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【「タッポーチョの稜線に散る」を改めて読む(2)】 (2016-6-16 12:47:48)
航続距離が約6000km超のB29の登場にあたり、米軍がサイパン島を奪取すれば、東京までの爆撃、そしてサイパンへの帰還が
(サイパン−東京は約2800km)が可能になる。
米軍がサイパンに狙いをつけた理由の1つはこれだったと思う。しかし日本軍は「サイパンは難攻不落」ということで増援部隊も
派遣せずに、いつの間にか海、空も敵に墜ち、「放棄」に至った。
サイパン守備隊は、この放棄を知らず、近々連合艦隊が駆けつけてくれるものと思っていた。
サイパンにて生活し戦後帰国した方、あるいは無事に帰還した兵が、著者の父.小野中尉について語っている部分がある。
中尉は、気さくに市民に話しかけ缶詰をあげたり、故郷の話をした様子が記されている。
だが、これらは米軍との戦闘前の記憶だ。
戦闘が始まってからの中尉の話を記憶している方と著者は巡り会っていない。それだけ戦闘が激化した証しかと思う。
また著者は、日本軍の精神力を拠り所とする白兵突撃戦法を厳しく非難している。
この戦法については、多くの識者が同様な意見だ。
銃弾が降り注ぐ中で、刀を持って進んで行くとは、ありえない戦法であり、
米軍は「日本人には恐怖という心がないに違いない」とまで思わせた。
これが一気に多くの命を奪い、軍の消耗を早めたわけだ。
著者は、日本はこの精神戦法で源平戦以降やってきたということ、更には日露戦争においてこの奇襲が一部において
成功したことを要因にあてている。
歩兵銃すら日露戦から進歩無し。劣勢さは、精神力でカバーする。いや、カバー出来るとした根性論、
これは今も残念ながら多くの分野で残っている。
では、日本軍は精神力においては強かったのか?と思うと、それにも著者は否定的だ。
例外として著者は「硫黄島戦」を例に出している。猛襲に遭い、玉砕を望む部隊に対し、栗林中将は、持久戦を指示、
陣地の徹底確保を命ずる。サイパンを始め、玉砕(華々しく散るというイメージがある)に終わった戦いは多かったが、
硫黄島戦では、「死をこらえて」、持久し、それが日本が劣勢になってから、唯一、米軍の方が死傷者を上回らせた戦いとなった。
「死をこらえる方が精神的な強靱さを必要とするのだ」
と著者は記している。
続く
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