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やめようと 思ったけれど Go ahead〜第62回なよろ憲法記念ロードレース完走記1 (2014-5-14 21:34:03)
(1)最初の試練
最近のマラソンブームの影響で、各地に都市型大規模マラソンが続々と誕生しています。これは私たちランナーにとってありがたいことです。各地のいろいろな大会に参加する可能性が広がるのですから。
ところが現実にはそうそう喜んでいられる状況ではありません。そうした大規模大会の多くは抽選であり、東京マラソンは10倍を超える倍率となっています。自分が大会を選ぶのではなく、大会から選ばれるという現実となっています。
それでは抽選ではなく先着順の大会を選ぼうとしても、超人気大会はあっという間に定員が埋まってしまいます。北海道マラソンのように10時間を超える大会はまだエントリーしやすい方で、長野マラソンのように30分もかからずに1万人近い定員が埋まってしまうという大会もあります。
誰が呼んだか『マラソン狂走曲』。0次関門という言葉も生まれ、大会を走る前にエントリーそのものが大きな関門として立ちはだかるようになってきました。
都市型マラソンで各地を巡るのも大きな魅力ですが、だんだんこのエントリーの大変さについていけなくなってきた私。今年は原点に立ち返り、いくつかの大会を除いてはエントリー関門の心配がないローカル大会を中心に走りたいと思うようになりました。その第1弾として選んだのが、なよろ憲法記念ロードレースでした。
なよろ憲法記念ロードレースは、今年で第62回目を迎える道内でも屈指の歴史を誇るレースです。かつては名寄・風連間(1年おきに風連・名寄間と交互になりました)憲法記念ロードレースという大会名で、名寄市と風連町を結ぶワンウェイコースを走る(1年おきにスタートとゴールが入れ替わりました)、最長10kmのロードレースでした。
我が家からも、走り始めのころは毎年のように子供たちとともに参加していました。Ogakunはゼッケン1番をつけて走ったこともあります。
しかし名寄市と風連町が2006年に合併したことにより、大会の姿も大きく変わりました。大会名から風連の名前が消え、大会会場もなよろ健康の森に移して折り返しコースで行われるようになりました。我が家では12年前に出場したのが最後ですから、会場を移してからは出場したことがありませんでした。
会場が変わってからも最長10kmのロードレースであることは変わりませんでした。ところが昨年から10km折り返し地点の少し先にハーフの折り返し点を設け、ここを2往復するハーフマラソンが新設されました。
ローカル志向が高まったことと、新しくなった憲法記念ロードレースを見たかったことと、それらの理由から今年は12年ぶりの憲法記念ロードレースに参加を決めたのです。
かつては出ていた大会といっても、コースも距離も違い実質的には初参加です。アップダウンのあるコースという噂は聞いていても、それがどの程度のものなのかも全然知りません。それでもハーフマラソンなら何とかなるだろうと甘く見ていました。
ところが敵は思わぬところに潜んでいたのです。
最初の敵は練習不足でした。昨年の秋以降の慢性的練習不足がたたり、気がつくと私の体はランナーのそれではなくなっていました。ちょっと走るだけで息が上がり動悸が激しくなります。5kmも走ると足は鉛のように重くなります。練習で10kmを走れるような状態まで戻すのにもずいぶん時間がかかりました。
その後も思うように調子は戻ってきません。ようやく10?くらいはスムーズに走れるようになったものの、そこからなかなか距離を延ばすことができません。さらにペースを上げて走ることができません。ちょっとペースを上げると胸が痛くなったり動悸が早くなったり、体がついてきてくれません。結局今年に入ってから1日の最長距離は17?にとどまりました。そしてついにキロ5分台で走ることはほとんどできませんでした。
これだけでも大会に向けて不安材料がたっぷりなのに、さらに大きな試練の中で走ることになってしまいます。(つづく)
最近のマラソンブームの影響で、各地に都市型大規模マラソンが続々と誕生しています。これは私たちランナーにとってありがたいことです。各地のいろいろな大会に参加する可能性が広がるのですから。
ところが現実にはそうそう喜んでいられる状況ではありません。そうした大規模大会の多くは抽選であり、東京マラソンは10倍を超える倍率となっています。自分が大会を選ぶのではなく、大会から選ばれるという現実となっています。
それでは抽選ではなく先着順の大会を選ぼうとしても、超人気大会はあっという間に定員が埋まってしまいます。北海道マラソンのように10時間を超える大会はまだエントリーしやすい方で、長野マラソンのように30分もかからずに1万人近い定員が埋まってしまうという大会もあります。
誰が呼んだか『マラソン狂走曲』。0次関門という言葉も生まれ、大会を走る前にエントリーそのものが大きな関門として立ちはだかるようになってきました。
都市型マラソンで各地を巡るのも大きな魅力ですが、だんだんこのエントリーの大変さについていけなくなってきた私。今年は原点に立ち返り、いくつかの大会を除いてはエントリー関門の心配がないローカル大会を中心に走りたいと思うようになりました。その第1弾として選んだのが、なよろ憲法記念ロードレースでした。
なよろ憲法記念ロードレースは、今年で第62回目を迎える道内でも屈指の歴史を誇るレースです。かつては名寄・風連間(1年おきに風連・名寄間と交互になりました)憲法記念ロードレースという大会名で、名寄市と風連町を結ぶワンウェイコースを走る(1年おきにスタートとゴールが入れ替わりました)、最長10kmのロードレースでした。
我が家からも、走り始めのころは毎年のように子供たちとともに参加していました。Ogakunはゼッケン1番をつけて走ったこともあります。
しかし名寄市と風連町が2006年に合併したことにより、大会の姿も大きく変わりました。大会名から風連の名前が消え、大会会場もなよろ健康の森に移して折り返しコースで行われるようになりました。我が家では12年前に出場したのが最後ですから、会場を移してからは出場したことがありませんでした。
会場が変わってからも最長10kmのロードレースであることは変わりませんでした。ところが昨年から10km折り返し地点の少し先にハーフの折り返し点を設け、ここを2往復するハーフマラソンが新設されました。
ローカル志向が高まったことと、新しくなった憲法記念ロードレースを見たかったことと、それらの理由から今年は12年ぶりの憲法記念ロードレースに参加を決めたのです。
かつては出ていた大会といっても、コースも距離も違い実質的には初参加です。アップダウンのあるコースという噂は聞いていても、それがどの程度のものなのかも全然知りません。それでもハーフマラソンなら何とかなるだろうと甘く見ていました。
ところが敵は思わぬところに潜んでいたのです。
最初の敵は練習不足でした。昨年の秋以降の慢性的練習不足がたたり、気がつくと私の体はランナーのそれではなくなっていました。ちょっと走るだけで息が上がり動悸が激しくなります。5kmも走ると足は鉛のように重くなります。練習で10kmを走れるような状態まで戻すのにもずいぶん時間がかかりました。
その後も思うように調子は戻ってきません。ようやく10?くらいはスムーズに走れるようになったものの、そこからなかなか距離を延ばすことができません。さらにペースを上げて走ることができません。ちょっとペースを上げると胸が痛くなったり動悸が早くなったり、体がついてきてくれません。結局今年に入ってから1日の最長距離は17?にとどまりました。そしてついにキロ5分台で走ることはほとんどできませんでした。
これだけでも大会に向けて不安材料がたっぷりなのに、さらに大きな試練の中で走ることになってしまいます。(つづく)
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