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人前で号泣しました (2013-9-17 12:35:55)
ブログネタ:人前で泣ける? 参加中
私の場合、高校時代は演劇部にいましたから・・・。
泣きの芝居もあるわけで、観客の前で泣かねばならない場面もあるわけです。ですから人前で泣くことに抵抗がないのかもしれません。もっといえば、「ここで泣いた方が効果がある」と思ったら逆に泣いてしまう場面もあるかもしれません。
でもそうした人前であることを意識することなく、というか、周りに人がいようがいまいが関係なく、感極まって号泣したことがあります。
それがこのときです。
今回の連休で自宅の荷物を片付けて発見したお宝ですが、2003年の北海道マラソンに初挑戦初完走したときのものです。
当時の北海道マラソンは、私にとって参加するだけでもハードルの高い大会でした。過去2年間の大会でフル4時間またはハーフ1時間40分を切っていなければエントリーできず(大会事務局で申告内容をチェックし、虚偽申告の場合は受け付けてもらえませんでした)、しかも関門が厳しく(5kmごと28分〜29分で設定され、最終関門は40kmを3時間45分でした)、当時の自己ベストが4時間17分の私には完走を夢見ることすら難しい大会でした。参加資格はハーフ1時間36分台の記録(距離が短いという疑惑があった大会ですが)で得ていた私ですが、フルマラソンではいつも30km過ぎに大失速をしていました。
そんな私ですが「絶対にたどり着いてみせる」という強い気持ちを持って最後まで走り、周囲の予想を裏切ってゴールに飛び込んだのです。その直前の写真がこのゴール写真です。その後のなりゆきを知っている私は、このときの私が目に一杯の涙を湛えていることがわかります。はっきり言ってゴールは霞んでよく見えませんでしたから。
中島公園に入って間もないこの時なんか、完全に泣きながら走っていたんじゃなかったかな・・・。
ゴールした私は完走メダルをかけてもらい、その次の瞬間、あたりをはばかることなく大声をあげて泣きました。まさしく号泣でした。壊れてしまったのではないかというくらい泣きました。
当時43歳。いいおっさんが恥ずかしげもなく泣きました。無理もありません。走ることにはまってから大会出場が楽しくてたまらなかったのに、この北海道マラソンは本当に怖かったですから。スタート地点の真駒内競技場で自分は場違いなところにいると思って、エントリーしたことを心から後悔していましたから。
それだけにゴールをしたときは言葉で言い表せないいろいろな感情がこみ上げてきました。そんな感情が号泣という形となって表れてきたのだと思います。
それ以後は、あんなに泣いたことがありません。初めてのサロマのときも、5年ぶりに完走をした昨年のサロマも、ゴール前で涙が出てきても、ゴール直後は泣けませんでした。そのくらい、北海道マラソン初完走のゴールは特別なものでした。
あの感動が忘れられなくて、私は未だに走っています。
私の場合、高校時代は演劇部にいましたから・・・。
泣きの芝居もあるわけで、観客の前で泣かねばならない場面もあるわけです。ですから人前で泣くことに抵抗がないのかもしれません。もっといえば、「ここで泣いた方が効果がある」と思ったら逆に泣いてしまう場面もあるかもしれません。
でもそうした人前であることを意識することなく、というか、周りに人がいようがいまいが関係なく、感極まって号泣したことがあります。
それがこのときです。
今回の連休で自宅の荷物を片付けて発見したお宝ですが、2003年の北海道マラソンに初挑戦初完走したときのものです。
当時の北海道マラソンは、私にとって参加するだけでもハードルの高い大会でした。過去2年間の大会でフル4時間またはハーフ1時間40分を切っていなければエントリーできず(大会事務局で申告内容をチェックし、虚偽申告の場合は受け付けてもらえませんでした)、しかも関門が厳しく(5kmごと28分〜29分で設定され、最終関門は40kmを3時間45分でした)、当時の自己ベストが4時間17分の私には完走を夢見ることすら難しい大会でした。参加資格はハーフ1時間36分台の記録(距離が短いという疑惑があった大会ですが)で得ていた私ですが、フルマラソンではいつも30km過ぎに大失速をしていました。
そんな私ですが「絶対にたどり着いてみせる」という強い気持ちを持って最後まで走り、周囲の予想を裏切ってゴールに飛び込んだのです。その直前の写真がこのゴール写真です。その後のなりゆきを知っている私は、このときの私が目に一杯の涙を湛えていることがわかります。はっきり言ってゴールは霞んでよく見えませんでしたから。
中島公園に入って間もないこの時なんか、完全に泣きながら走っていたんじゃなかったかな・・・。
ゴールした私は完走メダルをかけてもらい、その次の瞬間、あたりをはばかることなく大声をあげて泣きました。まさしく号泣でした。壊れてしまったのではないかというくらい泣きました。
当時43歳。いいおっさんが恥ずかしげもなく泣きました。無理もありません。走ることにはまってから大会出場が楽しくてたまらなかったのに、この北海道マラソンは本当に怖かったですから。スタート地点の真駒内競技場で自分は場違いなところにいると思って、エントリーしたことを心から後悔していましたから。
それだけにゴールをしたときは言葉で言い表せないいろいろな感情がこみ上げてきました。そんな感情が号泣という形となって表れてきたのだと思います。
それ以後は、あんなに泣いたことがありません。初めてのサロマのときも、5年ぶりに完走をした昨年のサロマも、ゴール前で涙が出てきても、ゴール直後は泣けませんでした。そのくらい、北海道マラソン初完走のゴールは特別なものでした。
あの感動が忘れられなくて、私は未だに走っています。
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