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捨てる神あれば拾う神あり (2013-7-31 12:28:46)
昨夜はノリノリアゲアゲな日記を書いてしまいました。一時は運気が低迷していましたが、今はどんどん上昇しています。
面白いもので、長く生きているとこうした運の流れがあるというのがよくわかります。運気が低迷しているときは極力行動を控えて運気が上昇するのを待ち、運気の上昇を感じたらそこから一気に行動に出る、という自分の行動パターンも確立しました。
でも自分がこうしてわが世の春を謳歌していられるのは運気の上昇のおかげだけではありません。私が困っているときに手を差し伸べてくれる仲間たちの存在が欠かせません。先日もそれまで進めていた話が頓挫して途方にくれていたときに手を差し伸べてくれる人が現れて救っていただいたということがありました。「捨てる神あれば拾う神あり」を実感しました。
そう思ったときに突然思い出したエピソードがあります。もう40年も前のこと、私も拾う神になったというエピソードです。
あれは多分中学生か、小学校の高学年の頃だったと思います。時期は1月だと思うのですが、北海道新聞地方版のコラムに、お金を落としたんだったかな、困っているお母さんの話が出ていたんです。その記事を読んで気の毒に思った私は、なけなしの1万円札を匿名で(普通郵便で現金を送りました。ごめんなさい。)道新旭川支社に送りました。少ないけど役立ててくださいって。
すると後日、そのことが同じコラムで取り上げられたんです。「捨てる神あれば拾う神あり」って。そのお母さんがとても喜んでいるというのを見てとても嬉しく思いました。そしてそのことは親にも友達にもいっさい言わず、自分の心の中にしまって満足し、やがて忘れてしまいました。
今回、「捨てる神あれば拾う神あり」という諺のことを考えていたら突然思い出してしまいました。もう40年も昔のことですから、このエピソードを披露してもかまいませんよね。
このことを考えていてもうひとつ浮かんだ諺が「情けは人の為ならず 巡り巡って己が為」です。人と人の関係って、本当にこういうものだと思います。困った人に手を差し伸べることができるからこそ自分が困っているときに手を差し伸べてもらえるんですね。
人と人とのつながり。これからも大切にしていきたいと思います。