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リオ五輪雑感 (2016-8-28 17:55:43)
リオデジャネイロオリンピックが終了して、早くも1週間が過ぎた。今回もまた雑感を述べたいと思う。
まず、我らが日本選手団の活躍である。金メダルは12個と、アテネには及ばないものの前回ロンドン五輪の7個から大きく回復した。さらに特筆すべきは、銀・銅合わせた数では41個と過去最多を記録したことだ。以前から強かった競技以外にも、何十年ぶりとか、五輪史上初のメダル獲得となった競技が複数あり、このような成果につながっている。
もちろんメダルが取れるかどうか、その色が何かは単なる結果であり、結果だけを求めることには意味がないのだが、一つ思うには、全体的に日本がより多くの競技でメダル争いに絡めるだけの底上げがなされてきたことの表れなのかなと感じることができた。勝負事の世界だから、個々の競技で「絶対に勝つ」ということは不可能だ。ただ、勝てる可能性を3割から5割、5割から7割と高めていくことと、その可能性のある競技数を増やせば、多少の取りこぼしがあっても、全体での成果は当然に向上するという、数学で説明ができる話である。ナショナル・トレーニングセンターも一定の成果はあったと言えるだろう。
現に、金メダルが取れた種目も、余裕で圧勝というのは皆無で、ほんのわずかの差で勝てただけのことであり、例えばもし体操男子で内村選手が着地で一歩よろめき、ウクライナの選手がよろめかなかったら、結果は逆であった。女子レスリングで終盤残り何秒での逆転ポイントも、ほんの一瞬の出来事で決まった。お互い全力を出し切ってでの結果であれば、勝った方も決して奢らず、負けた方も、悔いはあっても納得はできるはずだ。
もう一つ考えられるのは、これは残念な話なのだが、ドーピング疑惑のロシア選手が多数不出場となったためライバルが減ったこと、ドーピング規制が厳しくなったために、ロシア以外でも今まで(バレないまでも)ドーピングで上乗せしてきたような国々は相対的に不利になってきたことが挙げられる。さらには、微妙なシーンではビデオ判定など客観的な証拠を採用するようになったので、審判による恣意的な操作がしにくくなってきたことがある。名指しこそ避けるが、審判を買収しているという疑惑のある国がメダルを減らした分が、日本をはじめ不正を行わず正々堂々と戦ってきた国々に回っているということも考えられる。時間はかかったが、ようやく正義は勝つという土壌に向かいつつあるようだ。
さて、オリンピックは終わったものの、リオデジャネイロパラリンピックはこれからである。相変わらずマスコミの取り上げ方には大きく差があるが、もはやマスコミには頼らず、ネットで情報入手というのも最近の大きな流れだろう。パラ出場の友人らの活躍を期待したい。
〔関連記事:「倫敦五輪雑感」(2012/8/12)、「銀・銅凱旋」(2010/3/3)、「北京オリンピック雑感」(2008/8/25)、「五輪で勝たねばならないか」(2006/02/24)、「ゴールド・ラッシュ2」(2004/8/23)〕