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feed ミュンヘンオリンピック男子バレーボール準決勝 (2016-6-7 23:55:06)
 先日まで行なわれたバレーボールのリオオリンピック予選。日本は女子が出場権を獲得し、男子は残念ながら獲得できませんでした。

 私たちの世代の者にとっては、バレーボールは日本のお家芸という感覚があります。私が覚えているオリンピックは1968年のメキシコからですが、そのときは男女ともに銀メダルであり、72年のミュンヘンでは男子が金メダルを獲得しました。

 その頃は日本のバレーはメダルを取って当たり前と思いながら私はテレビを見ていました。今のようにオリンピックに出ること自体が大変になるなど、想像もできませんでした。

 当時は男子バレーボールチームがミュンヘンオリンピックの金メダルを目指して奮闘する姿を描くテレビ番組もあったように記憶しています。松平監督の下、セッター猫田を中心に森田、横田、大古といった大砲が揃っていました。森田の一人時間差なんて、初めて見たときは何が起こったかと思うほどでした。

 当時12歳の私はミュンヘンオリンピックをテレビで見ながら応援をしていました。当時最強のソ連を破って金メダルを取る!そう信じて見ていたのですが、準決勝で思わぬ苦戦をします。

 1972年9月8日。準決勝の相手であるブルガリアには楽勝してくれると思っていたのに、試合は思わぬ展開となります。13対15、9対15と最初の2セットを取られ、第3セットもリードを奪われたまま進んでいったのです。

 ただ当時のバレーボールは、1セット15点の勝負でしたが、現在のラリーポイント制と違ってサーブ権がなければ得点が入りませんでした。ですからリードを奪われても、粘り強くサイドアウトを繰り返していれば逆転のチャンスはあったのです。

 粘り強く第3セットを15対9と逆転で取った日本は、第4セットも15対9で奪います。しかし最終セットも3対9とリードを奪われる苦しい展開でした。

 ところがそこから大逆転を果たし、15対12で最終セットも取りました。今でも忘れられない名勝負でした。

 決勝は準決勝でソ連を破った東ドイツとの戦いとなりましたが、3対1で勝って日本の男子バレーボール史上唯一となるオリンピック金メダルを獲得します。

 先日、知り合いとバレーボールについて話しているとき、このときのことを思い出しました。このブルガリア戦は、私がこれまで見てきたバレーボールの試合の中で最高の試合だったと思っています。




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