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ロシアの声(旧モスクワ放送局) その1(短波放送終了へ) (2013-8-23 20:53:51)
まさか、この放送局が短波帯から完全撤退するなんて、全く想像も出来ませんでした。
いくら短波放送が減ってきていても、この放送局は生き残ると思ってました。
廃止後は低出力の中波、3波だけの放送になるようです。完全にローカル局へ..。
モスクワ放送局時代は、これとは別に、「平和と進歩放送」「全連邦放送」という2つのこれまた巨大な短波放送局が存在し、
まさにソ連が短波帯を完全に支配していました。
モスクワ放送局は1980年代は一日に述べ500波、約70言語の放送、出力も500KW!!英語放送にいたっては24時間放送でした。
アフガニスタン、キューバ等にも中継局を持ち、世界のどこでも容易に聞ける放送でした。
ブレジネフ書記長を始め、後の書記長が亡くなった際は、まず数日間、クラッシク音楽のみの放送へ。しかもチャイコフスキーの「悲愴」等。
このように番組が変更になると、何か起きた!!と感じたわけです。
なかなか状況をうち明けない、そういう放送局でもありました。
ソ連崩壊後、この局は弱体化へ...。
いろいろと思い出があります。それはまた改めて。
短波廃止の詳細はこちら
いくら短波放送が減ってきていても、この放送局は生き残ると思ってました。
廃止後は低出力の中波、3波だけの放送になるようです。完全にローカル局へ..。
モスクワ放送局時代は、これとは別に、「平和と進歩放送」「全連邦放送」という2つのこれまた巨大な短波放送局が存在し、
まさにソ連が短波帯を完全に支配していました。
モスクワ放送局は1980年代は一日に述べ500波、約70言語の放送、出力も500KW!!英語放送にいたっては24時間放送でした。
アフガニスタン、キューバ等にも中継局を持ち、世界のどこでも容易に聞ける放送でした。
ブレジネフ書記長を始め、後の書記長が亡くなった際は、まず数日間、クラッシク音楽のみの放送へ。しかもチャイコフスキーの「悲愴」等。
このように番組が変更になると、何か起きた!!と感じたわけです。
なかなか状況をうち明けない、そういう放送局でもありました。
ソ連崩壊後、この局は弱体化へ...。
いろいろと思い出があります。それはまた改めて。
短波廃止の詳細はこちら
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