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父の日 (2014-7-1 21:44:56)
親父が突然「走るぞ!」と言い出したのは、今から40年以上も前のことだ。
親父に逆らうことなどできなかったひ弱な僕。しぶしぶ親父の後について毎朝走った。でも毎日走っているとだんだん走れるようになり、それにつれて体も丈夫になっていった。体が弱くて学校も休みがちだった僕を丈夫にしようという親父の目論見がみごとに当たったようだ。
だけど高校を卒業してからは走ることもなくなり、運動不足でメタボ予備軍となっていた37歳の僕。そんな僕が突然「マラソン大会に出る!」と言って周囲を驚かせたのは、今から15年前のびえいヘルシーマラソンの時だった。
「昔は毎日走っていたんだもの、ワンエイツ(約5.27km)くらい簡単だ」
そんな甘い考えで、小学校3年生の息子と一緒に親子ペアで走ることにしたのだ。
しかし結果は惨憺たるもの。途中から息子にもついていけず歩いてしまい、沿道で応援をしていた親父にみっともない姿を晒す結果となってしまった。
このままじゃいかんと、たばこもやめて毎日走り出した僕。そのうち走ることが楽しくなって、いつしか僕はいろいろな大会に出るようになっていた。最初は5km走るだけでも大変だった僕が、10km、ハーフでは飽きたらず、ついにはフルマラソンまで走るようになってしまったのだ。しかし僕は転勤して美瑛を離れてしまい、それ以降親父の前で走ることはなくなってしまった。
「北海道マラソンの応援に来ないか」
親父に声をかけたのは5年前のことだ。親父は70歳になり、遠出の機会も少なくなっていた。そんな親父とおふくろを札幌一泊旅行に招待し、北海道マラソンの応援をしてもらうことにしたのだ。この頃僕は、北海道マラソンでのリタイアが2年続いていた。両親を招待したのは、今年こそ絶対に完走してみせるという決意の表れでもあった。
当日、親父とおふくろは10km付近の平岸、20km付近の北24条、そしてゴール付近の中島公園と、地下鉄で移動をしながら応援してくれた。僕はそんな両親に自分の晴れ姿を見せようと全力で走りきった。ゴールの手前、大声で応援していた親父の満面の笑顔にドヤ顔でガッツポーズをして応えたとき、あの日の屈辱をようやく晴らすことができた。
「よくやったな」
レース後の親父の一言に、不覚にも涙が一筋こぼれてしまった。
そして現在、僕に走ることを教えてくれた親父は75歳になった。ここ数年、親父の体はますます弱ってきている。何度か入院もした。手術もした。歩くスピードも遅くなった。もうあちこち移動しながら応援してもらうのは無理だろう。
「よし!今年はオレが行く!」
6月、僕は久しぶりにびえいヘルシーマラソンのワンエイツを走る。ワンエイツのコースは、実家から100mあまりのところを通過するから、足が弱った親父にも無理なく応援してもらうことができるだろう。
見てろよ親父。52歳になった息子が、あの日のようにドヤ顔で走るからな。これが1週早い父の日プレゼントだ! (おわり)
(第8回プラタナス大賞 一次審査通過作品)
親父に逆らうことなどできなかったひ弱な僕。しぶしぶ親父の後について毎朝走った。でも毎日走っているとだんだん走れるようになり、それにつれて体も丈夫になっていった。体が弱くて学校も休みがちだった僕を丈夫にしようという親父の目論見がみごとに当たったようだ。
だけど高校を卒業してからは走ることもなくなり、運動不足でメタボ予備軍となっていた37歳の僕。そんな僕が突然「マラソン大会に出る!」と言って周囲を驚かせたのは、今から15年前のびえいヘルシーマラソンの時だった。
「昔は毎日走っていたんだもの、ワンエイツ(約5.27km)くらい簡単だ」
そんな甘い考えで、小学校3年生の息子と一緒に親子ペアで走ることにしたのだ。
しかし結果は惨憺たるもの。途中から息子にもついていけず歩いてしまい、沿道で応援をしていた親父にみっともない姿を晒す結果となってしまった。
このままじゃいかんと、たばこもやめて毎日走り出した僕。そのうち走ることが楽しくなって、いつしか僕はいろいろな大会に出るようになっていた。最初は5km走るだけでも大変だった僕が、10km、ハーフでは飽きたらず、ついにはフルマラソンまで走るようになってしまったのだ。しかし僕は転勤して美瑛を離れてしまい、それ以降親父の前で走ることはなくなってしまった。
「北海道マラソンの応援に来ないか」
親父に声をかけたのは5年前のことだ。親父は70歳になり、遠出の機会も少なくなっていた。そんな親父とおふくろを札幌一泊旅行に招待し、北海道マラソンの応援をしてもらうことにしたのだ。この頃僕は、北海道マラソンでのリタイアが2年続いていた。両親を招待したのは、今年こそ絶対に完走してみせるという決意の表れでもあった。
当日、親父とおふくろは10km付近の平岸、20km付近の北24条、そしてゴール付近の中島公園と、地下鉄で移動をしながら応援してくれた。僕はそんな両親に自分の晴れ姿を見せようと全力で走りきった。ゴールの手前、大声で応援していた親父の満面の笑顔にドヤ顔でガッツポーズをして応えたとき、あの日の屈辱をようやく晴らすことができた。
「よくやったな」
レース後の親父の一言に、不覚にも涙が一筋こぼれてしまった。
そして現在、僕に走ることを教えてくれた親父は75歳になった。ここ数年、親父の体はますます弱ってきている。何度か入院もした。手術もした。歩くスピードも遅くなった。もうあちこち移動しながら応援してもらうのは無理だろう。
「よし!今年はオレが行く!」
6月、僕は久しぶりにびえいヘルシーマラソンのワンエイツを走る。ワンエイツのコースは、実家から100mあまりのところを通過するから、足が弱った親父にも無理なく応援してもらうことができるだろう。
見てろよ親父。52歳になった息子が、あの日のようにドヤ顔で走るからな。これが1週早い父の日プレゼントだ! (おわり)
(第8回プラタナス大賞 一次審査通過作品)
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