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死都日本 (2017-1-8 14:00:24)
石黒 耀 著、講談社 刊。
(版元の紹介文より:)西暦20XX年、有史以来初めての、しかし地球誕生以降、幾たびも繰り返されてきた“破局噴火”が日本に襲いかかる。噴火は霧島火山帯で始まり、南九州は壊滅、さらに噴煙は国境を越え北半球を覆う。日本は死の都となってしまうのか?
火山学者をも震撼、熱狂させたメフィスト賞、宮沢賢治賞奨励賞受賞作。(ここまで)
だいぶ以前から読もう読もうと思いながらその機会がなく、ようやく先日読了できた。SF小説では小松左京氏の「日本沈没」があまりにも有名だが、それよりも破局的噴火へと至る科学的メカニズムや火砕流、火砕サージの動き、ラハール(火山噴出物による土石流)などの説明が実際にありそうな精緻な描写なので、どんなホラーよりも戦慄を覚える内容だった。主人公らの逃避行がダイ・ハード過ぎるとか首相のK作戦とかがスマートすぎるというツッコミを補って余りあるSFパニック小説の傑作である。著者の本業は医師だそうだが、あまりにも衝撃的な内容が、実際の火山学者にも影響を与えたというのもうなずける。
小説内の個々にコメントしても切りがないので、個人的に感じたことをつらつらと。霧島連山や阿蘇山は実際に訪れたこともあり、その雄大な景色や豊かな温泉など数々の恵みを満喫したのだが、いざ噴火となると、かくも豹変するものなのだと恐れ慄いた。まさに神の意思を感じる世界だ。小説内でも、度々に古事記と火山の関連性について言及されているが、実はかなり当たっているのかもしれない。個人的には、旧約聖書の最初のくだりだって、まさに宇宙誕生・ビックバン以降の流れを示唆しているものと考えている。後の人々には理解しようがないので、神話にして語り継ぐしかなかったのだろう。
そうした先人たちの思いも虚しく、今に至っても噴火や地震で命を落とすことはなくならない。58人が亡くなった2014年の御嶽山噴火ですら、既に記憶が風化しかけてはいないだろうか。このことでもう一つ思ったのが、誰かは忘れたがプロ野球選手で名バッターだった人の話していた内容である。曰く、ヒットを打つために、どのようなコースで投球が来るかなどをいつも考える一方で、頭の片隅には、もしデットボールが飛んできたらどう避けるかも残しておかなければならない、ということだ。
噴火や地震はいつ起きるか分からない。また、その規模が大きい程、そのための備えは特に費用面において現実的ではなくなる。でも、普段の生活もあるので、デッドボールが怖いからといってバッターボックスに入らない訳にはいかない。しかし、だからと言って常にヒットを打つことだけを考えていると、まさかのデットボールが飛んできても、避けられずに当たって死ぬ。災害への備えとは、そういうことではないのかなと思った。
最後に、これを読んでいると(日本列島の)土地にこだわることの虚しさを感じざるを得ない。地球にとっては鼻息程度の噴火でも、日本ぐらいの土地ならば軽く一瞬で無価値になってしまう。もちろん、そのような噴火は我々の一生程度では起きないかもしれないし、明日起きてもおかしくはない。土地を買う時点で、生きている間にはそのような噴火はない、という方に賭けているギャンブルなんだなと思った。出来ることなら、一生遊んで暮らせるだけの資金を得たうえで、超安定陸塊のオーストラリアあたりに移住したいものだ。バッターボックスに立たなくて済むのが一番だ。
(くりりんの問わず語り「『地震と噴火は必ず起こる』」にトラックバック)