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【12/20 第2回はが路ふれあいマラソン完走記(1)】 (2015-12-21 21:20:36)
この大会は2年連続出走。昨年は4時間5分。今回は4時間13分と8分遅いタイムとなった。
もはや自己ベスト(2006年)から約50分も遅い時代になった(^^;)。
今年のフルマラソンは「東京」(4時間8分)と、この「はが路」の2回。先月の「さいたま国際」はやはり今の脚力では無謀だったようだ。
今度のフルは来年4月の「長野」、13回目の出走となるが、サブ4目指して頑張っていきたい。
さすがに近年、正装で4時間超えばかりでは、ニッポンランナーズ会員としては恥ずかしい。
さて今回の「はが路」、事前にはあわよくばサブ4!という気持ちが出た時もあったが、難コースだけに「まずは42kmをしっかり走る」と
いうことを目標にした。予想タイムは約6分ペースの4時間10分と設定。正確に1km:6分ペースだと4時間12分。
6月末に人生初の鵞足炎発症(加齢、長期間の筋肉疲労、ストレッチ不足が原因)。7月の30km大会は抑えて走るも、7月末に損傷部分悪化。
数10mも走るとズキン!と痛むようになり、ランは完全中断。車の運転にも支障が出た。8月は月間走行距離0kmという状況に陥った。
少し痛みが治まって10月に再度30km走をすると、翌朝、激しい痛みに襲われた。屈伸も出来ない強い痛み。この痛さは尋常ではない。
階段昇降では脂汗が出るほどで、ロキソニンを飲んで過ごす時期もあった。なぜ翌朝に痛みが出たのかは不明。今回はこのような症状は出なかった。
地元の整骨院での電気&マッサージも効果出ず。病院での治療(鎮痛剤が入った注射)もその場しのぎに過ぎず、悶々とした日々を過ごした。
もうフルマラソンは無理か..とシューズに話しかけた時もあった。
そんな中、自由が丘にある「ランナート」の代表.木村さん、そして治療院の田中先生が救いの手をさしのべてくれた。
私の左右の足の詳細測定、膝の動きのチェック、インソール、適したシューズの選択。そして整体、ストレッチの仕方等...。
数ヶ月、膝周辺が痛くて、正座が出来ない状態だったが、それが出来るようになった。その後、自宅でのストレッチも入念に行うようにした。
またニッポンランナーズの小西コーチ、東コーチからは故障時のランとの対峙方法を、そして実際に鵞足炎を患った経験のある会員さんから
のアドヴァイスも多数もらった。鵞足炎という名称は私は初耳だったのが、これを患ったランナーが少なくないことも知った。
スポーツクラブのコーチ陣からもアドヴァイスをもらった。
11月の「さいたま国際」はやはり事前の準備不足で途中の関門でアウト。しかし20数kmを走って膝に痛みは出なかった。
そして12月上旬の「チャレンジ2020」では、5分半ペースで30kmを走れた。この主催者の楠田さんからは、「故障時は決して焦らないこと」と
繰り返しアドヴァイスされた。「仮に痛みが消えてもしばらくは慎重に!」という話。
多くの助言をもらい、「はが路ふれあいマラソン」のスタート地点に立った。フルマラソンとなると数日前から今でも緊張し、
なかなか寝られないのだが、今回はいたってリラックスで臨めた(前夜も熟睡。)。「さいたま国際」で感じた緊張感はここにはない(^^;)。
楽しい大会だ。快晴・無風。しかし結構寒い。正装の上にレインコートを着て待機。
スタート直前に、馴染みの草加の走友会.「TEAM走り屋」のランシャツを着用した方を見かけて挨拶した。
ランパンは韓国国旗のデザイン。話しかけると、日本語が少したどたどしい。仕事で日本に来ている韓国の方なのだろう。
「サブ4したい。つくばでは4時間6分だった」とタイムへの想いを聞いた。
今日は草加で「走り屋」の忘年会なので、ゴールしたらすぐに向かう!と話してくれた。同じスタートブロックに立った。
号砲、花火が鳴ってスタートした。2500人なので1kmほどで混雑緩和。沿道には応援者多し!最初は少し下りなので、5分半ペースとなる。
早々にイチゴのエイドがあった。もっと加速したい気持ちにもなったが、とにかく我慢だ。
膝が痛み出したら完走困難。落ち着いて落ち着いて、と何度も自分に言い聞かせた。 ビニールハウス前のイチゴ農家の方々、
そして、多くのおばあちゃん達は家の前に出ての大応援!
そして真岡鐵道の踏切が迫ってきた。列車が踏切に来たら、踏切の遮断機が下りてランナーはストップだ。
その踏切を無事に通過し、10km過ぎの七井中央交差点に向かった。
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ゴール後に知ったのだが、真岡鐵道は極力、ランナーをストップをさせないようにと、なんとこの大会当日の午前10時過ぎの運行を
停止してくれたそうだ。ちょうど、その頃にランナーが通過していく。
踏切には1時間に数本の上り下りの列車が通り過ぎるのだが、大半のランナーが踏切を通過する時間帯、
列車はその踏切の前の駅で長時間停車してくれたのである。ランナーストップではなく、鉄道がストップしてくれた。ローカル鉄道ならではだ。
恐らく1時間弱、駅に停車していたのではなかろうか?地元の方々にご不便をかけたと思う。
25kmあたりではコースに並行して数100m横に真岡鐵道の線路がある。そこに前方の森林から蒸気機関車が姿を現した。
この森林から突如、現れるその瞬間を目撃した。一瞬、無音の世界というか周辺の音が聞こえなくなった。特別な世界に迷い込んだ。
あっと息を呑んだ。そして蒸気機関車の汽笛連発で、我に返った。
私との絶妙のタイミングだった!白煙は後方にたなびき、見事な雄姿であり、また美しかった。
汽笛は恐らくいつもより多めだったと思う。連続技だ。「行け〜!!」と叫んでいるようだった。
この汽笛がフォルテッシモで迫力満点。ちょっとうるさすぎとも感じた大サービス。間近で聴いた乗客は大丈夫だったろうか?(^^;)。
その懸命に線路を走る姿が自分に見えた。
(続く)
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