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網走の 魅力満載 新大会〜第1回オホーツク網走マラソン完走記7 (2015-10-7 23:21:13)
(7)ひまわり畑へゴール
苦しみながらも35キロを過ぎました。残りは7キロあまりです。今のペースで行けばあと1時間くらいでゴールできるでしょうか。元気なときなら7キロくらいは「あとわずか」と思えるのですが、「この苦しみがさらに1時間も続く」と思うとげんなりしてしまいます。苦しみながらとにかく足を前に出していなければならないということは精神的にも肉体的にもつらいことです。
ウルトラマラソンの終盤でこういう状態になるのは仕方ないでしょう。でもマラソンでこんな状態になってしまうとは、自分がマラソンランナーとしてはどれだけ能力が低下したかを思い知らされてしまいます。
しかも今回はゴールですべて終わるわけではありません。その後は300キロを超える距離を運転して帰らねばなりません。ゴールが遅くなればなるほど帰りも遅くなります。遅くなればなるほど明日の仕事がつらくなります。遅くとも14時30分発のシャトルバスに乗るために頑張らねば。最後の目標はそれになりました。
走ったり歩いたり、そしてまた歩いたり走ったり歩いたり。歩く区間が増えてきましたが、少しずつ少しずつ前に進みます。36キロは9分22秒、37キロは7分29秒で走りました。残りは約5キロです。
コースは35キロ過ぎから旧国鉄湧網線跡を活用したサイクリングロードに入っています。ここも楽しみの一つでした。
湧網線が廃止となったのは昭和62年3月です。私は昭和60年10月から北見に勤務しており、網走にもよく行きました。ですからまだ湧網線に列車が走っていた頃を知っています。残念ながら湧網線を利用する機会は一度もありませんでしたが、こうして自分の足で走ることができました。
朝は青空が広がっていて、午後から雨という予報が信じられないほどでした。しかしこのときには空はすっかり雲が覆っており、今にも降りだしそうになっていました。朝見た時間予報では13時以降に雨が降るとなっていました。サブフォーで走れば雨に当たらずに済むと思っていたのですが、まだゴールははるか彼方という状態で13時を迎えてしまいました。
なんとか雨が降る前にゴールしたい。それも目標となりました。
38キロは8分02秒です。サロマを思い出して、歩くときも早歩きを心がけるようにしました。そのためか、歩いている区間も多い割には8分台で走ることができました。39キロも8分25秒と8分台をキープしています。
あと3キロです。残りわずかなのですが、まだまだものすごい距離が残っているような気がします。
ここまでのタイムは4時間14分48秒です。残り3キロあまりをすべて歩いてしまうと、北海道マラソンのタイムを下回ってしまうかもしれません。その代わり走りを交えてさえいれば上回ることができそうです。1ヶ月前の自分との戦いです。不本意なレベルでの戦いではありますが……。
40キロ地点は4時間24分09秒で通過しました。この間の1キロは9分21秒です。ゴール会場の大曲湖畔園地に入ったら歩きたくないという思いもあり、少し休みを意識した1キロでした。35キロからの5キロは42分39秒かかりました。
残り2キロあまり。まだまだ油断はできませんが、このままだと北海道マラソンのタイムを上回ることが確実です。あとはこのペースの維持を考えるだけです。
ゴールが近づいているということもあり元気が出てきたようです。41キロも7分40秒で通過しました。4時間31分49秒。4時間40分を切れるかどうか微妙なところです。
やがてコースはサイクリングロードを離れ大曲湖畔園地へと入りました。ただこの園内も大きく回ってのゴールとなります。まだまだゴールは先にあります。
ゴールは150万本からなる大きなひまわり畑を回ってゴールするとありました。でも私がイメージしているひまわりは夏の花です。ひまわりの里・北竜町で行なわれた北商ロードレースのときも、ひまわりの花はもう終わりかけでした。
それからすると9月のひまわりなんて痕跡も残っていないのではないかと思っていたのですが、実に鮮やかな黄色が目に飛び込んできました。満開のひまわり畑です。
聞くところによると、この大会当日に満開になるようにと考えて植えられているとか。そのような心遣いにただひたすら感謝です。
そんなひまわり畑の周りをぐるっと回っていくと、正面にようやくゴールが見えました。私はゆっくりゆっくり走り続けました。網走市長も迎えてくれます。LRS北海道のフーさんも迎えてくれます。そんな中をゆっくり着実に走り、最後は大きく両手を広げてゴールしました。
タイムは4時間39分24秒と、かろうじて4時間40分を切りました。大曲湖畔園地に入ってからは一度も歩かずにすみました。しかも41キロ以降は、キロ6分21秒ペースで走れています。まだそんな余力があったのですね。
どうにか雨にも当たらずゴールできました。回れ右をして深々とお辞儀をして先に進みます。フィニッシャータオルをもらい、完走メダルをかけてもらい、計測用のタグを外してもらいます。
完走メダルは網走刑務所で作成された木製メダルということは写真を見て知っていました。でもこの大きさには驚きました。直径約11センチという巨大メダルです。これまでもらった完走メダルの中で最大のメダルです。
さらに動線に従っていくと完走証を交付しています。私も発行してもらいましたが、打ち出された完走証を大会名入りのクリアファイルに入れ、『あばしり「うみ」と「大地」の収穫祭』の飲食券とともに渡してくれました。この心遣いはありがたかったのですが、そのありがたみはこの数分後により強く感じることになるのです。
完走証を受け取って先に進むと、今度は長蛇の列が目に入りました。どうやら荷物を受け取る行列のようです。全身が消耗しているだけに並ぶのはつらいのですが、荷物を受け取らないことには何もできません。諦めて並びました。
するとそのときです。ポツポツと雨が2、3滴落ちてきました。(つづく)
(1)いざ、網走へ
(2)網走番外地
(3)強気が生まれる
(4)理想的なペース配分
(5)天国から地獄
(6)網走監獄和牛
『うつ病ランナー サロマを走る』 絶賛発売中です。
http://books.rakuten.co.jp/rk/784db20ebc443e8bb25926c5e747966b/
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苦しみながらも35キロを過ぎました。残りは7キロあまりです。今のペースで行けばあと1時間くらいでゴールできるでしょうか。元気なときなら7キロくらいは「あとわずか」と思えるのですが、「この苦しみがさらに1時間も続く」と思うとげんなりしてしまいます。苦しみながらとにかく足を前に出していなければならないということは精神的にも肉体的にもつらいことです。
ウルトラマラソンの終盤でこういう状態になるのは仕方ないでしょう。でもマラソンでこんな状態になってしまうとは、自分がマラソンランナーとしてはどれだけ能力が低下したかを思い知らされてしまいます。
しかも今回はゴールですべて終わるわけではありません。その後は300キロを超える距離を運転して帰らねばなりません。ゴールが遅くなればなるほど帰りも遅くなります。遅くなればなるほど明日の仕事がつらくなります。遅くとも14時30分発のシャトルバスに乗るために頑張らねば。最後の目標はそれになりました。
走ったり歩いたり、そしてまた歩いたり走ったり歩いたり。歩く区間が増えてきましたが、少しずつ少しずつ前に進みます。36キロは9分22秒、37キロは7分29秒で走りました。残りは約5キロです。
コースは35キロ過ぎから旧国鉄湧網線跡を活用したサイクリングロードに入っています。ここも楽しみの一つでした。
湧網線が廃止となったのは昭和62年3月です。私は昭和60年10月から北見に勤務しており、網走にもよく行きました。ですからまだ湧網線に列車が走っていた頃を知っています。残念ながら湧網線を利用する機会は一度もありませんでしたが、こうして自分の足で走ることができました。
朝は青空が広がっていて、午後から雨という予報が信じられないほどでした。しかしこのときには空はすっかり雲が覆っており、今にも降りだしそうになっていました。朝見た時間予報では13時以降に雨が降るとなっていました。サブフォーで走れば雨に当たらずに済むと思っていたのですが、まだゴールははるか彼方という状態で13時を迎えてしまいました。
なんとか雨が降る前にゴールしたい。それも目標となりました。
38キロは8分02秒です。サロマを思い出して、歩くときも早歩きを心がけるようにしました。そのためか、歩いている区間も多い割には8分台で走ることができました。39キロも8分25秒と8分台をキープしています。
あと3キロです。残りわずかなのですが、まだまだものすごい距離が残っているような気がします。
ここまでのタイムは4時間14分48秒です。残り3キロあまりをすべて歩いてしまうと、北海道マラソンのタイムを下回ってしまうかもしれません。その代わり走りを交えてさえいれば上回ることができそうです。1ヶ月前の自分との戦いです。不本意なレベルでの戦いではありますが……。
40キロ地点は4時間24分09秒で通過しました。この間の1キロは9分21秒です。ゴール会場の大曲湖畔園地に入ったら歩きたくないという思いもあり、少し休みを意識した1キロでした。35キロからの5キロは42分39秒かかりました。
残り2キロあまり。まだまだ油断はできませんが、このままだと北海道マラソンのタイムを上回ることが確実です。あとはこのペースの維持を考えるだけです。
ゴールが近づいているということもあり元気が出てきたようです。41キロも7分40秒で通過しました。4時間31分49秒。4時間40分を切れるかどうか微妙なところです。
やがてコースはサイクリングロードを離れ大曲湖畔園地へと入りました。ただこの園内も大きく回ってのゴールとなります。まだまだゴールは先にあります。
ゴールは150万本からなる大きなひまわり畑を回ってゴールするとありました。でも私がイメージしているひまわりは夏の花です。ひまわりの里・北竜町で行なわれた北商ロードレースのときも、ひまわりの花はもう終わりかけでした。
それからすると9月のひまわりなんて痕跡も残っていないのではないかと思っていたのですが、実に鮮やかな黄色が目に飛び込んできました。満開のひまわり畑です。
聞くところによると、この大会当日に満開になるようにと考えて植えられているとか。そのような心遣いにただひたすら感謝です。
そんなひまわり畑の周りをぐるっと回っていくと、正面にようやくゴールが見えました。私はゆっくりゆっくり走り続けました。網走市長も迎えてくれます。LRS北海道のフーさんも迎えてくれます。そんな中をゆっくり着実に走り、最後は大きく両手を広げてゴールしました。
タイムは4時間39分24秒と、かろうじて4時間40分を切りました。大曲湖畔園地に入ってからは一度も歩かずにすみました。しかも41キロ以降は、キロ6分21秒ペースで走れています。まだそんな余力があったのですね。
どうにか雨にも当たらずゴールできました。回れ右をして深々とお辞儀をして先に進みます。フィニッシャータオルをもらい、完走メダルをかけてもらい、計測用のタグを外してもらいます。
完走メダルは網走刑務所で作成された木製メダルということは写真を見て知っていました。でもこの大きさには驚きました。直径約11センチという巨大メダルです。これまでもらった完走メダルの中で最大のメダルです。
さらに動線に従っていくと完走証を交付しています。私も発行してもらいましたが、打ち出された完走証を大会名入りのクリアファイルに入れ、『あばしり「うみ」と「大地」の収穫祭』の飲食券とともに渡してくれました。この心遣いはありがたかったのですが、そのありがたみはこの数分後により強く感じることになるのです。
完走証を受け取って先に進むと、今度は長蛇の列が目に入りました。どうやら荷物を受け取る行列のようです。全身が消耗しているだけに並ぶのはつらいのですが、荷物を受け取らないことには何もできません。諦めて並びました。
するとそのときです。ポツポツと雨が2、3滴落ちてきました。(つづく)
(1)いざ、網走へ
(2)網走番外地
(3)強気が生まれる
(4)理想的なペース配分
(5)天国から地獄
(6)網走監獄和牛
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