frunブログ集
メイン | 簡易ヘッドライン |
サロマ湖100kmウルトラマラソン未完走記 (2013-7-13 16:01:06)
サロマから帰ってきて2週間となります。 サロマは完走できませんでしたが、来年に繋げる為に未完走記としてまとめました。
サロマ7回目のチャレンジにして初のDNFでした。昨年の8月の左足指の骨折、さらに9月の右膝の故障以来、不調が続き、今年に入り少し持ち直しましたが、5月から右膝痛が再発し、5月6日より休養。 そして6月からランは再開しましたが、4km走るのが精一杯で、10km以上は走っていませんでした。そういう状況で今回はスタートラインに立つかどうか大変悩みました。 しかし、妻の一言「せっかく行くのだから、走ったら」で決意しました。そして次に考えるのは大会関係者の皆さんに迷惑をかけない様にすることです。
まずは無理をしないこと、棄権する場合は中途半端な地点で止まらない様に、関門地点まで行くことです。サロマの最初の関門は30km。凄く不安ですが、歩いてでも30kmまで辿り着かないといけないと決意しました。
前日、ラン友さんのヒロさんの現地入り。女満別空港からゴール地点の常呂町までレンタカーで移動。ゴール地点にあるサロマンブルーの皆さんの足型のモニュメントを見ながら、nakayoshiさん、酔いどれランナーさんの足型を見つけました。それからヒロさんはサロマ初参戦だったのでスタート地点の湧別の受付会場までレンタカーでコース案内しました。途中6月30日、好天の中、サロマのスタートラインに立ちました。
さて当日、1:30に起床。ホテルで朝食をとり、3:15ホテル出発。スタート地点に4時着。
トイレに並び、20分前にスタート地点に整列しました。いつもの様に路面に手を当てて、スタートラインに立てたことに感謝。天気は良く、暑くなりそうです。
5時号砲。 右膝は大丈夫そうです。早朝の中、毎年ですが、湧別オホーツク園の入所の皆さん、湧別町の商店街の皆さんの応援があり力が入りました。本当にありがたいです。
最初の5kmは32’44”で通過。右膝はOKです。そして10kmを1:03’44”(SPLIT- 31’00”)通過。 やがて右手にサロマ湖が見えてきました。 15kmを1:35’09”(SPLIT -31’25”)で通過。 脚が少し軽くなったのでペースが上がりました。 先頭ランナーが折り返してきます。 ヒロさんと巨匠さんとエール交換です。 しかし、ここから左腰の違和感が強くなり、そして間もなく、竜宮台折り返しです。 だんだん辛くなりました。20kmを2:07’01”(SLIT- 31’52”)で通過後、とうとう脚が止まりました。右膝は大丈夫ですが、走ろうとすると左腰と左脚の付け根に違和感と痛み。ここから歩きます。後続のランナーの邪魔にならない様に歩道に上がって歩きます。
25kmを2:57’35”(SPLIT:50’34”)で通過。何とか最初の関門の30kmまで行けそうと思い、少し安堵しました。ここから少し走り始めます。コースは左折し、とろとろ走っていると、歩道を歩いているランナーがいました。声をかけると膀胱炎発症ということでナンバーカードを外したということです。「まだまだ時間があるので頑張って」と声をかけて頂きました。このサロマを走っている多くのランナーは色々のことを抱えながら走っていると実感しました。そして30km地点到着。3:42’46”(SPLIT:42’46”)。 関門まで17分でした。どうしようか先に行くべきかどうか。次の関門は41km。先ほどのランナーの「まだまだ時間があるので頑張って」という言葉が後押しとなり走り始めます。そして歩き、走りを交えながら先へ進みます。この頃になるとひょっとしたら完走できるのではと思いましたが歩きから走り始めると違和感が大きく、その思いはすぐに消えました。3
5kmを4:25’11”(SPLIT:42’25”)で通過。 コース上のランナーがいつの間に少なくなりました。救護用の自転車がコースを走っています。自転車のスタッフの方の無線の声を聴くと、「30〜40km間でリタイヤ者が多くなり、回収車が追い付かない」という内容でした。やっぱり関門までの途中棄権はスタッフに迷惑をかけてしまうと次の関門の41kmに向けて走ります。40kmを5:12’13” (SPLIT:47’01”)で通過。関門まで13分。 関門の41kmが見えてきました。大型バスが止まっています。「関門が3分です!!頑張って!!」とスタッフの方の大きな声が。しかし41kmで時計を止めてリタイヤ宣言をしました。5:22’47”。関門まで2分13秒でした。
収容バスはほぼ満車。隣に座っていたランナーと会話しました。昨年、肝臓の手術されて今回復帰レースということ。しかしながら途中、体に異変を感じて棄権されたといことでした。もう歳ということで来年は走らないとうことでした。「是非来年も走りましょう」と言いました。来年一緒に走れたらと思いでした。
今回は41kmで終わりましたが、また一つ忘れることができないレースとなりました。 来年も挑戦します。10回完走を目指して!!
20km過ぎ付近。 ほとんど歩いていました。
サロマ7回目のチャレンジにして初のDNFでした。昨年の8月の左足指の骨折、さらに9月の右膝の故障以来、不調が続き、今年に入り少し持ち直しましたが、5月から右膝痛が再発し、5月6日より休養。 そして6月からランは再開しましたが、4km走るのが精一杯で、10km以上は走っていませんでした。そういう状況で今回はスタートラインに立つかどうか大変悩みました。 しかし、妻の一言「せっかく行くのだから、走ったら」で決意しました。そして次に考えるのは大会関係者の皆さんに迷惑をかけない様にすることです。
まずは無理をしないこと、棄権する場合は中途半端な地点で止まらない様に、関門地点まで行くことです。サロマの最初の関門は30km。凄く不安ですが、歩いてでも30kmまで辿り着かないといけないと決意しました。
前日、ラン友さんのヒロさんの現地入り。女満別空港からゴール地点の常呂町までレンタカーで移動。ゴール地点にあるサロマンブルーの皆さんの足型のモニュメントを見ながら、nakayoshiさん、酔いどれランナーさんの足型を見つけました。それからヒロさんはサロマ初参戦だったのでスタート地点の湧別の受付会場までレンタカーでコース案内しました。途中6月30日、好天の中、サロマのスタートラインに立ちました。
さて当日、1:30に起床。ホテルで朝食をとり、3:15ホテル出発。スタート地点に4時着。
トイレに並び、20分前にスタート地点に整列しました。いつもの様に路面に手を当てて、スタートラインに立てたことに感謝。天気は良く、暑くなりそうです。
5時号砲。 右膝は大丈夫そうです。早朝の中、毎年ですが、湧別オホーツク園の入所の皆さん、湧別町の商店街の皆さんの応援があり力が入りました。本当にありがたいです。
最初の5kmは32’44”で通過。右膝はOKです。そして10kmを1:03’44”(SPLIT- 31’00”)通過。 やがて右手にサロマ湖が見えてきました。 15kmを1:35’09”(SPLIT -31’25”)で通過。 脚が少し軽くなったのでペースが上がりました。 先頭ランナーが折り返してきます。 ヒロさんと巨匠さんとエール交換です。 しかし、ここから左腰の違和感が強くなり、そして間もなく、竜宮台折り返しです。 だんだん辛くなりました。20kmを2:07’01”(SLIT- 31’52”)で通過後、とうとう脚が止まりました。右膝は大丈夫ですが、走ろうとすると左腰と左脚の付け根に違和感と痛み。ここから歩きます。後続のランナーの邪魔にならない様に歩道に上がって歩きます。
25kmを2:57’35”(SPLIT:50’34”)で通過。何とか最初の関門の30kmまで行けそうと思い、少し安堵しました。ここから少し走り始めます。コースは左折し、とろとろ走っていると、歩道を歩いているランナーがいました。声をかけると膀胱炎発症ということでナンバーカードを外したということです。「まだまだ時間があるので頑張って」と声をかけて頂きました。このサロマを走っている多くのランナーは色々のことを抱えながら走っていると実感しました。そして30km地点到着。3:42’46”(SPLIT:42’46”)。 関門まで17分でした。どうしようか先に行くべきかどうか。次の関門は41km。先ほどのランナーの「まだまだ時間があるので頑張って」という言葉が後押しとなり走り始めます。そして歩き、走りを交えながら先へ進みます。この頃になるとひょっとしたら完走できるのではと思いましたが歩きから走り始めると違和感が大きく、その思いはすぐに消えました。3
5kmを4:25’11”(SPLIT:42’25”)で通過。 コース上のランナーがいつの間に少なくなりました。救護用の自転車がコースを走っています。自転車のスタッフの方の無線の声を聴くと、「30〜40km間でリタイヤ者が多くなり、回収車が追い付かない」という内容でした。やっぱり関門までの途中棄権はスタッフに迷惑をかけてしまうと次の関門の41kmに向けて走ります。40kmを5:12’13” (SPLIT:47’01”)で通過。関門まで13分。 関門の41kmが見えてきました。大型バスが止まっています。「関門が3分です!!頑張って!!」とスタッフの方の大きな声が。しかし41kmで時計を止めてリタイヤ宣言をしました。5:22’47”。関門まで2分13秒でした。
収容バスはほぼ満車。隣に座っていたランナーと会話しました。昨年、肝臓の手術されて今回復帰レースということ。しかしながら途中、体に異変を感じて棄権されたといことでした。もう歳ということで来年は走らないとうことでした。「是非来年も走りましょう」と言いました。来年一緒に走れたらと思いでした。
今回は41kmで終わりましたが、また一つ忘れることができないレースとなりました。 来年も挑戦します。10回完走を目指して!!
20km過ぎ付近。 ほとんど歩いていました。
execution time : 0.025 sec