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  ホーム >> frunブログ集 >> 【「タッポーチョの稜線に散る」を改めて読む(3)】

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link 高橋のブログ 高橋のブログ (2024-5-17 13:00:02)

feed 【「タッポーチョの稜線に散る」を改めて読む(3)】 (2016-6-24 6:33:46)
6月11日朝、米軍はいよいよサイパンへの攻撃を開始する。15日には上陸。
ここから約3週間の日米軍の戦闘について、著者は両国の多くの資料をもとに記載している。
この記載部分に著者の感情は見られない。ただ、淡々と事実を記していく。

興味深いのはティポペイルの激戦にも触れていることだ。ここでの戦闘は殆ど知られていなく、
当然私も知らなかった。この著によって知った次第。日本側資料には殆どないようだが、
米軍資料に奮戦状況が記されていたようだ。これは1つの例だが、著者が本当に細かく調査、分析していることがわかる。

そして著者の父、小野祐之中尉は30日に死の谷(地獄谷)にて重傷を負う場面になる。


「ここが最後の地か」と思いながら、故郷、そして自分の生涯を回想し始める。

これは勿論、著者の想像に過ぎない。著者が「人間は死に臨む時に、自分の生涯を回想する」ということを信じ、
ここから父の生涯を記し始める。

この前の章におけるサイパン島激戦や、マリアナ沖海戦等の記載と対照的で、ここは「静」の章だ。

父が通った小学校、そして松本中学校での思い出が次々と出てくる。著者あるいが親戚が生前、本人から聞いた話を
ここにまとめているのだろうと思われる。


父に連れられて仙台に一緒に行ったこと、東京にも行った話..、父が有楽町近辺のレストランでビールを飲んだ
ということも記されている。

父がレストランでビールを飲む...一般的にはあまりにも平凡な情景かと思うが、著者にとっては貴重な記憶の1つになったのだろう。

そして回想場面は終わり、中尉は遂に死の谷近辺にて戦死。50歳であった。正確な日付は不明だが、
6/30〜7/1頃ではないだろうか。

サイパンで激戦があったことは多くの方は知っていると思うが、約70年前の今の時期だということを知る
若い世代の方は少ないだろう。


続く


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