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絶景と うにかに合戦 満喫し〜第13回利尻島一周悠遊覧人G完走記8 (2013-6-16 22:28:30)
(8)復活せず
40km地点の通過タイムは4時間57分47秒でした。35kmからの5kmは、48分10秒です。オタトマリ沼でサボっていたこの前の5kmよりはるかにかかっています。エイドでもそんなに休んでいないのに・・・。キロ9分を超えるペースは早歩きと変わりません。
ただこの大会はとてもゆるい大会です。最初の頃は公式記録も分止まりだったとか。もちろん今もチップなどは使っていません。
そんなゆるい大会ですから、距離表示も正確さには疑問があります。全体の距離も55kmといわれていますが、ガーミンをつけて走った人に言わせると53km程度だったとか。そもそも、コース図に書かれているエイド間の距離を合計すると55.4kmになります。54km地点からゴールまでは通常の1kmより5割ほど余分に時間がかかります。
だからきっと、この間の5kmは長いに違いない!そのように自分に言い聞かせます。
確かに昨年もこの間の5kmはそれまでよりも時間がかかりました。でも37分台で走れています。今年はそれよりも10分以上遅いのですから、けっして距離表示のせいではありません。私が明らかに失速していたのです。
40km地点を過ぎてまもなく第9エイドがあります。ここで一息ついて体勢を整えます。腰が悲鳴を上げ、足を運ぶのも大変な状態になっています。スプレーを借りて腰に吹きかけます。更に両膝にもかけました。腰ばかりではなく膝も足首も痛みが出ています。
走れるようになるまで休憩して、また走り出しました。一時的に痛みが治まっていた腰ですが、走り始めるとまた痛みが戻ってきます。なかなか復活しそうにありません。
とにかく、歩かないこと。サロマでも、70kmまでは上り以外歩かないと決めて走っています。60kmからはとても苦しくなりますが、それでも歩かずに頑張っています。その気持ちになって走り続けるのです。でもペースは、サロマで走っているペースよりも遅くなっています。
心から負けることはしない。それが最後に残ったサロマシミュレーションです。それすらできなくなったら、サロマにつながることが何もなくなってしまいます。あとたったの15kmです。このくらい走れないはずがありません。
と、頑張ったのですが・・・。
腰は限界でした。42km地点の表示を前に走れなくなってしまいました。歩きたくないと思っているのに、腰から左足全体に伝わっていく痛みにもはや限界でした。
いやいや、まだまだ。歩くのならばワッカをイメージしてキロ9分台の早歩きをしましょう。そんな気持ちはあったのですが・・・。
今までサロマでは、まだ無理をすれば走れる状態でも歩き始めています。走れなくなるまで無理をしすぎると歩くこともできなくなると教えられたことがあるからです。その意味がよくわかりました。
早歩きどころではありません。普通に歩くことすら困難です。これほどつらい状態で歩いたことはサロマでもなかったかもしれません。こうなると「たったの15km」と思っていた距離も、「15kmもある」という感覚になってしまいます。今にも立ち止まってしまいそうな状態でトボトボと歩きました。
トボトボと歩いていると、次々と抜かれていきます。走っている人に抜かれるのは仕方がありません。でも歩いている人にまで次々と抜かれてしまいます。サロマでの歩く速さには自信があったのに、その片鱗はまったくありません。
それでも歩いているうちはまだいいです。歩くのさえつらくて、何度も立ち止まってしまいます。最後の15kmがこんなに遠いとは・・・。
第10エイドに到着し、またスプレーを使います。スプレーを使えば一時的に楽になりますが、歩き始めるとまたすぐに痛みが出てきます。ここまで状態が落ちてしまうと、もう復活は難しいでしょう。
ここまできたら最後の目標はとにかく完走することです。この大会は制限時間が10時間です。今のペースで歩いたとしても、途中で歩けなくなって多少休んだとしても、まだまだ時間の余裕はあります。ゆっくりでいいから歩いてゴールを目指します。
今年で13回目を迎えたこの大会。10回完走した選手には称号を与えようという話が以前から出ていました。そして今回、ついに決まったと前夜祭の中で発表されました。それは「利尻の風人・WINDMAN」です。これまで10回完走した方々にTシャツと盾が贈呈されました。私は昨年まで5回完走しています。今年を入れてあと5回完走したら、5年後にはWINDMANになれます。
3回しか完走していないサロマは、私が10回完走をしてサロマンブルーになる頃には、もうサロマンブルーの特権はなくなっているでしょう。そのくらい膨大な人数になっているはずです。でもWINDMANは、5年後でもまだそれほどの人数にはなっていないはずです。なんとしてもストレートでWINDMANにならねばいけません。
その思いだけが私の足を動かしていました。(つづく)
(1)乗りつぶしの旅
(2)かにでスタート
(3)うにの利尻富士
(4)言い訳無用のコンディション
(5)拾活のはじまり
(6)加油!加油!
(7)復活を待つ
40km地点の通過タイムは4時間57分47秒でした。35kmからの5kmは、48分10秒です。オタトマリ沼でサボっていたこの前の5kmよりはるかにかかっています。エイドでもそんなに休んでいないのに・・・。キロ9分を超えるペースは早歩きと変わりません。
ただこの大会はとてもゆるい大会です。最初の頃は公式記録も分止まりだったとか。もちろん今もチップなどは使っていません。
そんなゆるい大会ですから、距離表示も正確さには疑問があります。全体の距離も55kmといわれていますが、ガーミンをつけて走った人に言わせると53km程度だったとか。そもそも、コース図に書かれているエイド間の距離を合計すると55.4kmになります。54km地点からゴールまでは通常の1kmより5割ほど余分に時間がかかります。
だからきっと、この間の5kmは長いに違いない!そのように自分に言い聞かせます。
確かに昨年もこの間の5kmはそれまでよりも時間がかかりました。でも37分台で走れています。今年はそれよりも10分以上遅いのですから、けっして距離表示のせいではありません。私が明らかに失速していたのです。
40km地点を過ぎてまもなく第9エイドがあります。ここで一息ついて体勢を整えます。腰が悲鳴を上げ、足を運ぶのも大変な状態になっています。スプレーを借りて腰に吹きかけます。更に両膝にもかけました。腰ばかりではなく膝も足首も痛みが出ています。
走れるようになるまで休憩して、また走り出しました。一時的に痛みが治まっていた腰ですが、走り始めるとまた痛みが戻ってきます。なかなか復活しそうにありません。
とにかく、歩かないこと。サロマでも、70kmまでは上り以外歩かないと決めて走っています。60kmからはとても苦しくなりますが、それでも歩かずに頑張っています。その気持ちになって走り続けるのです。でもペースは、サロマで走っているペースよりも遅くなっています。
心から負けることはしない。それが最後に残ったサロマシミュレーションです。それすらできなくなったら、サロマにつながることが何もなくなってしまいます。あとたったの15kmです。このくらい走れないはずがありません。
と、頑張ったのですが・・・。
腰は限界でした。42km地点の表示を前に走れなくなってしまいました。歩きたくないと思っているのに、腰から左足全体に伝わっていく痛みにもはや限界でした。
いやいや、まだまだ。歩くのならばワッカをイメージしてキロ9分台の早歩きをしましょう。そんな気持ちはあったのですが・・・。
今までサロマでは、まだ無理をすれば走れる状態でも歩き始めています。走れなくなるまで無理をしすぎると歩くこともできなくなると教えられたことがあるからです。その意味がよくわかりました。
早歩きどころではありません。普通に歩くことすら困難です。これほどつらい状態で歩いたことはサロマでもなかったかもしれません。こうなると「たったの15km」と思っていた距離も、「15kmもある」という感覚になってしまいます。今にも立ち止まってしまいそうな状態でトボトボと歩きました。
トボトボと歩いていると、次々と抜かれていきます。走っている人に抜かれるのは仕方がありません。でも歩いている人にまで次々と抜かれてしまいます。サロマでの歩く速さには自信があったのに、その片鱗はまったくありません。
それでも歩いているうちはまだいいです。歩くのさえつらくて、何度も立ち止まってしまいます。最後の15kmがこんなに遠いとは・・・。
第10エイドに到着し、またスプレーを使います。スプレーを使えば一時的に楽になりますが、歩き始めるとまたすぐに痛みが出てきます。ここまで状態が落ちてしまうと、もう復活は難しいでしょう。
ここまできたら最後の目標はとにかく完走することです。この大会は制限時間が10時間です。今のペースで歩いたとしても、途中で歩けなくなって多少休んだとしても、まだまだ時間の余裕はあります。ゆっくりでいいから歩いてゴールを目指します。
今年で13回目を迎えたこの大会。10回完走した選手には称号を与えようという話が以前から出ていました。そして今回、ついに決まったと前夜祭の中で発表されました。それは「利尻の風人・WINDMAN」です。これまで10回完走した方々にTシャツと盾が贈呈されました。私は昨年まで5回完走しています。今年を入れてあと5回完走したら、5年後にはWINDMANになれます。
3回しか完走していないサロマは、私が10回完走をしてサロマンブルーになる頃には、もうサロマンブルーの特権はなくなっているでしょう。そのくらい膨大な人数になっているはずです。でもWINDMANは、5年後でもまだそれほどの人数にはなっていないはずです。なんとしてもストレートでWINDMANにならねばいけません。
その思いだけが私の足を動かしていました。(つづく)
(1)乗りつぶしの旅
(2)かにでスタート
(3)うにの利尻富士
(4)言い訳無用のコンディション
(5)拾活のはじまり
(6)加油!加油!
(7)復活を待つ
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