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【伝統の高島平ロードレースに幕】 (2016-10-17 21:44:41)
高島平ロードレース。瀬古俊彦、増田明美を始め、日本の名選手が快走したきた伝統大会。
街中の交通の規制等を始め、様々な理由でついに板橋区体育協会が終了決断。今回の第41回大会で幕のようだ。
この大会は楽しい市民マラソン大会とは全く異なる。大会会場に焼き鳥やビール等の屋台ブース等は一切無し。
会場に笑顔無し!談笑不可!基本正装!という殺気だった雰囲気。私はFRUN正装で挑んだ。
20km大会は私が出た時は、制限時間は90分。8時30分スタートで9:50頃から撤収開始、10時にはほぼ完全撤収!という競技会だった。
私は「仙台国際ハーフ」の資格を取りたくてこの大会に挑んだ。当時、「仙台」の参加資格は20km:90分もしくはハーフ:95分だった。
1km:4'30ペースで20kmは今の私には到底無理だが、10年程前はギリギリの走力を持っていた。
整列すると、駒沢、東海、城西、拓殖等、箱根駅伝でお馴染みの大学選手が多数いて、それだけで緊張感が増した。
当時のコースは約7km弱のコースを3周。高島平の商店街やマンション前を走る。
私が2周目に入って、いきなり上記大学メンバーに次々と抜かされた。彼らは3周目に入っていたのだ。
また、この時に驚いたのは、背後から迫る時に聞こえてくる「タッタッタッ!」という足音が全くといっていいほど、聞こえなかったのだ。
速いランナーは着地しないで走るのか!
いきなり抜かされて、その時の風が頬に刺さった。その位のスピードだった。
彼らは60分台でゴールしたに違いない。私は3周目に入って、時計を見ると、ゴール予想は90分ギリギリだ。更にはなぜか脇腹痛が出た。
これは、かなりきつい。直前に食べてはいなく、高速走時に起きる痛みの一つだ。
しかし、なんとしても90分は切りたい!悲痛な顔をしながら、ペースを維持し、ゴールへ向かった。
前方のゴール地点にあるタイムカウンターが89分を表示していた。既に係員が三角コーン等を片付け始めていた。
「まだ走っている人がいる!」という、そんな感じ(^^;)。
殆ど、最終ランナーに近かったと思うが、なんとか89分台でゴール!!ゴール後、路上に転がった。
脈拍が落ち着いて、タイムが記された完走賞をもらい、「仙台」を走れる!と小躍りしたのを覚えている。
しかし、私が舞い上がっている近くで、うなだれている大学生の集団がいた。いや、正確には頭を下げて監督の厳しい話を聞いていた。
今の走りはなんだ!!」とずっと怒られていた。彼らは60分台でゴールしたはず。30分近く怒られている?誰が怒っているのか?と
声の主に目をやると..監督だった(当時はコーチ?)。
高島平は箱根路等を走る現役の駅伝部の大学生と一緒に市民ランナーが走れる貴重な大会だった。
市民大会でもゲストで現役の駅伝大学チームが出る時があるが、やはり「高島平」は違う。雰囲気が違うのだ。
私は1回しか出場したことはなかったが、今でもこの大会のことは鮮明に覚えている。
競技が終わって、ストレッチして着替えてもまだ10時半!(小学校の校庭が開放されていたが、
私が着替えている時に、早く校庭から出てください!というアナウンスもあった)。
「仙台」の切符が獲れて嬉しくて1人祝勝会をやりたくても昼前だから近くの居酒屋はやっていない。
私は高島平から御徒町に移動して、アメ横で昼前からやっている居酒屋(椅子はビールケース!)で酒を飲んだ。ビールの1杯目が本当に美味しかった。
大会がなくなるのは本当に寂しいが、41年間続けた主催者には本当に感謝したい。
この大会があったから、全くの素人の私が、箱根駅伝現役選手達と一緒に走れたのだから!本当にいい経験が出来た大会だった。
「高島平」での私の写真(約10年前)。今やこの時の面影無し!!FRUN正装!当時は調子こいてグラサンして走っていた。しかも茶髪!!
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