frunブログ集
メイン | 簡易ヘッドライン |
夜久弘さん、安らかに (2015-1-6 7:43:43)
ショッキングなニュースが飛び込んできました。
ウルトラランナーなら知らない人はいないでしょう、サロマンブルーメンバーでもあるスポーツライターの夜久弘さんが、2015年1月2日13時50分に亡くなられました。
夜久弘さんの著書は数々あります。私も何冊か持っています。その大半は美瑛の家に置いてきているのですが、どこに転勤をしても必ず持ち歩いている本が1冊あります。それが「ウルトラマラソン 完走の幸せ リタイアの至福」という本です。この本は今でも私にとってウルトラマラソンのバイブルです。
この本の扉を開くと次のように書かれています。
ウルトラマラソンに挑戦して
完走した人は幸せである。
完走できなかった人はもっと幸せである。
失恋の味を知っている人が
真の恋の喜びを知るように
いつか完走したときに
至福に包まれるはずだから。
この言葉、私は実感しています。
そうそう、私がよく使わせていただいている「リタイアは感動の貯金」という言葉もこの本に書かれています。
夜久さんが3度目の参加となった1993年のサロマ。このとき76km地点で夜久さんはリタイアをしてしまいます。持てる力を使い果たして、ここから一歩も脚を前に出せなかったそうです。
そしてその翌年、夜久さんは見事にリベンジを果たします。その時のことをこう書かれています。
ゴールが近づくと、想像を超える歓喜がふくれあがり、ぼくは持て余しそうになった。そして、思った「リタイアは感動の貯金だな」と。
こうした数々の記述に、私は走る前からウルトラマラソンの魅力に惹きつけられました。
そんな夜久さんと初めてお会いしたのは、2004年の北海道マラソンでした。この時は憧れの夜久さんにお会いできて胸がいっぱいで、ほとんど何も話せませんでした。
次にお会いしたのはその年のつくばマラソンでした。この時は一緒に写真も撮らせていただきました。
2005年のサロマ初挑戦の時もお会いしました。この時は小さな色紙にサインをいただきました。ところがこの色紙、日付を1か月間違えています。これも面白い記念品です。
その後もいろいろお会いしました。2006年の利尻でもお会いしました。
2007年の湘南国際マラソンでは、走っている最中に会いました。このとき、私は黄レンジャーで走っていました。そして往路の花水川橋を渡ったあたりでモジモジ君の仮装をしているランナーと遭遇しました。それが夜久さんでした。兄弟のようだと笑って話しながら、しばらく一緒に走りました。
その後もサロマで毎年のようにお会いしました。
2012年もそうです。5年ぶりの完走をしたとき、ゴール直前に夜久さんはいました。沿道から「Ogamanさん」と声をかけられ、「やりました!」と答えた私は夜久さんとしっかり握手をしました。
この写真、握手している相手は夜久さんです。
夜久さんのことを思うと、そんないろいろなことが次々と思い浮かびます。
一昨年からFacebookでもつながっていただきました。昨年、ランナーズ賞を受賞された時、Facebookにお祝いのコメントを書き込みました。その後も夜久さんの投稿にいいね!は押していましたが、コメントをしたのはこれが最後となりました。
これに対して夜久さんは以下のようなコメントを返していただきました。
小笠原さん、ありがとうございます。第1回の湘南マラソンでもじもじ君のコスプレで並走したのが最高の思い出です。
夜久さんと会うたびにこの時のことはよく言われてました。夜久さんにとってもあの併走は印象に残っていたようで、大変嬉しく思います。
夜久さんのお通夜と告別式は以下の通り執り行うとのことです
1.通夜
平成27年1月9日(金)
午後6時〜午後7時
2.告別式
平成27年1月10日(土)
午後1時30分より
3.いずれも、文京区の吉祥寺にて
東京都文京区本駒込3-19-17
本当は参列したいところですが、なかなかそうもいきません。せめて弔電だけでも打っておきたいと思います。
夜久さん、そちらの世界でも、いつまでものびのびと走っていてくださいね。