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【小澤・トロント交響楽団の「幻想交響曲」を聴きながら】 (2013-7-3 22:19:37)
久々に聴いてみた。この録音は、その後リマスタされたようで、音質は向上したようだが、私は持っていない。また後年、再録音されたボストン響、サイトウキネンのも持っていない。
小澤・トロント響の録音といえば、何といっても私の場合は「トゥランガリーラ交響曲」だ。
小澤が再録音していないのが残念だが(氏の体力から考えて、もう無理だろう)、トロント響との録音はN響との日本初演から数年後。
メシアンを招いての録音だった(メシアンはN響の時も会場にいたようだが)。
これは、その後、何度もCDになっているが、音質向上されていないのが残念。
両コンビではあとは「ノヴェンバー・ステップス」も有名。
そしてこの「幻想」である。小澤は若い頃からこの曲を何度も取り上げている。
N響時代も取り上げている(その放送を録音している方がいる事を知った時は驚いた。)
札幌交響楽団の定期に登場した時も「幻想」だ。新日本フィルでも何度か取り上げているはずだが、私は一度も、小澤の「幻想」の実演に接したことはない。
ベルリンフィルとも何度も演奏している。ロンドン響デビューもこの曲だ。
小澤が若い頃からずっと指揮している曲の一つなのだ。
このトロント響との「幻想」(1966年録音。小澤31歳)だが、たたみかけるリズムが特徴。一種のスポーツ競技のような演奏に思える。第4楽章に至っては3分台という軽快さ。
トロント響1966年シーズンではシベリウス2番、「エニグマ」等、小澤には珍しいレパートリーの曲も振っている。
トロント響との「幻想」だが、これは小澤の他の演奏でも感じるのだが、軽快さは長所になる時もあれば、短所になる時もある。
この演奏も全体に「軽い」のである。録音の問題ではないだろう。
重厚壮大な演奏もまた問題かと思うが、この小澤盤については、ただ突き進むだけでなく、何か欲しいな..という印象を聴き終えた時に素人ながら感じる。
youtubeに、1978年のボストン交響楽団との日本公演(東京文化会館)のライヴがある(NHKはまだこれを保存しているかどうか..)。
ここでの演奏もトロント響の時の解釈と極めて似ている。この曲への解釈というか考え方は31歳時にもう出来上がってしまったのか?特に変化はないようだ。
去年のサイトウキネン(ニューヨークライヴ)はどうだろう??既述のように私はそのライヴCDは未聴。
この時は、ブラームス1番も別の日に演奏され、そのCDは聴いたが、私は小澤の他の時の演奏の方が遙かに素晴らしく感じた。
体調が厳しく、今年もスイス・奥志賀での指導はキャンセルし、9月のサイトウキネンに絞って調整中とのこと。恐らく、指揮をしたい!というその強い志のみが、
今の小澤への最良の処方箋なのだろう。その指揮する場を小澤から取ってしまったら、もう魂無しのご老体になる気がする。年齢一つ違いの長嶋茂雄も然り。
ただ、私は小澤にはサイトウキネンでなはく、海外の常設オケをもう一度振って欲しいと思っている。特にフランスだ。
彼の才能を最初に見出したフランスこそが、小澤の最後といっては失礼だが、活躍の場だと思っている。
小澤が最初に海外で「幻想」を指揮したのは1965年(ロンドン、ブザンソン)。特、ブザンソン音楽祭でフランス国立放送フィルを指揮したのも興味深い。
ブザンソンコンクールから6年後のことだ。
パリ管弦楽団、フランス国立管弦楽団、共に小澤とは縁が深い。パリ管とは定期で75年、78年と2回も「トゥランガリーラ」を指揮している。
フランスオケに久々に客演し、幻想交響曲を振って欲しい。そこでの解釈がトロント響とやはり同じか?あるいは、違う解釈になるか?
ついでながら、今年の桐朋女子高校音楽科の一般科目(国数英)の問題が公開されている。こちら
英語の問題が、いかにもこの高校らしい。
昔は学科は出来なくても、専門科目の音楽試験が秀でていれば合格になったようだが、今はさすがにある程度の学力点が無いと厳しいようだ。
小澤・トロント響の録音といえば、何といっても私の場合は「トゥランガリーラ交響曲」だ。
小澤が再録音していないのが残念だが(氏の体力から考えて、もう無理だろう)、トロント響との録音はN響との日本初演から数年後。
メシアンを招いての録音だった(メシアンはN響の時も会場にいたようだが)。
これは、その後、何度もCDになっているが、音質向上されていないのが残念。
両コンビではあとは「ノヴェンバー・ステップス」も有名。
そしてこの「幻想」である。小澤は若い頃からこの曲を何度も取り上げている。
N響時代も取り上げている(その放送を録音している方がいる事を知った時は驚いた。)
札幌交響楽団の定期に登場した時も「幻想」だ。新日本フィルでも何度か取り上げているはずだが、私は一度も、小澤の「幻想」の実演に接したことはない。
ベルリンフィルとも何度も演奏している。ロンドン響デビューもこの曲だ。
小澤が若い頃からずっと指揮している曲の一つなのだ。
このトロント響との「幻想」(1966年録音。小澤31歳)だが、たたみかけるリズムが特徴。一種のスポーツ競技のような演奏に思える。第4楽章に至っては3分台という軽快さ。
トロント響1966年シーズンではシベリウス2番、「エニグマ」等、小澤には珍しいレパートリーの曲も振っている。
トロント響との「幻想」だが、これは小澤の他の演奏でも感じるのだが、軽快さは長所になる時もあれば、短所になる時もある。
この演奏も全体に「軽い」のである。録音の問題ではないだろう。
重厚壮大な演奏もまた問題かと思うが、この小澤盤については、ただ突き進むだけでなく、何か欲しいな..という印象を聴き終えた時に素人ながら感じる。
youtubeに、1978年のボストン交響楽団との日本公演(東京文化会館)のライヴがある(NHKはまだこれを保存しているかどうか..)。
ここでの演奏もトロント響の時の解釈と極めて似ている。この曲への解釈というか考え方は31歳時にもう出来上がってしまったのか?特に変化はないようだ。
去年のサイトウキネン(ニューヨークライヴ)はどうだろう??既述のように私はそのライヴCDは未聴。
この時は、ブラームス1番も別の日に演奏され、そのCDは聴いたが、私は小澤の他の時の演奏の方が遙かに素晴らしく感じた。
体調が厳しく、今年もスイス・奥志賀での指導はキャンセルし、9月のサイトウキネンに絞って調整中とのこと。恐らく、指揮をしたい!というその強い志のみが、
今の小澤への最良の処方箋なのだろう。その指揮する場を小澤から取ってしまったら、もう魂無しのご老体になる気がする。年齢一つ違いの長嶋茂雄も然り。
ただ、私は小澤にはサイトウキネンでなはく、海外の常設オケをもう一度振って欲しいと思っている。特にフランスだ。
彼の才能を最初に見出したフランスこそが、小澤の最後といっては失礼だが、活躍の場だと思っている。
小澤が最初に海外で「幻想」を指揮したのは1965年(ロンドン、ブザンソン)。特、ブザンソン音楽祭でフランス国立放送フィルを指揮したのも興味深い。
ブザンソンコンクールから6年後のことだ。
パリ管弦楽団、フランス国立管弦楽団、共に小澤とは縁が深い。パリ管とは定期で75年、78年と2回も「トゥランガリーラ」を指揮している。
フランスオケに久々に客演し、幻想交響曲を振って欲しい。そこでの解釈がトロント響とやはり同じか?あるいは、違う解釈になるか?
ついでながら、今年の桐朋女子高校音楽科の一般科目(国数英)の問題が公開されている。こちら
英語の問題が、いかにもこの高校らしい。
昔は学科は出来なくても、専門科目の音楽試験が秀でていれば合格になったようだが、今はさすがにある程度の学力点が無いと厳しいようだ。
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