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7.オフ会・練習会 : 「frun22周年記念飲み会」のお知らせ

投稿者 トピック
千太郎
  • 登録日: 2016-8-7
  • 居住地: 愛知県小牧市
  • 投稿: 15
Re: 「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習
ケイタローさん
 事前学習報告,△蠅とうごさいます。
自分は大阪出張にて
淀屋橋 玉造 京橋など出掛けていますが
流石にランはないです。大阪の夜も懐かしいです。
大阪ランは初体験などで風景を見ながら参加させて頂きます。
愛知県 千太郎
うずら
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 大阪
  • 投稿: 2196
Re: 「frun22周年記念飲み会」【🍺の部】ご案内
9/17までの参加表明です

ケイタローさん
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ツウランさん
ルンルンさん
のりたかさん
おくやんさん
tacocoさん(ランの部のみ)
いぐちさん
NAMIさん
たけしたさん
メグさん
うずら

お二方からコメント頂いています。
ありきよさん:舞鶴赤レンガハーフから戻り二次会があれば
かのんさん:日中のイベント終わり次第
ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1211
Re: 「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習
事前学習△任后

■森ノ宮人
ちょっと興奮してます。「森ノ宮人」に会えるんです。
森ノ宮に「ピロティホール」ってありますよね。何でピロティ(高床式)になっているかというと、このホールの下に「森ノ宮遺跡」があるからです。このホールの建設に伴う発掘で縄文時代の人骨が見つかって、今から約5000年前、このあたりに人が住んでいたことがわかりました。ホールの地下の展示室にその「森ノ宮人」がいるんですが、年に数日しか公開しなくて、僕も見たことがありません。それが偶然ですが、10月8日の11時から15時まで公開されるというので、まずは大阪人のルーツともいえる「森ノ宮人第1号」に会いにいきましょう。身長148僂らい、推定30歳代の女性だそうです。ドキドキします。

ピロティホールから南に少し下って「玉造稲荷神社」に寄ります。

■玉造稲荷神社
「玉造」ってきれいな地名ですね。古代に勾玉などをつくる「玉造り部」があったところです。
玉造稲荷神社は、聖徳太子が物部守屋と争った際に、ここに陣を敷き勝利を祈願したと伝えられる神社で、豊臣時代には大坂城の守護神として祀られ、境内の奥には秀頼が奉納した石の鳥居が残っています。

さらに南下して「真田丸」に向かいます。

■真田丸
「真田丸」は、今の宰相山公園、三光神社から明星学園あたりと考えられています。神社の境内に、幸村像と大坂城へ通じていた真田の抜け穴跡?があります。そこから陸軍墓地をはさんだ西側に、幸村・大助親子の冥福を祈って建立された心眼寺。門前に「真田幸村出丸城跡碑」があります。心眼寺坂を上がった明星学園のグラウンド横に「真田丸顕彰碑」が最近設置されました。

ここで、当時の大坂城について触れておきます。
ご存知のように、現在の大阪城は、秀吉の造った大坂城ではありません。
大坂の陣で豊臣家を滅ぼすと、徳川幕府は豊臣大坂城の跡地に、盛り土をして新たに徳川大坂城を築きました。つまり大坂の陣で焼け落ちた豊臣氏の大坂城は、現在の城の地中深く埋もれていて、見ることはできません。
豊臣大坂城は、本丸、二の丸、三の丸に、「惣構え」といって広い外郭がありました。そこには諸大名の屋敷、神社、寺、商工業者の住む町人町などがあり、周囲は約三里(12辧砲里泙気法崗覲堙垰圈廚箸いΔ戮巨大なものでした。その南の空掘の外側に、真田幸村が築いた出城が「真田丸」です。

真田山から上町筋、谷町筋を越えて、高津宮に寄って、生國魂神社を目指します。(つづく)


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ケイタロー(京都・桃山)

うずら
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 大阪
  • 投稿: 2196
Re: 「frun22周年記念飲み会」【🍺の部】ご案内
9/20までの参加表明です

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tacocoさん(ランの部のみ)
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お二方からコメント頂いています。
ありきよさん:舞鶴赤レンガハーフから戻り二次会があれば
かのんさん:日中のイベント終わり次第
ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1211
「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習
事前学習です。

■高津宮(こうづぐう)(高津神社)
仁徳天皇を祀った由緒ある神社。というより落語の「高津の富」の方でが有名ではないでしょうか。今は亡き枝雀で聞いたことがあります。(東京では「宿屋の富」、舞台も湯島天神に変えられています。)
高津神社は上方落語に縁の深い場所で、他にもここを舞台とした落語がいくつかあります。境内には5代目桂文枝の碑が立てられていて、最後の口演がここ高津宮での「高津の富」だったそうです。

千日前通りを越えると「生國魂神社」。「いくたまさん」「生玉さん」で親しまれています。

■生國魂神社(いくたまじんじゃ)
すごいです!神武東征の際に創建されたと社伝にあります。実際は、孝徳天皇の時に難波宮ができる前にはあったと考えられています。そして、祭神が生島神(いくしまのかみ)と足島神(たるしまのかみ)。この2人の神様は、国の神霊とされ、新天皇の即位儀礼の1つである難波で行われる八十島祭(やそしままつり・今はやってません)の際にも主神に祀られていました。宮中の祭祀と深い関わりを持つ、大阪を代表する神社です。

この神社に上る坂が真言坂。ここから「天王寺七坂」が始まります。

■真言坂(しんごんざか)
七坂の中で、唯一南北に通る坂で、千日前通の上り口に石碑があります。坂を上ると生國魂神社の鳥居・石段の前に出ます。坂の名の由来は、このあたりに真言宗の寺院が十坊(「生玉十坊」)あったことに由来するそうです。
オダサクの愛称で親しまれている織田作之助は、神社のすぐ近くの生玉町で幼少期を過ごし、『木の都』という作品の中で「天王寺七坂」に触れています。(口縄坂のところで紹介します。)

そのまま神社を抜けて、源聖寺坂の坂上へ。
上町台地の上は平坦で、東へ行くと谷町筋に出ます。

■源聖寺坂(げんしょうじざか )
坂の名前は、上り口に源聖寺があるから。坂の途中からは階段になっていて、海岸に向かって急な崖を下りてゆく感じです。波の打ち寄せる音が聞こえてきそうです。(妄想)

昔は海辺だった松屋町筋を南へ。それにしてもお寺が多い!(つづく)


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ケイタロー(京都・桃山)

ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1211
Re: 「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習
事前学習い任后

「夕陽丘」もきれいな地名ですね。
台地の上から美しい夕日が見られるそうです。その夕陽丘町に上る坂が口縄坂です。

■口縄坂(くちなわざか)
「口縄」とは「蛇」のことで、坂の下から道を眺めると、蛇に似ていることからそう呼ばれるようになったといいます。蛇を口縄と言い換えるところが優雅です。「蛇坂」だったら・・・ちょっと気持ち悪い。
寺に囲まれた石畳の小道がやがて急な階段になって・・・とても走れません。歩きます!
登りきったところに織田作之助の文学碑があり、『木の都』の最後の一節が刻まれています。

『口縄阪は寒々と木が枯れて、白い風が走ってゐた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも當分あるまいと思った。青春の回想の甘さは終わり、新しい現實が私に向き直って來たやうに思われた。風は木の梢にはげしく突っ掛けててゐた。』

作者自身と思われる主人公が、役所への用事で、子供の頃過ごした夕陽丘を久しぶりに訪れます。懐かしい風景に過ぎた日々を回想しつつ、ふとしたことで再会した親子の、時代に翻弄される姿を描いた佳作です。オダサクって「夫婦善哉」しか知りませんでしたが、しっとりした短編も多いんですね。
口縄坂は、オダサクが七坂の中で一番愛した坂だといいます。

坂の上から細い路地を抜け、愛染堂勝鬘(しょうまん)院、大江神社に向かいます。

■愛染坂(あいぜんざか)
その名のとおり、坂の上にある愛染堂から名付けられた坂です。
「愛染さん」は聖徳太子が創建したと伝えられ、多宝塔は豊臣秀吉により再建され、市内最古の建造物で重要文化財に指定されています。縁結び、夫婦和合、商売繁盛の神様なので、ぜひお参りしましょう。

大江神社境内の「百歳の階段」を上がっても御利益があります。「百歳の階段」は百一段あり、人生の区切りの百歳よりあともう一歩、心も身体も健康でありますように、という願いが込められているそうです。
また、境内に狛犬ならぬ狛虎がいて、全国から阪神ファンが優勝祈願に来るそうです。六甲おろしを歌いながら参拝するとよいとか?
「夕陽岡」の碑があり、このあたりから見る夕焼けも美しいそうです。

愛染坂を下り、清水坂へ抜けます。(つづく)


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ケイタロー(京都・桃山)

ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1211
Re: 「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習
事前学習イ任后

■清水坂(きよみずざか)
清水寺に登る坂道です。高台にある境内(清水の舞台)からの眺望は・・・今は林立するビルしか見えませんが、ここは目をつぶって・・・打ち寄せる波の音を聴き、眼前に広がる大阪湾から遠く淡路島を一望する風景を想像しましょう。
境内の崖から流れ出る玉出の滝は、大阪市内唯一の滝として知られています。まぁ、滝と言われれば確かに・・・。
この付近一帯は、昔から名泉で知られていたそうです。

水の話が出たところで、閑話休題。
前述したように、石山本願寺は信長と11年間も戦い、豊臣氏も大坂城に籠城して戦いましたが、この間の飲み水はどうしたのでしょうか?周辺の水は大坂湾から逆流してくる塩水で飲めません。
実は、上町台地の南の四天王寺方面から、北に向かって地下水が流れているそうで、この地下水のおかげで、城の中で井戸を掘れば飲み水は十分確保できたわけです。本願寺の僧侶も秀吉も、防御にすぐれ地下水が豊富な自然条件を熟知していたんですね。

話を戻して
■天神坂(てんじんざか)
車も通るただの坂道ですが、坂の途中から菅原道真を祀る安井神社へ通じているので、天神坂。太宰府に流される途中に立ち寄ったとか。
またこの神社の境内は、大坂夏の陣に敗れた真田幸村が戦死した場所で、本堂脇に「真田幸村戦死跡之碑」があります。

最後の場面を、池波正太郎『真田太平記』(十一)大坂夏の陣 (新潮文庫)から引用します。ジーンとくるところです。
鬼神のごとく戦った幸村でしたが、やがて傷つき追い詰められ、愛馬・月影とともに安居神社まで撤退してきます。

『このとき・・・
池の向こうの木陰から人影が一つ、あらわれた。
人影は、はっと槍を構え、じりじりと池のほとりをまわって近づいて来る。
うすれかかる意識の中で、幸村は、これに気づいた。
真田幸村は、右手で自分の頸すじのあたりを指し、近寄ってくる敵へ、
「手柄にせよ」
と、笑いかけてやった。
その声が、果たして敵の耳へ聞こえたか、どうか・・・。
敵は警戒し、槍を構えたまま、うごかなくなった。
幸村の躰が仰向けに夏草の中へ倒れた。
息絶えたのである。
左衛門佐幸村の四十九年の生涯は、ここに終熄した。』

幸村を討ち取ったのは、越前隊の西尾宗次だったといわれますが、幸村が息絶えた後に首級をあげたことを家康に見抜かれ、恩賞は与えられませんでした。(つづく)


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ケイタロー(京都・桃山)

AKA
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-6
  • 居住地: 大阪
  • 投稿: 1629
Re: 「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習
>>ケイタローさん。

台風で、村岡が中止になってしまったので、沢山走ります。

と言っても、5キロ位が限界だけど(^_^;)。


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  by.AKA

ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1211
Re: 「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習
村岡って、5キロの部ができたの?

今、事前学習Δ鮟颪い討い襪箸海蹐任后
10/8、久しぶりにお会いできるのを楽しみにしています。


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ケイタロー(京都・桃山)

ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1211
Re: 「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習
事前学習Α∈能回です。

台風一過。被害はありませんでしたか。
それにしてもよく来ますね。先日の下見の時も、立ち寄った寺や神社で大木が折れていたり、ブルーシートで覆われた屋根もあって、やはり大阪でも上町台地の上は風が強いんだろうと思いました。今回は大丈夫だったかな。

で、七坂の一番南の坂が
■逢坂(おうさか)
排気ガスで煙る、現在の国道25号。公園北口(松屋町筋)交差点から四天王寺前(谷町筋)交差点の坂道です。
坂下の交差点あたりは合邦ヶ辻(がっぽうがつじ)と呼ばれ、浄瑠璃・歌舞伎『摂州合邦辻』の舞台です。
江戸時代には、四天王寺参詣と天王寺村から大阪市中に出る要路でした。道を渡った坂上に、一心寺があります。

■一心寺
法然上人の「日想観」(西に沈む夕陽を心に止め、極楽浄土を観想する修法)で有名なお寺。
西の海に沈む夕陽は、極楽浄土を想像できるほど美しかったんでしょうね。
また、大坂冬の陣で、茶臼山に陣を敷いた徳川家康はこの寺に本陣を置きました。

■四天王寺
ご存知、聖徳太子創建の大寺院。長く民衆の信仰を集めています。
今回走る(歩く)上町台地を「熊野街道」が通っています。天満の船着き場から、上町台地に上がり、空堀通りから上汐町筋を南下して四天王寺へ。さらに住吉大社から紀伊田辺を経て熊野に向かう古くからの街道です。
四天王寺の南門を入ったところに「熊野権現礼拝石」という大きな石があって、熊野詣の人々は、まずこの石の上に立って熊野権現を礼拝し、道中の安全を祈ったそうです。

ところで「天王寺」は「四天王寺」の略だそうですが、「四」をとっただけで、あまり変わらないと思うけれど・・・
それと天王寺と阿倍野橋って、大阪と梅田みたいで・・・JRと私鉄が仲悪いとか?(関係ない話ですみません)

最後にもう一つ
■幻坂(まぼろしざか)
なんて坂はありませんが、有栖川有栖さんの『幻坂』(角川文庫)という短編集があります。
天王寺七坂にまつわる、怪談というよりファンタジーという感じの小説です。本を片手に七坂を巡るのもいいかもしれません。

というわけで・・・上町台地はまだ続きますが、今回はここまで。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
さぁ、あとはお風呂に入って・・・ふふふ。

それでは、10/8にお会いしましょう。(終)


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ケイタロー(京都・桃山)



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