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STAP細胞に思うこと (2014-2-2 11:24:40)
先日報じられた、理化学研究所の小保方博士らによる「STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)」発見は、ノーベル賞級の衝撃として世界を駆け巡った。STAP細胞そのものの詳しい解説は各所でなされているであろうからそちらに譲るとして、一口で説明するなら、受精卵のように体のあらゆる臓器・組織等に分化しうる能力(多様性)は、一旦それらの臓器等(体細胞)になってしまうと、もうそれ以外の臓器等にはなれないとされていたが、細胞にストレスを与えることで再び多様性を取り戻すこと(=初期化)ができる、ということである。一方、ノーベル賞を受賞した山中教授の「iPS細胞」では遺伝子に操作を加えることで初期化を行っており、また「ES細胞」はまだ多様性を有する受精卵や分化初期段階の胚を使うというものであるが、今回のすごいところは、細胞を酸性の液に晒す、狭い管を通すといった思いのほか簡単な方法で体細胞が初期化できてしまった、ということである。これまで常識的にありえないとされていたのが、実はできるということがわかった。だから衝撃的ニュースとして報じられたわけである。
さてここから私見としていろいろ考えたことを述べるが、そもそもなぜ多様性は受精卵だけにあって体細胞になると失われるのか、という疑問である。多様性を残したままの方が何かと便利なはずなのに、なぜその能力を捨ててしまうのだろうか。それぞれの必要な機能に分化することで、その用途に対する能力・効率は上がるが、その代償として他の機能へコンバートする能力が失われてしまうのではないか。例えるならば、少年野球の時はピッチャーとしてもバッターとしても万能な選手だったとしても、プロ野球の選手となる場合はピッチャーならピッチャー、外野手ならば外野手として専業化して、あれこれ違うポジションを担うことは、通常はない。これと似たようなものなのだろうか。だとすれば、ごくたまにやむをえない理由で外野手から内野手にコンバート、ということがあるが、それと似たようなことが細胞では過酷な環境に晒されることなのではなかろうか。
次に、この技術が発展すれば若返りや、さらに飛躍すれば不老不死につながるのではないかという期待があるが、少なくとも「不死」はないだろうと考える。というのも、報道ではそこまでの話が出ていないが、これは細胞が初期化できたということであって、テロメアの問題を克服したわけではないからである。テロメアとは、ごく簡単にいえば直線状の遺伝子の末端にある無意味な遺伝子配列の繰り返しである。細胞分裂の際、直線状の遺伝子の端っこがどうしても複製しきれずに切れてしまう。本体の遺伝子情報に支障をきたさないよう、切れてもいいようなバッファがテロメアなんだろうと思うが、細胞分裂を繰り返すごとにテロメアは短くなり、やがてなくなる。そうなると細胞はもうそれ以上分裂をすることができなくなる。つまり細胞には分裂できる回数に限界(=ヘイフリック限界)がある。だからこそ生き物には寿命があるのだ。STAP細胞などの技術が進んで臓器が再生できるようになったとしても、そもそもの細胞分裂の回数の限界を延長できたわけではない。実験では、生まれて間もないマウスならばできるが、大人になったマウスではうまくいっていないというように聞いているが、このことと関係があるのではないだろうか。というわけで、産まれて間もないころの細胞を冷凍保存しておいて、年取ってから悪くなった臓器を、残しておいた細胞から再生医療で修復、なんていうことが将来起きてくるのだろうか。不老不死と遺伝子の関係は思うところをまた別の機会に詳しく述べたい。
最後に、今回の大発見の中心人物である小保方博士が女性で30歳という若さ、ということで、そのパーソナリティにかなり注目が集まっているようだが、正直マスコミの野次馬根性にはうんざりである。当の本人からも研究に支障が出るから取材は遠慮してほしいという要望が出ていて、もっともな話である。これは他の事例で言うと、有力なオリンピック選手に散々取材陣が押し掛けて余計なプレッシャーを与えて、本番でいい結果が出せなかったりすることと共通の印象を覚える。マスコミは、応援するのではなく当人の足を引っ張るような余計なことをしているのではないか。少なくともそうはなっていないかを常に顧みる心がけをしてもらいたいものである。今回のような斬新な発見を、芽をつぶすことなくサポートした周囲の人や組織はどういうものなのか、あるいは臨床実験に至るまでにある日本の医薬関係の様々な障壁をつきつめて取材して、第二第三の小保方さんを生み出し、その成果がより早く医療に生かされるような土壌が整備されることを期待したい。