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  ホーム >> frunブログ集 >> 4年半 最後の花道 飾るため〜第23回ピパオイヘルシーロードレース完走記5

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link Road to SAROMAN BLUE Road to SAROMAN BLUE (2024-10-10 15:00:05)

feed 4年半 最後の花道 飾るため〜第23回ピパオイヘルシーロードレース完走記5 (2014-9-29 21:09:25)

(5)有終の美

 呼吸も苦しくなります。足ももつれそうになります。でも私の視線はゴールゲートだけを見つめています。絶対にうつむいたりしません。自分の残っている力をすべてここに注ぎます。

 ゴールの手前でランナーのナンバーカードを確認して名前をアナウンスしている人がいます。たしかに私の名前もコールされました。もう一息、もう一息でゴールです。

 ゴールの直前に時計が設置されていました。チラッと見ると、まだ1時間44分50秒くらいを示していたように思います。

 このタイムを見て確信しました。もう大丈夫です。間違いなく目標は達成できます。私は大きく両手を広げてとびきりの笑顔を浮かべてゴールに飛び込みました。

 いつものように回れ右をしてお辞儀をしたものの、しばらくはその場から動けませんでした。ゴールの瞬間で、力を出し尽くしました。やがて重い足を引きずり、完走証を交付してもらいます。1時間44分55秒。奇しくも3年前の神戸マラソンと同じく、たった5秒の目標クリアでした。しかしこの5秒はすごく重い5秒でした。

完走証

 ゆっくりと足を引きずりながら体育館に向かいます。そのとき、不覚にも涙をこぼしてしまいました。完走して涙を流したのは、2003年の北海道マラソンで号泣したとき以来ではないでしょうか。サロマを完走したときでさえ涙はこぼれなかったというのに。

 持っている力をすべて絞り出したという実感があったからでしょうか。力尽きそうになり、最後の1kmを迎えたときには絶体絶命の状況になりながら、そこから限界を超えたあの走りをできたことが、この涙につながったのでしょう。

 しかし人目をはばからずに号泣をした北海道マラソンとは違い、この時は涙を隠しながら歩きました。

 タグを返して抽選をします。当たったのは農産物でした。玉ねぎと馬鈴薯をもらって体育館に入ります。預けていた荷物を受け取ってアリーナに行き、敷物を敷いてカバンを置きます。更衣室に行って着替えをしたいのですが、体が動きたがりません。

 ふと隣を見ると、そこにいたのはエスのコバさんでした。コバさんは抽選でゆーりん館の入浴券が当たったそうですが、行かないということでくれました。大変ありがたく頂戴しました。

 それから更衣室に行って着替え、荷物を持って外に行きました。参加者にふるまわれる豚汁をいただきます。

ジャンボ鍋

 出展ブースを見ると長蛇の列があります。美唄焼き鳥のブースです。せっかく美唄の大会に出たのですから、これを食べないわけにはいきません。行列に並ぶのは嫌いな私ですが、しっかり並んで食べてきました。

美唄焼き鳥

 それからゆーりん館に行きました。

ゆーりん館

 コバさんにもらった入浴券を使って入浴してきました。

 留萌に帰る途中、砂川で北菓楼に寄りました。お土産を買うとともに、ソフトクリームを食べました。

ソフトクリーム

 その後も安全運転を心がけて、無事に留萌に帰りつきました。

 4年半使ったスカイセンサーJAPANの最終レース。有終の美を飾らせてあげたい。そう思って走りましたが、最後の最後まで諦めず、まさに有終の美というのにふさわしい走りができました。4年半のレースでともに走ってきた仲間に、お疲れさまとねぎらいの言葉をかけてあげたいと思います。(おわり)


(1)引退する彼のために
(2)理想的なペース
(3)体はそろそろ限界に
(4)3年前の再現目指して



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