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レース後の 輝く夜に 君がいる〜2013北海道マラソン完走記4 (2013-8-31 23:28:50)
(4)隙間がない
もう荷物は預けてしまっているし、スタートブロックから出ることもできません。もはやどうにもなりません。フルマラソンは4時間前後の所要時間ですから、座薬を1つ使えばいいと思って飲み薬はホテルの部屋においてきました。せめてこれを予備として持ってきていれば・・・でもそれも後の祭りです。
いっそのことずっと忘れていればよかったのに、下手に気づいてしまったばかりに腰が痛み始めたような錯覚もあります。まずいことになりました。
でももう開き直るしかありません。飲み薬を用意していた今年2月の熊本城マラソンでは、走り出してすぐ胃の調子が悪くなったため痛み止めを飲むことを自重しました。でも結局最後まで腰はもってくれました。そのとき同様、フルマラソン程度なら最後までもってくれるだろう、と自分に言い聞かせました。
招待選手の紹介も始まります。女子の招待選手の中には、ホクレンの赤羽有紀子さんもいます。ずっと応援を続けてきている赤羽さんですが、こうして同じ舞台を走るのは初めてのことです。新川通ですれ違うときにさっそうと先頭を走ってくる姿を思い描いていました。
全招待選手の紹介が終わると、スタートまで間もなくです。大通公園の木々の間からわずかに見えるテレビ塔の時計に注目をします。「8:59」の表示になるとともに、「0:59」「0:58」・・・とカウントダウンが始まるからです。今年もこのカウントダウンを見ながら心臓の鼓動が少しずつ増していくことを感じました。
30秒前からはMCの合図とともに手拍子が起こります。そして10秒前からはカウントダウンの声も聞こえてきます。
「バン」
テレビ塔の時計が「0:00」を示すとともに高橋北海道知事が号砲を打ち鳴らしました。それと同時に、ランナーのあいだでも一斉に拍手が起こります。
テレビ塔の時計は「0:01」「0:02」・・・とカウントをしていきます。しかし私たちは少しずつ歩いて前進するのみで、走り出すには至りません。フルマラソン12,000人とファンラン3,000人。合計15,000人が一斉にスタートするのですから、簡単にスタートは切れません。フルマラソンはAブロックからEブロックまで。そのうち私はDブロック。しかもその後方ですから、かなり後方からのスタートとなります。
Cブロックからスタートした昨年は2分04秒のスタートロスでしたが、今年は5分程度を覚悟していました。3時間50分18秒という北海道マラソンの自己ベストを更新するためにネットタイムで3時間45分を狙うと宣言したのも、そういう計算からです。
歩きながら前進し、徐々にスタートゲートが近づきます。号砲から4分29秒後にスタートラインを通過しました。
駅前通りを中島公園に向かって道幅いっぱいに広がって走ります。かつては中島公園のゴールを目指す花道だったところです。当時も参加していた者にとっては感慨深いコースです。でもスタート直後でとにかく混んでいることもあり、ゆっくり楽しむことはできません。前後左右、どちらを見てもほとんど隙間がないくらい詰まっています。
最初の1kmは6分09秒かかりました。やむを得ません。スタート直後はペースを上げられないことは覚悟の上です。でもこの混雑ぶりは想定以上です。もう少し速いペースで走りたい人もいて、その人が穴を見つけながら走るだろうから後ろをついていこうと思っていました。ところが見渡す限り穴はなく、相当強引な走りをしないと前に出られそうにありません。
序盤はオーバーペースを避けるため、この流れに身を任せるのも作戦のうちです。でもそのためには最低でも5分台の流れがほしいです。6分09秒というのはあまりにも遅すぎます。この流れに染まってしまうとその後のペースアップも難しくなります。私の中に焦りが生まれました。穴を見つけて前に出て壁に阻まれペースを落とす。そんなロスの多い走りをしながら先を急ぎました。
2kmは5分44秒、3kmは5分51秒。そんなちぐはぐな走りでペースアップを図ってもこれが限界です。とても3時間45分を目指せるようなペースにはなりません。気持ちだけが焦り始めます。
4kmは5分47秒、5kmは5分49秒。全くペースが上がらないまま5km地点を通過してしまいました。5kmの通過タイムは33分49秒。スタートのロスタイムを差し引いても29分20秒もかかっています。ネットで3時間45分どころか、4時間も切れないペースです。焦りばかりが大きくなり始めました。(つづく)
(1)チャレンジ
(2)対決前夜
(3)青い空と黒い雲