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京都観光マラニック? (2016-10-11 23:39:54)
昨日、所属しているfrun20周年イベントとして「京都観光マラニック」に参加しました。
主催者はまりもさんです。 まりもさんは「京都を走る まちなか編」の著者で京都についてお詳しい方です。 今回は有名な所を回るのではなく、あまり知られていない所を回りました。 私も初めて訪れる場所ばかりでした。 まりもさんのご説明を聞いて大変勉強になりました。 感謝です。 このことを忘れない様に備忘録としてブログに残します。
コースは以下の通りです。 距離は約8.8kmでした。
京都タワー→梅小路公園→島原→龍谷大学文学部→西本願寺→天使突抜通り(五条天神様)→平等寺(因幡薬師)→耳塚→豊国神社→方広寺→山内任天堂→京都タワー
メンバーは11人で京都タワーを13:20に出発しました。
まずは梅小路公園ですが、ここは残念ながら人が多くパスしました。 鉄道博物館、水族館がありました。
<水族館横を走ります>
京都市電も展示されていました。 京都市電は日本最初の一般営業用の電車です。 確か明治村にも同じ電車が走っていました。
<古い電車>
<比較的新しい電車>
続いて島原に入ります。 ここは幕府公認の遊郭(花街)の町です。
まずは角屋(すみや) 今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店です。 新選組の刀傷の跡や幕末の志士である久坂玄瑞の密議の場所という石碑がありました。 彼らはこの場所に出入りしたと思うと少しわくわくしました。
そして輪違屋(わちがいや)。 今も営業している置屋(おきや)兼お茶屋です。芸姑さんを派遣する所です。
表を見ると「観覧謝絶」の小さい札があります。これは「一見さんおことわり」の意味です。 京都では良く聞く言葉ですが、お客さんのことを良く知ることにより最高のおもてなしができるということです。 決して意地悪な意味ではないことを知りました。
そして島原の大門を抜けます。(続く)
<追記>
何故「島原」と呼ぶかと少し気になっていたのですが、調べてみると東本願寺の北側から京の町の発展と共に当地に急に移転し騒動になったことがあたかも「九州の島原の乱」の直後であった為、「島原」と称されるようになったということです。
主催者はまりもさんです。 まりもさんは「京都を走る まちなか編」の著者で京都についてお詳しい方です。 今回は有名な所を回るのではなく、あまり知られていない所を回りました。 私も初めて訪れる場所ばかりでした。 まりもさんのご説明を聞いて大変勉強になりました。 感謝です。 このことを忘れない様に備忘録としてブログに残します。
コースは以下の通りです。 距離は約8.8kmでした。
京都タワー→梅小路公園→島原→龍谷大学文学部→西本願寺→天使突抜通り(五条天神様)→平等寺(因幡薬師)→耳塚→豊国神社→方広寺→山内任天堂→京都タワー
メンバーは11人で京都タワーを13:20に出発しました。
まずは梅小路公園ですが、ここは残念ながら人が多くパスしました。 鉄道博物館、水族館がありました。
<水族館横を走ります>
京都市電も展示されていました。 京都市電は日本最初の一般営業用の電車です。 確か明治村にも同じ電車が走っていました。
<古い電車>
<比較的新しい電車>
続いて島原に入ります。 ここは幕府公認の遊郭(花街)の町です。
まずは角屋(すみや) 今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店です。 新選組の刀傷の跡や幕末の志士である久坂玄瑞の密議の場所という石碑がありました。 彼らはこの場所に出入りしたと思うと少しわくわくしました。
そして輪違屋(わちがいや)。 今も営業している置屋(おきや)兼お茶屋です。芸姑さんを派遣する所です。
表を見ると「観覧謝絶」の小さい札があります。これは「一見さんおことわり」の意味です。 京都では良く聞く言葉ですが、お客さんのことを良く知ることにより最高のおもてなしができるということです。 決して意地悪な意味ではないことを知りました。
そして島原の大門を抜けます。(続く)
<追記>
何故「島原」と呼ぶかと少し気になっていたのですが、調べてみると東本願寺の北側から京の町の発展と共に当地に急に移転し騒動になったことがあたかも「九州の島原の乱」の直後であった為、「島原」と称されるようになったということです。
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