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またしても ゴールが遠い サロマみち〜第28回サロマ湖100kmウルトラマラソン未完走記 (2013-7-5 23:19:42)
2005年 完走(1回目) 12時間54分36秒
2006年 リタイア(48km地点)
2007年 完走(2回目) 12時間51分43秒
2008年 リタイア(68km地点)
2009年 リタイア(26km地点)
2010年 リタイア(60km地点)
2011年 DNS
2012年 完走(3回目) 12時間55分14秒
これまで8回エントリーし、出場7回で完走は3回。3回連続リタイアを含めてゴールから5年も離れていた昨年は、もう2度とサロマを完走することはないのではないかという不安にも襲われながらも完走することができました。今年の目標はいまだ成し遂げていない2年連続完走です。昨年の完走でようやく自信がよみがえってきた私ですが、2年続けて完走することができればその自信も確固たるものになるでしょう。
臨戦過程は必ずしも順調とはいえませんでした。個人的な事情や思いがけぬ負傷などもあり、思うように練習ができない時期もありました。でもこれは走ることが本業ではない市民ランナーにとっては当たり前のことです。ほかのランナーの皆さんも、多かれ少なかれさまざまな事情の中で走る時間を作り出しています。
調整の遅れはありましたが、私には経験があります。3回完走した経験ばかりじゃありません。4回もリタイアした経験もあります。3回完走したくらいでは、完走するコツなんてまだまだわかりません。でも4回もリタイアすると、「こうしちゃいけない」ということがいろいろと見えてきます。そうしたリタイア経験を生かすことで、昨年は完走することができました。今年も基本的には昨年同様のスタンスで臨もうと思いました。
しかし昨年と比べて今年は不安材料も多くありました。昨年は5月にバンクーバーマラソンでフルを走り、その翌週のノーザンホースパークマラソンでトレイル7km+ハーフマラソンを走りました。6月に入ってからは利尻島一周悠遊覧人Gの55kmを自己ベストで走り、翌週のびえいヘルシーマラソンのワンエイツを自己ベストで走るなど、順調にきていました。
これに対して今年は、2月に熊本城マラソンを走ったものの3月に転倒して負傷してしまい、その影響もあって5月にエントリーしていた洞爺湖マラソンをDNSしてしまいました。6月に入ってからも利尻島一周悠遊覧人Gでは腰痛のため40km過ぎから歩いてしまい、びえいヘルシーマラソンでも昨年より2分近く遅れ、その後も腰痛のためほとんど走らないまま本番を迎えることとなりました。
練習不足に腰痛。大きな大きな不安材料です。一時は弱気になって、サロマでは無理せず腰痛を悪化させないように走り、今年のメインは北海道マラソンにしようと思った時期もありました。いつもサロマの2週前くらいからの1週間は不安が最大となりますので、この頃はその不安に押しつぶされそうになっていました。
でも残り1週間を切る頃から開き直ってきます。
「いやいや、スタート前からそんな気持ちで走るのは自分のランニングスタイルじゃない。いま自分が持っているすべてを出すこと。出そうとすること。それをしなければ、必ずあとから後悔する。そんな後悔を1年間引きずるのはまっぴらだ」
そう思い、気持ちはどんどん高まってきます。出発当日を迎える頃にはすっかりサロマモードになっていました。
今回は金曜日に仕事を終えたあと美瑛に向かいました。奥さんとともに美瑛の自宅に行き、翌日ひとりでサロマに向かおうという行程です。途中、旭川のびっくりドンキーに立ち寄って夕食です。混んでいましたがじっと待ちます。「喫煙席なら用意できます」と言われても待ちます。どうせならおいしい空気とともにおいしい食事をしたいですからね。
食事を終えて美瑛に向かい到着したのは21時です。風呂に入ってからゆっくりと寝ました。
翌日、朝食を終えてサロマに向かいます。意外と演技を担ぐタイプの私は、完走した昨年のルートをできるだけなぞって行こうとします。永山のGSで給油して、国道40号に出てから比布に向かい旭川紋別自動車道に乗ります。ところが入口の情報板には「故障車あり、上川層雲峡〜浮島通行止め」と書かれています。なんだかちょっと嫌な予感がしました。(つづく)
2006年 リタイア(48km地点)
2007年 完走(2回目) 12時間51分43秒
2008年 リタイア(68km地点)
2009年 リタイア(26km地点)
2010年 リタイア(60km地点)
2011年 DNS
2012年 完走(3回目) 12時間55分14秒
これまで8回エントリーし、出場7回で完走は3回。3回連続リタイアを含めてゴールから5年も離れていた昨年は、もう2度とサロマを完走することはないのではないかという不安にも襲われながらも完走することができました。今年の目標はいまだ成し遂げていない2年連続完走です。昨年の完走でようやく自信がよみがえってきた私ですが、2年続けて完走することができればその自信も確固たるものになるでしょう。
臨戦過程は必ずしも順調とはいえませんでした。個人的な事情や思いがけぬ負傷などもあり、思うように練習ができない時期もありました。でもこれは走ることが本業ではない市民ランナーにとっては当たり前のことです。ほかのランナーの皆さんも、多かれ少なかれさまざまな事情の中で走る時間を作り出しています。
調整の遅れはありましたが、私には経験があります。3回完走した経験ばかりじゃありません。4回もリタイアした経験もあります。3回完走したくらいでは、完走するコツなんてまだまだわかりません。でも4回もリタイアすると、「こうしちゃいけない」ということがいろいろと見えてきます。そうしたリタイア経験を生かすことで、昨年は完走することができました。今年も基本的には昨年同様のスタンスで臨もうと思いました。
しかし昨年と比べて今年は不安材料も多くありました。昨年は5月にバンクーバーマラソンでフルを走り、その翌週のノーザンホースパークマラソンでトレイル7km+ハーフマラソンを走りました。6月に入ってからは利尻島一周悠遊覧人Gの55kmを自己ベストで走り、翌週のびえいヘルシーマラソンのワンエイツを自己ベストで走るなど、順調にきていました。
これに対して今年は、2月に熊本城マラソンを走ったものの3月に転倒して負傷してしまい、その影響もあって5月にエントリーしていた洞爺湖マラソンをDNSしてしまいました。6月に入ってからも利尻島一周悠遊覧人Gでは腰痛のため40km過ぎから歩いてしまい、びえいヘルシーマラソンでも昨年より2分近く遅れ、その後も腰痛のためほとんど走らないまま本番を迎えることとなりました。
練習不足に腰痛。大きな大きな不安材料です。一時は弱気になって、サロマでは無理せず腰痛を悪化させないように走り、今年のメインは北海道マラソンにしようと思った時期もありました。いつもサロマの2週前くらいからの1週間は不安が最大となりますので、この頃はその不安に押しつぶされそうになっていました。
でも残り1週間を切る頃から開き直ってきます。
「いやいや、スタート前からそんな気持ちで走るのは自分のランニングスタイルじゃない。いま自分が持っているすべてを出すこと。出そうとすること。それをしなければ、必ずあとから後悔する。そんな後悔を1年間引きずるのはまっぴらだ」
そう思い、気持ちはどんどん高まってきます。出発当日を迎える頃にはすっかりサロマモードになっていました。
今回は金曜日に仕事を終えたあと美瑛に向かいました。奥さんとともに美瑛の自宅に行き、翌日ひとりでサロマに向かおうという行程です。途中、旭川のびっくりドンキーに立ち寄って夕食です。混んでいましたがじっと待ちます。「喫煙席なら用意できます」と言われても待ちます。どうせならおいしい空気とともにおいしい食事をしたいですからね。
食事を終えて美瑛に向かい到着したのは21時です。風呂に入ってからゆっくりと寝ました。
翌日、朝食を終えてサロマに向かいます。意外と演技を担ぐタイプの私は、完走した昨年のルートをできるだけなぞって行こうとします。永山のGSで給油して、国道40号に出てから比布に向かい旭川紋別自動車道に乗ります。ところが入口の情報板には「故障車あり、上川層雲峡〜浮島通行止め」と書かれています。なんだかちょっと嫌な予感がしました。(つづく)
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