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現在の 力出し切る 10キロ走〜第37回オロロンライン全道マラソン完走記3 (2015-8-2 22:55:24)
(3)100パーセント
安全のため、車がまだ遠い状態でストップさせられています。そのため走り出したのは10秒あまりといったところでしょうか。幸い1台だけだったので車が去るとすぐに走らせてもらいました。
折り返してからコースは緩やかなアップダウンをしていますが全体的には下り基調となります。そんなこともあって少し気が楽になりました。
もはや順位とタイムの相関などあてになりません。自分のスピード感覚を信じるのみです。
レースの最中は心拍数が上がっているせいかアドレナリンが分泌されているせいか、自分の感覚よりも速く走れていることが多いものです。でもその分を割り引いても、今のペースでは宣言タイムより遅れているはずです。復路は少しでもペースアップをしなければなりません。
数名のランナーが前方にいます。1人ずつその背中を追い始めました。しかしなかなか差は詰まりません。2年前は序盤で突っ込みすぎたと思いながら、復路でも少しずつ順位を上げることができました。ところが今年は序盤は突っ込まずに入れたものの、復路に入ってもなかなかペースが上がってくれません。
また私自身、膝の不安もありますから全力で走ることには怖さもあります。無理な力が加わらないように、それでいて前に推進力が加わるように、意識しながら走ります。
前に進むことを強く意識した効果か、少しずつペースは上がってきたようです。前のランナーの背中が少しずつ大きくなってきて、やがては交わすことができました。そうして1人、2人と抜きますが、私の後ろからロングスパートをかけてきたランナーには抜かれてしまいます。どうも自分としては納得できるスピードが出てくれません。
雨は強くありませんがずっと降り続いています。そのため眼鏡にはびっしりと水滴がついてしまいました。私は仕方なく手でレンズを拭い少しでも視界を確保するようにしながら走りました。
4キロの部の折り返し点を過ぎると残りは2キロです。ここまでくると1キロ近い下り坂が待っています。ここでペースを上げなければなりません。そしてそのままの勢いでゴールに飛び込むことができれば、宣言タイムに近づけることができるでしょう。
ただし下り坂は足への負担が大きくなります。膝に不安がある私としては、下り坂は鬼門です。ピンネシリ登山マラソンをDNSとした理由も、下りで膝を壊すおそれがあるからでした。
ですからこの下りも、ペースを上げながらも足への負担が少なくなるよう慎重に走りました。
国道232号を終えて交差点を左折します。残すは1キロあまり。しかし平坦コースに入ると苦しくなってきました。下りの惰性で一気にスパートしたかったのですが、逆に足は止まってしまいそうです。
下りの後の平坦というのは苦しいものです。これまでもこの平坦になってからの1キロは苦しんできました。それでも残りは1キロだからとスパートしてきました。この大会の出場は4度目ですが、私はこれまで宣言タイムより早く走ったことがありませんから、ひたすら全力でゴールを目指していました。
でも今年は過去と比べても最もペースが上がりません。もう仕方ないな。どうせ今年は50分を切れるかどうかくらいのペースだろう。宣言タイムと1分以上の違いがありそうだ。そう思って息を抜こうかとも思いました。
しかしすぐにその考えを振り払います。せっかくここまで頑張ったのですから、その頑張りを無駄にしないためにも、最後までしっかり走りたいと思いました。順位が問題ではありません。自分に対して誇れる走りができたかどうかが大事です。最後まで手抜きをせずに走り切ります。
気持ちは最後までしっかりとつなぎました。でも体はもう限界でした。思うようにスパートできず、ペースダウンを防ぐのが精一杯です。
最後の交差点を左に曲がるとゴールが見えてきました。目の前のゴールがとても遠く感じます。全力で走っているのですが、走っても走ってもなかなか近づいてきません。もがくように走りながら、それでも最後は両手を広げてゴールしました。
最後までスピードには乗れなかったものの、失速せずに走りきれました。前日までの状態では、52〜3分くらいでしか走れないだろうと思っていました。でも今日の手ごたえならば、50分を切れるかどうかというタイムで走れたと思います。もしかすると50分を切れたかもしれないという手ごたえがあります。今の自分としては100パーセントの力を出せました。
更衣室でシャワーを浴びて着替えをします。それからレセプション会場である町の総合車庫へと移動しました。会場にはすでに炭が起こされ準備が整っていて、始められています。
早速肉とおにぎり、ビールを受け取りました。(つづく)
安全のため、車がまだ遠い状態でストップさせられています。そのため走り出したのは10秒あまりといったところでしょうか。幸い1台だけだったので車が去るとすぐに走らせてもらいました。
折り返してからコースは緩やかなアップダウンをしていますが全体的には下り基調となります。そんなこともあって少し気が楽になりました。
もはや順位とタイムの相関などあてになりません。自分のスピード感覚を信じるのみです。
レースの最中は心拍数が上がっているせいかアドレナリンが分泌されているせいか、自分の感覚よりも速く走れていることが多いものです。でもその分を割り引いても、今のペースでは宣言タイムより遅れているはずです。復路は少しでもペースアップをしなければなりません。
数名のランナーが前方にいます。1人ずつその背中を追い始めました。しかしなかなか差は詰まりません。2年前は序盤で突っ込みすぎたと思いながら、復路でも少しずつ順位を上げることができました。ところが今年は序盤は突っ込まずに入れたものの、復路に入ってもなかなかペースが上がってくれません。
また私自身、膝の不安もありますから全力で走ることには怖さもあります。無理な力が加わらないように、それでいて前に推進力が加わるように、意識しながら走ります。
前に進むことを強く意識した効果か、少しずつペースは上がってきたようです。前のランナーの背中が少しずつ大きくなってきて、やがては交わすことができました。そうして1人、2人と抜きますが、私の後ろからロングスパートをかけてきたランナーには抜かれてしまいます。どうも自分としては納得できるスピードが出てくれません。
雨は強くありませんがずっと降り続いています。そのため眼鏡にはびっしりと水滴がついてしまいました。私は仕方なく手でレンズを拭い少しでも視界を確保するようにしながら走りました。
4キロの部の折り返し点を過ぎると残りは2キロです。ここまでくると1キロ近い下り坂が待っています。ここでペースを上げなければなりません。そしてそのままの勢いでゴールに飛び込むことができれば、宣言タイムに近づけることができるでしょう。
ただし下り坂は足への負担が大きくなります。膝に不安がある私としては、下り坂は鬼門です。ピンネシリ登山マラソンをDNSとした理由も、下りで膝を壊すおそれがあるからでした。
ですからこの下りも、ペースを上げながらも足への負担が少なくなるよう慎重に走りました。
国道232号を終えて交差点を左折します。残すは1キロあまり。しかし平坦コースに入ると苦しくなってきました。下りの惰性で一気にスパートしたかったのですが、逆に足は止まってしまいそうです。
下りの後の平坦というのは苦しいものです。これまでもこの平坦になってからの1キロは苦しんできました。それでも残りは1キロだからとスパートしてきました。この大会の出場は4度目ですが、私はこれまで宣言タイムより早く走ったことがありませんから、ひたすら全力でゴールを目指していました。
でも今年は過去と比べても最もペースが上がりません。もう仕方ないな。どうせ今年は50分を切れるかどうかくらいのペースだろう。宣言タイムと1分以上の違いがありそうだ。そう思って息を抜こうかとも思いました。
しかしすぐにその考えを振り払います。せっかくここまで頑張ったのですから、その頑張りを無駄にしないためにも、最後までしっかり走りたいと思いました。順位が問題ではありません。自分に対して誇れる走りができたかどうかが大事です。最後まで手抜きをせずに走り切ります。
気持ちは最後までしっかりとつなぎました。でも体はもう限界でした。思うようにスパートできず、ペースダウンを防ぐのが精一杯です。
最後の交差点を左に曲がるとゴールが見えてきました。目の前のゴールがとても遠く感じます。全力で走っているのですが、走っても走ってもなかなか近づいてきません。もがくように走りながら、それでも最後は両手を広げてゴールしました。
最後までスピードには乗れなかったものの、失速せずに走りきれました。前日までの状態では、52〜3分くらいでしか走れないだろうと思っていました。でも今日の手ごたえならば、50分を切れるかどうかというタイムで走れたと思います。もしかすると50分を切れたかもしれないという手ごたえがあります。今の自分としては100パーセントの力を出せました。
更衣室でシャワーを浴びて着替えをします。それからレセプション会場である町の総合車庫へと移動しました。会場にはすでに炭が起こされ準備が整っていて、始められています。
早速肉とおにぎり、ビールを受け取りました。(つづく)
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