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4年半 最後の花道 飾るため〜第23回ピパオイヘルシーロードレース完走記4 (2014-9-28 22:18:40)
(4)3年前の再現目指して
残り5kmを24分50秒程度。ここまでのラップを見れば不可能なことではありません。しかし体のダメージを考えると、それがいかに大変なことなのかということは感じていました。
とにかく「キロ4分台が必要」というのと、「キロ5分台でいい」というのとでは、気持ち的には大きな違いがあります。できるだけ早い時点で1kmを4分50秒くらいで走り、そこから先はキロ5分でOKという状況を作り出そうと思いました。
少しでも余力があるうちにと思い、ここからの1kmは全力に近い気持ちで走りました。そしてあと4kmの地点に到着します。時計は1時間25分を2〜3秒超えていました。どうにかキロ4分台では走れたようですが、残念ながら目標には届いていません。いまの1kmのペースを続ければ目標ラインを超えることができますが、この走りを続けられるでしょうか・・・。
ゴールまでロングスパートです。このままのペースで一気に駆け抜けたいところです。しかし足はだんだん上がらなくなってきました。
あと3km地点は1時間30分を5〜6秒超えて通過しました。どうしても目標ラインに届きません。それどころか、この間の1kmは5分を超えています。ここにきて目標ラインから遠ざかってしまうというのは非常に苦しい展開です。
さらに体は変調をきたし始めました。北海道マラソンの残り5kmを過ぎてから体に表れたあの状態。足が動かないどころではありません。全身が活動を停止したかのように、自分の意志が手足に伝わっていきません。もがくように手足を動かしますが、スピードが落ちているのは自分でもわかります。
あのときと同じだ。もうダメだ。一瞬、そう思いました。
しかし北海道マラソンの時との大きな違いがひとつありました。それは後悔です。
北海道マラソンの結果は、今の私としては上出来でした。今の力はすべて出し切ったという満足がありました。
しかし時間がたつにつれ、本当にそうだったのだろうか、と自問自答するようになったのです。ラスト5kmはもっと走れたのではないか、という思いが、日増しに強くなってきていたのです。
ここで力尽きてしまっては、また同じ後悔に襲われるでしょう。それは嫌です。同じ轍を踏むのは絶対に嫌です。私は動こうとしない手足を無理やり動かしました。
しかしやはりペースは落ちています。あと2kmの地点は1時間35分を12〜13秒ほどオーバーしていました。あんなに全力で走ったのに、またペースが落ちています。
さすがにここからの巻き返しは厳しいかな?そんな弱気も生まれかかりますが、ここでそれを決める必要はありません。今すべきことは、全力で走り続けることです。いや、走ろうと思ったら苦しくなります。ただ足を前に運ぶのみです。よけいなことを考えず、ひたすら前に足を運びます。
20km地点の通過タイムは1時間39分47秒です。この間の5kmは25分17秒です。25分を切らなければならないところで17秒も超過しています。これはとても重くのしかかってきます。間もなくあと1kmの地点を通過しました。時計は1時間40分15秒でした。
あと4分45秒。
無理だ・・・。全力で走っているのに、キロ5分を切ることすらできないのだから・・・。
だけどもうこれが最後のラップだ。あと1kmを全力で走ればそれで終わる。今はキロ5分を超えているとはいえ、その1kmに全力を注いでいるか?注いでいない。注いでいないからこそまだ走っていられるのだ。でも今度はすべてを注いでいい。ゴールしたら、もう1歩も走れなくなっていたっていい。だから今度こそこの1kmで自分のすべてを出し切ろう。
まるでギシギシと音をたてそうな関節を動かして、全力疾走を開始しました。体の動きは重いけど、スピードは上がっているように感じます。よし、大丈夫だ。これならいける。そう信じて走りました。
最後のコーナーを回ります。あと300mくらいと思っていましたが、あとから図上で計測したら400m以上ありました。残る時間は1分50秒です。はたして間に合うのか間に合わないのか全く計算できません。ただ間に合うと信じて走るのみです。
3年前の神戸マラソン。あのときもはるかかなたにあるゴールゲートに向かっての全力疾走でした。そしてあのときはわずか5秒ながら4時間を切り、2年ぶりのサブフォーを達成したのです。
3年前の再現を目指して、私は全力疾走を開始しました。(つづく)
(1)引退する彼のために
(2)理想的なペース
(3)体はそろそろ限界に