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網走の 魅力満載 新大会〜第1回オホーツク網走マラソン完走記1 (2015-9-29 23:45:18)
(1)いざ、網走へ
網走で新たなマラソン大会が開催されるという情報を聞いたとき、この大会には最優先で出るようにしようと思いました。私には、なんとしても走る価値のある大会であるという直感が働いたのです。その後の検討内容が断片的に伝わってくるにつれ、それは直感から確信に変わっていきました。
第1回大会というのは、いわば諸刃の剣です。新たに大会を開催するというのはものすごいエネルギーを要します。数々の困難をクリアして開催にこぎつけたエネルギーは、次に参加者をおもてなしするエネルギーへと変化します。そんなエネルギーを浴びる楽しさが、第1回大会にはあります。
しかしその一方で、第1回大会ゆえの問題もあります。それは特に大会運営の面で現れてきます。一度に大勢の人を迎えて行なうことになりますから、様々な問題が発生します。それらにたいしてはいろいろなケースを想定したシミュレーションも行なわれるでしょう。でも実際に大会当日になると想定外の出来事が往々にして出てきます。やってみなければわからない部分も多々あります。
このマラソンブームの火付け役となった東京マラソンでさえ、第1回大会のときは荷物の受け渡しで大混乱となり、怒号が飛び交う事態となってしまいましたし、第1回大会での混乱ゆえに2回目以降の大会が開催されなかった例もあります。
このオホーツク網走マラソンに魅力を感じた最大の理由は、主催者の熱意がひしひしと伝わってきたことです。「マラソンブームだから大会を開催すれば経済効果がある」という発想だけで大会を行なうことは大変危険です。ランナーをただ走らせおけばいいかというと大間違い(中にはそういう大会もあるので、見抜く目を持たねばなりません)で、大会を行なうには前述したように莫大なエネルギーが必要です。さらに費用も。
この大会の主催者からはそのエネルギーを感じました。網走市の水谷市長ご自身がマラソンを趣味とプロフィールに書いており、東京マラソンも走ったことがあるそうです。そんな市長の思いが込められた大会ということであり、しかも市内のランナーの皆さんが中心となって計画を進めていると聞けば、いい大会になることは間違いないと思いました。
コースの設定に当たっては、市内のランナーの皆さんが試走を重ねて決めたようです。そのコースもとても魅力的でした。
まずスタート地点です。「網走」の地名を全国的に有名にしたのは、亡くなられた高倉健さんが主演した「網走番外地」でしょう。その網走刑務所の前をスタートするというのです。いわば網走で最も有名なスポットです。これ以上オホーツク網走マラソンにふさわしいスタート地点はないでしょう。
それから網走市内の中心部を抜けてから能取岬に向かいます。ここはオホーツク海の眺めがよく遠くには知床連山も望めるところです。アップダウンは厳しいのですが、その絶景を堪能できます。
さらに能取湖畔を走りますが、9月の能取湖はサンゴ草を楽しめる時期でもあります。そして湧網線跡のサイクリングロードを通ってゴールの大曲湖畔園地に向かいますが、ここでは150万本ものひまわり畑でランナーを迎えてくれるとか。さらにゴール会場では、『あばしり「うみ」と「大地」の収穫祭』が開かれます。ゴール後も楽しめるという構成になっています。
しかしこの網走で2千人を超える人が参加するとなると、宿を確保することも大変になることは間違いありません。私は年明け早々宿を押さえてしまいました。もちろん、エントリーが始まると即座にエントリーをしました。
大会1ヶ月前の北海道マラソンは大失敗レースに終わりました。7月頃から本格的な練習をできるようになったものの、練習不足がその大きな要因でした。
北海道マラソンではレース用のシューズが合わなかったのか、足の指5本が黒爪になってしまいました。そのため大会後はしばらく走ることができませんでした。
網走で使うシューズをどうするか、いろいろ悩みました。練習の際にレース用シューズを履いて慣らしてみましたが、どうしても爪先が詰まる感じがして不安が残ります。そのため今回の網走では、ウルトラ用のサロマレーサーを使うことにしました。このシューズでマラソンを走れるのか、若干不安な滑り出しとなりました。
留萌から網走まで1泊2日の行程。これはけっして楽ではありません。しかも今回は山の神も同行し、北見の実家に行きます。そのため北見経由になってしまい、20キロ近く余分に走らなければなりません。なかなかの強行軍です。
大会前日を迎えた9月26日。8時30分に家を出ました。荷物は前日のうちに用意していましたから、すばやく支度を終えて出発です。予定では10時頃に旭川を通過して13時頃に北見に着き、それから昼食にしようというものでした。
ところが道中は思うようにいきません。出るときにもトイレに寄ったというのに、すぐにトイレに寄りたくなってしまいます。コンビニに二度も立ち寄ってしまいます。
しかも(遠征時はいつものことですが)忘れ物が発覚します。前日にせっかく処方してもらった風邪薬と、レース中の補給用に持参するつもりだったスポーツようかんです。どちらも致命的な忘れ物ではありませんが、どうして毎回毎回忘れ物をしてしまうのでしょう。
それでもどうにか目的地を目指して進んでいきます。旭川紋別道を走り終えて丸瀬布の道の駅に寄りました。ここで時計を見ると12時10分前です。予定では北見で昼食のつもりでしたが、ここで昼食をとってしまうことにしました。そしてソフトクリームを食べましたが……。250円でボリュームたっぷりです。牛乳の味が苦手な人には好まれるかもしれません。
北見に向かうときはいつも旭峠を越えて仁頃回りで行ってます。でも今回は久しぶりに留辺蘂回りで行くことにしていました。そのためここではソフトクリームを我慢して生田原の林冷菓店のアイスを食べればよかったと思っていたのですが……生田原を通過するときに気をつけて探していたのですが林冷菓店が見つかりません。帰宅してから確認したところどうやら閉店してしまったようです。あそこのアイス、美味しかったのに……。
そんなショックを感じながらも無事に北見に着きました。本当はすぐ網走に向かいたかったのですが(ゴール会場の駐車場を下見しておきたかったのです)、山の神がイオンに行きたいと言うので渋々従いました。その後15時過ぎに実家に山の神をリリースして、網走に向かいました。(つづく)
『うつ病ランナー サロマを走る』 絶賛発売中です。
http://books.rakuten.co.jp/rk/784db20ebc443e8bb25926c5e747966b/
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網走で新たなマラソン大会が開催されるという情報を聞いたとき、この大会には最優先で出るようにしようと思いました。私には、なんとしても走る価値のある大会であるという直感が働いたのです。その後の検討内容が断片的に伝わってくるにつれ、それは直感から確信に変わっていきました。
第1回大会というのは、いわば諸刃の剣です。新たに大会を開催するというのはものすごいエネルギーを要します。数々の困難をクリアして開催にこぎつけたエネルギーは、次に参加者をおもてなしするエネルギーへと変化します。そんなエネルギーを浴びる楽しさが、第1回大会にはあります。
しかしその一方で、第1回大会ゆえの問題もあります。それは特に大会運営の面で現れてきます。一度に大勢の人を迎えて行なうことになりますから、様々な問題が発生します。それらにたいしてはいろいろなケースを想定したシミュレーションも行なわれるでしょう。でも実際に大会当日になると想定外の出来事が往々にして出てきます。やってみなければわからない部分も多々あります。
このマラソンブームの火付け役となった東京マラソンでさえ、第1回大会のときは荷物の受け渡しで大混乱となり、怒号が飛び交う事態となってしまいましたし、第1回大会での混乱ゆえに2回目以降の大会が開催されなかった例もあります。
このオホーツク網走マラソンに魅力を感じた最大の理由は、主催者の熱意がひしひしと伝わってきたことです。「マラソンブームだから大会を開催すれば経済効果がある」という発想だけで大会を行なうことは大変危険です。ランナーをただ走らせおけばいいかというと大間違い(中にはそういう大会もあるので、見抜く目を持たねばなりません)で、大会を行なうには前述したように莫大なエネルギーが必要です。さらに費用も。
この大会の主催者からはそのエネルギーを感じました。網走市の水谷市長ご自身がマラソンを趣味とプロフィールに書いており、東京マラソンも走ったことがあるそうです。そんな市長の思いが込められた大会ということであり、しかも市内のランナーの皆さんが中心となって計画を進めていると聞けば、いい大会になることは間違いないと思いました。
コースの設定に当たっては、市内のランナーの皆さんが試走を重ねて決めたようです。そのコースもとても魅力的でした。
まずスタート地点です。「網走」の地名を全国的に有名にしたのは、亡くなられた高倉健さんが主演した「網走番外地」でしょう。その網走刑務所の前をスタートするというのです。いわば網走で最も有名なスポットです。これ以上オホーツク網走マラソンにふさわしいスタート地点はないでしょう。
それから網走市内の中心部を抜けてから能取岬に向かいます。ここはオホーツク海の眺めがよく遠くには知床連山も望めるところです。アップダウンは厳しいのですが、その絶景を堪能できます。
さらに能取湖畔を走りますが、9月の能取湖はサンゴ草を楽しめる時期でもあります。そして湧網線跡のサイクリングロードを通ってゴールの大曲湖畔園地に向かいますが、ここでは150万本ものひまわり畑でランナーを迎えてくれるとか。さらにゴール会場では、『あばしり「うみ」と「大地」の収穫祭』が開かれます。ゴール後も楽しめるという構成になっています。
しかしこの網走で2千人を超える人が参加するとなると、宿を確保することも大変になることは間違いありません。私は年明け早々宿を押さえてしまいました。もちろん、エントリーが始まると即座にエントリーをしました。
大会1ヶ月前の北海道マラソンは大失敗レースに終わりました。7月頃から本格的な練習をできるようになったものの、練習不足がその大きな要因でした。
北海道マラソンではレース用のシューズが合わなかったのか、足の指5本が黒爪になってしまいました。そのため大会後はしばらく走ることができませんでした。
網走で使うシューズをどうするか、いろいろ悩みました。練習の際にレース用シューズを履いて慣らしてみましたが、どうしても爪先が詰まる感じがして不安が残ります。そのため今回の網走では、ウルトラ用のサロマレーサーを使うことにしました。このシューズでマラソンを走れるのか、若干不安な滑り出しとなりました。
留萌から網走まで1泊2日の行程。これはけっして楽ではありません。しかも今回は山の神も同行し、北見の実家に行きます。そのため北見経由になってしまい、20キロ近く余分に走らなければなりません。なかなかの強行軍です。
大会前日を迎えた9月26日。8時30分に家を出ました。荷物は前日のうちに用意していましたから、すばやく支度を終えて出発です。予定では10時頃に旭川を通過して13時頃に北見に着き、それから昼食にしようというものでした。
ところが道中は思うようにいきません。出るときにもトイレに寄ったというのに、すぐにトイレに寄りたくなってしまいます。コンビニに二度も立ち寄ってしまいます。
しかも(遠征時はいつものことですが)忘れ物が発覚します。前日にせっかく処方してもらった風邪薬と、レース中の補給用に持参するつもりだったスポーツようかんです。どちらも致命的な忘れ物ではありませんが、どうして毎回毎回忘れ物をしてしまうのでしょう。
それでもどうにか目的地を目指して進んでいきます。旭川紋別道を走り終えて丸瀬布の道の駅に寄りました。ここで時計を見ると12時10分前です。予定では北見で昼食のつもりでしたが、ここで昼食をとってしまうことにしました。そしてソフトクリームを食べましたが……。250円でボリュームたっぷりです。牛乳の味が苦手な人には好まれるかもしれません。
北見に向かうときはいつも旭峠を越えて仁頃回りで行ってます。でも今回は久しぶりに留辺蘂回りで行くことにしていました。そのためここではソフトクリームを我慢して生田原の林冷菓店のアイスを食べればよかったと思っていたのですが……生田原を通過するときに気をつけて探していたのですが林冷菓店が見つかりません。帰宅してから確認したところどうやら閉店してしまったようです。あそこのアイス、美味しかったのに……。
そんなショックを感じながらも無事に北見に着きました。本当はすぐ網走に向かいたかったのですが(ゴール会場の駐車場を下見しておきたかったのです)、山の神がイオンに行きたいと言うので渋々従いました。その後15時過ぎに実家に山の神をリリースして、網走に向かいました。(つづく)
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