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13年 時を隔てて また号泣〜第30回記念北海道マラソン完走記1 (2016-8-31 22:08:07)
(1)最大のピンチ
2003年8月最後の日曜日の11時頃。真駒内屋外競技場にいた私は、自分がそこにいることが場違いに思えて、泣き出しそうな顔をしていました。
ところが16時少し前。中島公園に到着した私は、自分の持っている力を出し切ったという達成感も手伝って、歓喜の涙でぐちゃぐちゃになり、それから晴れやかな笑顔になりました。このときの3時間50分18秒というタイムは、いまだに私の北海道マラソンベストタイムとなっております。
あれから13年。ランナーの真夏の祭典に、私は挑み続けてきました。2005年、2006年と、跳ね返されてしまいましたが、背水の陣で臨んだ2007年は北海道マラソンのセカンドベストとなるタイムでゴールしました。
2009年には北海道マラソンが大きく変わりました。制限時間も約1時間緩くなり、参加定員も増え続けています。制限時間の緩和にも救われて、それ以来昨年までは9年続けて完走を果たしました。
しかし昨年は苦しい走りとなりました。スタート直後から走るリズムもバランスもおかしく、明らかに上向きに飛び跳ねるような走りとなっているのに修正もできず、序盤の1、2キロでリタイアを考えるほどつまらないレースでした。ペースはキロ6分を超えるゆっくりペースなのに後半は大失速してしまい、4時間43分19秒という北海道マラソンワーストタイムを記録してしまいました。
そして迎えた今年。大会は30回記念大会を迎え、私も10年連続完走を目指す舞台となりました。
だけど……。
今年はいまだかつてない最大のピンチでした。
昨年の大失速の原因は明らかです。それは練習不足です。ただでさえ年々肉体的能力が衰えているというのに、練習の質も量もどんどん低下しています。年間走行距離を見ても、これまでのワーストだった1,098キロ(2014年)を大きく下回る849キロでしたから。
練習不足の影響は如実に表れ、昨年走った3回のマラソンはいずれも30キロ前後から歩きを交えるようになってしまいました。記録も4時間43分19秒、4時間39分24秒、4時間57分07秒と低迷を抜け出せませんでした。
ところが今年はそんな昨年よりもさらに練習不足です。昨年10月のナゴヤアドベンチャーマラソンで膝を痛めた影響から11月以降はほとんど走れなくなりました。それに加えて奥さんが体調を崩して私は兼業主夫状態になったり、祖母の死や父の手術などもあり、なかなか思うように練習を詰めませんでした。
結局今年の走行距離は北海道マラソン前まで390キロ。史上最低だった昨年の練習量をも大きく下回る状態です。しかも6月まではほとんど走っていなかったため、実質7月からの2ヶ月間だけの練習で北海道マラソンに挑むという、無謀な挑戦となってしまいました。
そのため今年は北海道マラソンに向けた気持ちがなかなか高まってきませんでした。完全に鈍ってしまった体は5キロを走るだけでも苦しく、とても42.195キロを走るようなイメージが湧いてきませんでした。
それでも2ヶ月間でできることはすべてやろうと思いました。まず7月は鈍った体を少しでもランナーの体に近づけることです。そのため走行距離を稼ぐことより走行日数を増やすことを優先しました。無理をして故障することを回避するため1日に走る距離を短くして、その分走る日を増やす努力をしました。その結果、7月は走行距離は134キロにとどまりましたが、走行日数は17日になりました。
8月はマラソンを走るための長距離練習に取り組みました。ひとり試走会をやって18キロほど走り、20キロ走、30キロ走もやりました。特に30キロ走はここ数年やっていませんでしたから、これをできたということで北海道マラソンに出るための最低限のラインをクリアできたかな、という気持ちになれました。
でもクリアできたのは出るための最低限のラインです。北海道マラソンのゴールラインにたどり着くというイメージはなかなか浮かんできませんでした。(つづく)
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