言等を見ていると、ああなるほどねと合点のいく役回りであった。その思想、是非についてはいろいろ厄介な問題をはらんでいるので、今回の記事ではあえて触れないでおくことにする。
それにしても、主人公の年代はだいぶ自分に近いところだと思われる。私の祖父は父方・母方ともに出征したそうだが、父方の祖父は自分が小学生低学年ころに、母方の祖父は高校生ぐらいのころに亡くなっており、大人となった状態で戦争の実体験を聞くことはないままに終わってしまった。実は、父方の大おじが100歳ぐらいまでの長命で、十分話を聞ける可能性はあったのだが、シベリア抑留を経験しており、周囲にも経験談を話したくない様子だったそうなので、これも聞けないままだった。小説内では終戦後60年だったが、今や70年を超えてしまった。そのとき大人だった人の話を実際に聞ける機会は、ほとんど失われようとしている。