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【FRUN 20周年】 (2016-10-13 21:30:06)
私がインターネットを始めたのは1987年頃。今から29年前、22歳頃。音響カプラとか持っていた。300bbsだったか..。
niftyのFCLA(クラシック音楽フォーラム)に入ったのが、1989年頃だったか..。その時はモデム1300。
FRUN(ランニングフォーラム)は1996年の10/10に出来たとのことで、昨日は北海道、東京、関西等でお祝い会が行われた。私は昨日の午後はいろいろあって参加出来ず残念至極。
今はniftyのそれ自体は消えてしまったが、会員有志が別サイトで構築継承し、今も会議室等があって交流が行われている。
私のFRUNへの最初の書き込みは2000年の3月末だったと思う。スポーツクラブで見かけた4月の幸手さくらマラソン(5km)に応募。
これが私のマラソンデビュー戦。主催者からナンバー等が送られてきて、それを胸に安全ピンで留める旨の説明文があって、「これ、チクチク痛くないのでしょうか?」と質問したのが
最初の書き込みだった(^^;)。
すぐ先輩ランナー達が返答してくれて、安全ピンによる痛みはないということ。
また「5kmなら大丈夫かもしれないが、安全ピンとは別の話だけど、いつかハーフ等を走る時は乳首に絆創膏を貼らないと大変なことになる!」というご助言ももらった。
更には大会時の荷物置き場についても助言をもらった。
当時は1人で参加。貴重品は預かってくれるも、一般荷物は放置だ。先輩ランナーが事前に「大きな走友会の隣に置いたり、係員待機所の近くに置くべし」と書き込んでくれた。
会場に赴くと、「埼玉県警走友会」というまさに完璧なクラブの陣地があって、隣に置かせてもらった。
本当に当初は何もわからない、誰に尋ねて良いのかわからない..、そんな感じでマラソンを始めたわけで、niftyにFRUNがあることを知った時は本当に助かった。
また「パソコン通信」ということなので、各地の大会に参加すると、必ずFRUNメンバーも参加していた。真っ赤なランシャツ・ランパンなので目立つ。心強かったものだ。
皇居走もFRUNが縁だ。初めて青葉台タカさんの誘導で走った時のことを今でもよく覚えている。
半蔵門からの下り坂の夜景を初めて見た時の感動!稲荷湯→ハナマサor升亀という毎月の皇居練習会も楽しかった。
高尾山往復練習走でもお世話になった(今はとても往復走は無理!!)
大阪出張時は関西のFRUNメンバーが歓待してくれた。淀川沿いも走ったし、長居公園も走った。
出張の朝、新今宮付近を1人で走ったと話すと、「あそこは素人が走るところじゃない!」って言われた。
初めてサブ4、サブ3.5をした時もfrun正装だった。
私は今、ニッポンランナーズの末端会員だが、FRUNも大切な存在。今後もメンバーと楽しく走っていきたい。
FRUN関東が、忘年会として升亀を貸し切ったこともあった。吉田類もびっくりだろう。
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