frunブログ集
メイン | 簡易ヘッドライン |
なよろ憲法記念ロードレース、エントリー完了 (2014-3-4 23:23:47)
3月20日のアスリートの風に出演した時にもお話しようと思っていますが、今年はローカル大会にたくさん出たいと思っています。大規模都市型マラソンが増え、それらにもたくさん出たいものの、抽選倍率が高かったり遠征費用の問題があったりしてなかなか出られません。こういう時代だからこそ、市民マラソンの原点ともいえるローカル大会を見直して見たいと思ったのです。
そのようなこともあって、5月の大会は洞爺湖でもノーザンホースパークでも豊平川でもなく、なよろ憲法記念ロードレースを選びました。
この大会、ことしで62回目という歴史のある大会です。なにしろ私が生まれるよりもはるかに前から行われていたのですから。
第1回大会が行われたのは昭和28年(1953年)5月3日の憲法記念日です。名寄市と風連町の交流推進などを目的に行われていたということで、私が美瑛に住んでいてこの大会に参加していた頃は、名寄市と風連町を発着点とする「名寄風連間憲法記念ロードレース」という名前でした。スタートとゴールは1年おきに入れ替えて、風連をスタートする年は大会名も「風連名寄間」と変わっていました。
しかし名寄市と風連町が合併したため、名称を変更するとともにコースも変更となりました。もとのコースはJRの踏切を横断したり交通量の多い区間を走ったりと安全上の問題もあったようです。
私がこの大会に参加したのは2000年から2002年までの3回です。2000年はOgakunと2人で6kmに出場し、翌年からOgakunは10kmに、そして私は娘とともに5km、6kmに参加しました。
最初の年はOgakunに挑んだものの30秒ほど負けました。翌2001年は3月末に痔の手術を受けた年です。ゴールデンウイークからランに復帰してまもなく迎えた大会ということで、リハビリランでした。娘と一緒にゆっくり走りました。それなのに娘はゴール前でラストスパートをしやがって、私は負けてしまいました。
続く2002年は本当は10kmに出たかったのですが、娘が1人で6kmに出るのを嫌がりまして(ゴール地点からスタート地点までバスで移動して1人で待つのがいやだったようです)、仕方なく私も6kmに出ることにしました。
このときは前半から無謀なペースで走ってあっさりばててしまった娘を叱咤激励しながら走ることとなり、全力で走ることはできませんでした。でもゴール前で娘がスパートするであろうことは私も予測していましたから、こちらもすぐに対応して前年のリベンジを果たしました(笑)。
そんなこんなでローカル大会ならではの雰囲気を楽しんだ大会ですが、最後に参加してから12年が経ちました。早いものですねえ。大会名が変わりコースが変わっただけではありません。昨年からはハーフマラソンも誕生しました。
留萌から名寄まで3時間かけていって10kmを走るだけじゃ・・・と思っていましたが、ハーフマラソンを走るならば片道3時間かけていってもいいかな、と思えてしまいます。新しくなった憲法記念ロードレースを覗きにいきたくなりました。
しかもこの大会の魅力的なところは、エントリー期間内に申し込めば全員参加できるということです。最近は参加者の増加に対応しきれないため定員を設けている大会も多く、あっという間に締め切られてしまう大会も少なくありません。そのため全体的にランナーのエントリー行動も変わってきて、エントリーが始まると同時に申し込むという人が増えています。参加するかどうかじっくり検討することがなかなかできません。
その点この大会は大丈夫です。だからゆっくりエントリーしようと思いました。
でもダメです。出ると決めたら待てません(笑)。マラソンブームになる前から、私は出ようと思った大会はエントリー開始と同時に申し込むようにしてきました。そういう癖が残っているだけに、じっとエントリー期間の終盤まで待つということができません。エントリー初日の昨日は我慢していましたが、今日はもう我慢できずに申し込みました。
ということで、今年は12年ぶりの憲法記念ロードレースに参戦します。みなさんもいかがですか?
そのようなこともあって、5月の大会は洞爺湖でもノーザンホースパークでも豊平川でもなく、なよろ憲法記念ロードレースを選びました。
この大会、ことしで62回目という歴史のある大会です。なにしろ私が生まれるよりもはるかに前から行われていたのですから。
第1回大会が行われたのは昭和28年(1953年)5月3日の憲法記念日です。名寄市と風連町の交流推進などを目的に行われていたということで、私が美瑛に住んでいてこの大会に参加していた頃は、名寄市と風連町を発着点とする「名寄風連間憲法記念ロードレース」という名前でした。スタートとゴールは1年おきに入れ替えて、風連をスタートする年は大会名も「風連名寄間」と変わっていました。
しかし名寄市と風連町が合併したため、名称を変更するとともにコースも変更となりました。もとのコースはJRの踏切を横断したり交通量の多い区間を走ったりと安全上の問題もあったようです。
私がこの大会に参加したのは2000年から2002年までの3回です。2000年はOgakunと2人で6kmに出場し、翌年からOgakunは10kmに、そして私は娘とともに5km、6kmに参加しました。
最初の年はOgakunに挑んだものの30秒ほど負けました。翌2001年は3月末に痔の手術を受けた年です。ゴールデンウイークからランに復帰してまもなく迎えた大会ということで、リハビリランでした。娘と一緒にゆっくり走りました。それなのに娘はゴール前でラストスパートをしやがって、私は負けてしまいました。
続く2002年は本当は10kmに出たかったのですが、娘が1人で6kmに出るのを嫌がりまして(ゴール地点からスタート地点までバスで移動して1人で待つのがいやだったようです)、仕方なく私も6kmに出ることにしました。
このときは前半から無謀なペースで走ってあっさりばててしまった娘を叱咤激励しながら走ることとなり、全力で走ることはできませんでした。でもゴール前で娘がスパートするであろうことは私も予測していましたから、こちらもすぐに対応して前年のリベンジを果たしました(笑)。
そんなこんなでローカル大会ならではの雰囲気を楽しんだ大会ですが、最後に参加してから12年が経ちました。早いものですねえ。大会名が変わりコースが変わっただけではありません。昨年からはハーフマラソンも誕生しました。
留萌から名寄まで3時間かけていって10kmを走るだけじゃ・・・と思っていましたが、ハーフマラソンを走るならば片道3時間かけていってもいいかな、と思えてしまいます。新しくなった憲法記念ロードレースを覗きにいきたくなりました。
しかもこの大会の魅力的なところは、エントリー期間内に申し込めば全員参加できるということです。最近は参加者の増加に対応しきれないため定員を設けている大会も多く、あっという間に締め切られてしまう大会も少なくありません。そのため全体的にランナーのエントリー行動も変わってきて、エントリーが始まると同時に申し込むという人が増えています。参加するかどうかじっくり検討することがなかなかできません。
その点この大会は大丈夫です。だからゆっくりエントリーしようと思いました。
でもダメです。出ると決めたら待てません(笑)。マラソンブームになる前から、私は出ようと思った大会はエントリー開始と同時に申し込むようにしてきました。そういう癖が残っているだけに、じっとエントリー期間の終盤まで待つということができません。エントリー初日の昨日は我慢していましたが、今日はもう我慢できずに申し込みました。
ということで、今年は12年ぶりの憲法記念ロードレースに参戦します。みなさんもいかがですか?
execution time : 0.026 sec