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6.大会報告室 : 第37回防府読売マラソン参加記(その1)

投稿者 トピック
はやと丸
  • 登録日: 2007-4-2
  • 居住地: コバトンと同じ埼玉県
  • 投稿: 470
第37回防府読売マラソン参加記(その1)
 はやと丸です。
 05年まで大会参加記を書いていましたが、昨年は参加記を各期がおきませんでした。でも、記録に残すことも大切かと思い、再びできるところから参加記を書くことにしました。しばらくは数ヶ月前の大会参加記をアップしていくことになりますが、その点はご了承ください。
 再スタート1本目は、昨年12月中旬に参加した防府読売マラソンの参加記です。3〜4回に分けて送ります。

「第37回防府読売マラソン参加記」
 雨のち晴れ 

12月16日(大会前日)
●山口宇部空港に向かう
 昼過ぎのJAL便で羽田空港から山口宇部空港に向かった。過去3回は10時ぐらいのANA便を使ったが、誕生日割引を使えるのがJALだけになり、このような形になった。2時間遅くなると出発にゆとりが出る反面、開会式には間に合わず、下見はぎりぎりになってしまう問題があった。
 離陸までに少し時間を要したものの、無事に飛び立った。雪の少ない南アルプス連峰を見たら、下界は一面雲に覆われて景色はお預けとなった。その間に昼食を摂って腹ごしらえをした。下界が見られない空の旅も、着陸が近くなる山口県内にさしかかってからは見えるようになった。徳山の市街地と工業地帯を見たら瀬戸内海上空になり、そこから下松方面を通過してから防府市街が見えた。もちろん、マラソン大会会場である陸上競技場もはっきりと見えたし、コースも一望できた。上空から見ると42.195キロの距離が短く感じた。そして、きらら博の跡地から宇部市街へ。市の中心部を通過して、工業地帯を見たら再び海へ。ここから北九州空港を右に見て、大きく旋回した。きらきら輝く海面を見ながら、ずいぶん遠回りしているなと思った。そして、14時過ぎに東から着陸して山口宇部空港に着いた。

●防府に向かう
 空港に着き、バスカードを買ってから路線バスに乗った。本当はJRで行きたかったが、接続が悪くて1時間以上待たなければならないので、バスを選択。昼食後の眠気が襲ってきて、発車後間もなく眠ってしまった。気がつくと、新山口駅にもうすぐ着くところだった。
 新山口駅を降りて時刻を確認をすると、40分くらい待つことになり、下見は間に合わないことがわかった。仕方なく外に出ようとすると、中学生軍団に遭遇。何か大会があったのかなと思い、バッグにつけていたゼッケンに目をやると、全国中学生駅伝大会があったことがわかった。山口で全国中学生駅伝大会があることは知らなかった。前は熊本でやっていたと思うが、今は山口なんだ。新幹線で帰るのは東海地方の女子チームで、男子はまだ終わっていないのだろうか。そんなことを思いながら外に出て、駅前にある種田山頭火氏の像が目に入った。スケッチブックを持っていたので、この像をスケッチして時間を潰した。
 やがて山陽本線のホームに移動し、広島方面の電車に乗り込んだ。緑のない景色を見ながら、だだっ広い田んぼとすぐ迫る山の光景を眺めた。防府の1つ手前の駅前にある高校は、校名が変わっていた。この高校は前の学校法人が諸事情により破産宣告して、四国地方で塾を経営するところが引き継いだ(後日WEBで確認)。ここの通う生徒や先生は、とんだとばっちりを受けて大変だなと思った。そして防府駅に着いた。改札の上には防府読売マラソンを歓迎するボードが吊されていた。今年も大会に出るという実感がわいた。

●軽くランニング
 念のために受付会場に行くと、既に撤収していて、ひっそりとしていた。そのままホテルに向かい、受付を済ませた。部屋に入ると移動の疲れがどっと出てきて、少しだけ横になった。
 17時前になり、近くを軽くランニングをした。空はまだ明るく、山口にいることを実感した。ラジオを聞いていたら、全国中学生駅伝に参加した中学生が集団食中毒にかかり、一部チームが出場取りやめまたは途中棄権したニュースが流れて、新山口駅で見かけた中学生のこと思い出した。晴れの舞台なのに食中毒でたすきをつなげられなかったことは、郷土の代表として参加した中学生が気の毒だった。15キロ地点まで行き、そこから復路の30キロ地点をまわって反時計回りに走った。足の疲れは感じられず、前日にしてはいい感じだった。最後に、マラソンのコースを外れてアーケード街に潜入した。人通りはまばらだったが、店は8割方開いていて、駅前の商店街としての機能は果たしていた。40分近く約6キロ走り、ホテルの前の空き地でストレッチをやっていたら、大学時代の合同合宿で同期である京都在住のYさんと再会した。彼は地元のラン仲間と来ていた。今年も、防府で再会することができたのが嬉しかった。その後、ちえさんと3110(さいとう)さんと会った。2人は食事に行くところだった。

●明日への準備
 練習を終えて、防府駅前にあるサティ内のお店で夕食を摂った。天ぷら御膳でうどん、ご飯が付いていた。レース前にはいいかどうかはともかく、おなかにちょうどいい量だった。食事後は、レースで食べるものや遠征時のお楽しみである地場食料品(みそ・しょうゆ)を買った。ホテルに戻る前に、近くのユメタウンに寄り、県内の菓子メーカーが作っている洋菓子等をおみやげに買った。
 ホテルに戻りロビーで新聞を見たら、全国中学生駅伝で集団食中毒発生の記事が地元紙社会面に大きく出ていた。この記事に悔いるように見た。それから部屋に戻って年賀状のあて名を書いたり、ベッドの上でストレッチをした。つくばの時のようにハムストリングが吊るようなことはしたくなかったので、いつもより時間をかけて行った。また、(元Jリーグ鹿島アントラーズの)ジョルジーニョの自伝を読みながら、クリスチャンである彼が書いたようなメッセージは自分にもかなうのだろうかと思った。つまみ食いしながら読んでいるうちに、レースへの不安が薄まってきて、ジョルジーニョのように神に委ねてレースを進めようという気になった。窓の外は昨年ような雪は降らず、灯りがよく見えた。床に入る0時頃には街の灯りのほとんどが消え、暗闇に近かった。それでは、おやすみさい。
※その2に続く

 2007.6.19 はやと丸
ふれっぷ
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 北海道
  • 投稿: 1614
Re: 第37回防府読売マラソン参加記(その1)
続き、楽しみにしています。(^^)


----------------
ふれっぷ@北海道
http://frep.way-nifty.com/cafe/

はやと丸
  • 登録日: 2007-4-2
  • 居住地: コバトンと同じ埼玉県
  • 投稿: 470
第37回防府読売マラソン参加記(その2)
はやと丸です。
 防府読売マラソン参加記(その2)は、大会当日の朝からスタート前までです。

12月17日(大会当日)
●ホテルを出るまで
 枕の相性が良く、6時間ぐっすり眠って、6時に起床した。カーテンを開けると、外は雨。雪よりはましだけど、雨の中走ると体が冷えるから嫌だなと思った。軽くランニングもしようと思ったが、この天気で外へ出るのはやめた。その代わり、テレビを見ながらベッドの上でストレッチを10分くらいやって、堅い体をほぐした。
 7時過ぎにレストランで朝食を摂った。和食を選択したところ、できあいではなく、家庭の味と思わせる手作りの献立多かった。ホテルにしては、暖かな雰囲気が出ていた。特にみそ汁が地元産と思われる味噌で美味しかった。朝食はそこそこ食べることができ、まずは大丈夫かな。食事中に外を見ると雨足が強くなり、朝ランをした人はウエアがぐっしょり濡れていた。自分だったら風邪を引いたかも。
 部屋に戻って、テレビを見ながら荷物を整理。昨年は雪で交通機関に影響が出ていることをテレビで放送してしいたが、今年はそのようなことはなく無事に開催される見通しだった。そうこうしながらも、8時半過ぎにホテルを出た。

●準備運動まで
 傘をさして防府駅まで歩き、南口からバスに乗ろうと思ったら、知っている姿が。近づくと、GOさんファミリー、aono(もとファイアー)さん、そして初めて会う人が。自己紹介で、chihikin(ちひきん)さんだった。GOさんのブログにはよく書き込みをしている人だったが、自分はchikin(チキン)さんと認識していた。hiが抜けていることに気がつかず、さすがに本人の前では言えなかった。地元の新聞社勤務で、自分が取っている新聞とはブロック紙でつながっていた。偶然とはいえ、北海道在住ランナーと落ち会えたのは心強かった。ということで、この3人と一緒に行動を共にすることとなった。
 競技場に向かうバスは、補助席を使うほど満席だった。車内では随所で話し声が聞こえて、どちらかというと和気あいあいな感じだった。chihikinさんも隣席の人とずっと話していた。小さな峠を越えて、15分くらいで競技場に到着した。
 4回目の参加にして初めて大会当日にゼッケンを受け取り、スタンド下の控室に入った。外の寒さとうって変わって、暖房がよくきいていて暖かかった。既に多くのランナーが陣取っていて、レジャーシートを敷く場所を探すのに一苦労だった。半シート確保して荷物をおいて、ウエアにゼッケンをつけたり、バナナやパンなとを食べて早くも空腹対策をした。
 走る準備が大方済んでから、外に出て知り合いのランナーを探した。器具庫付近では、りゅうたさん、まかべっちさん、りかちゃんを、控室を出た廊下では、むさしのさんや昨年の北海道マラソンで行きの便で隣席だったTさんに会えた。この2人を含むグループは山口県東部に実家がある人の家に泊まっていた。その中の1人と住んでいるところをきいたら、なんと自分の同じ町に近いことがわかり、ご近所さんは意外なところにいるなと驚いた。

●スタートまで
 10時半頃にはスタンドの軒下に出て、記録会の様子を見ながらストレッチを始めた。ハムストリングの痛みが出て、整形外科のリハビリ担当の医師からストレッチは念入りにするようにアドバイスを受けてのことだった。携帯ラジオで聴いていた山口放送(KRY)は、歌番組ではなくトーク番組だったので、期待はずれだった。そう思いつつも、ローカル番組でもいいやと聴いていた。ストレッチを2セット、約15分くらいかけてやったら、朝よりは体が柔らかくなった感じがした。これでハムストリングの痛みが出なければいいのだが。
 それから、記録会が終わったばかりのトラックに出て、風向計に駆け寄った。昨年は倒してしまう失態を犯したので、そっと近づいて、風速と風向を確認した。風速は2mくらい、風向は北〜西を指していたので、例年通り15〜17キロ、25キロ前後、35キロ以降は向かい風になるから注意することを頭の中に刻んだ。風向の確認をしたら、トラックで軽くランニングを始めた。11時の時報が聞いた頃は、雨降りでトラックに出る人はほとんどいなくて、ガラーンとしていた。それでも、スタートが近くなるにつれて、ウオーミングアップをする選手が出てきて、流水プールのようにグルグルトラックを回っていた。2周したあたりから、昨日会ったYさんが追いついてきて、福知山マラソンの話を聞いた。故障で棄権したにもかかわらずトラックを走るのは、走るのが好きなんだなと思った。3周ほど一緒に走って、最後の1周は1人で走ってから切り上げた。
 控室に戻ると、大半の選手は走る格好に着替えていた。ランニング・ランパン(+アームウオーマー)の人、長袖・ランパン
の人が多かった。自分は冷えるのが心配だったので、長袖・ロングタイツにランシャツとランパンという重装備。あとは首にオレンジのバンダナ、頭に今夏の北海道旅行で買った、日本最北の酒造メーカー「国稀」の青い手拭いを鉢巻き代わりにした。これだけ厚着をしている選手はそういなかった。そして途中でトイレに行かないように、小用をすませて控室を出た。
 外に出ると、先ほどとうって変わって雨とやや強い風が吹き、ほとんどの選手は資材庫付近で待機していて、スタートラインにはでなかった。これは体温保持のためだろう。スタート5分前になって、蜂の子を散らしたようにスタートラインに向かい、整列をした。上を見上げると、ヘリが旋回していた。この天候では、厳しいレースになるかもしれないと思った。それでも、まずは制限時間内の完走を目指し、関門で打ちきりになっても最後まで走ってゴールラインは必ず踏むことを自分に誓った。スタートまでの5分はあっという間に過ぎ、号砲前にピンと張りつめた空気が流れた。 

その3に続く

    2007.6.22 はやと丸
はやと丸
  • 登録日: 2007-4-2
  • 居住地: コバトンと同じ埼玉県
  • 投稿: 470
第37回防府読売マラソン参加記(その3)
はやと丸です。
 防府読売マラソン参加記(その3)は、レース前半です。

●スタート〜5キロ  19’54”
 12時2分に小雨降る中号砲が鳴った。500人あまりのランナーがいっせいに走り出し、列が長い布のようにあっという間に広がった。競技場を出ると、濡れた路面をピチャピチャ音を立てて、雨中強行軍のような感じだった。ペースは抑えていこうと心の中でささやきながら、片側2車線の県道へ右折した。まだ始まったばかりだから、体が暖まらないのも仕方ない。広い県道から狭い県道へ左折した2キロあたりでも、体の重さは変わらなかった。35キロの距離表示を見て、今回もここを通過できるのだろうかと先のことを思い描いた。
 3キロくらいでまた左折し、住宅街を通った。沿道の応援は何層にも重ならなかったけど、途切れることはなかった。昨年ゴール地点で駆けつけてくれた島津さんはいるだろうか。まあ、これだけランナーがいると気づかなくて当たり前か。
正面には雨でけむった山が見えた。去年この山は雪化粧していたっけ。路面の水たまりがあるみたいで、シューズが音を立てている。そんなことには気にかけずに、ただ前を見て走った。5キロの通過は20分をちょっときるタイムで、出だしのオーバーペースは抑えることができた。

●5〜10キロ  39’57”(20’03”)
 3週間前のつくばマラソンでは5キロ以降ペースダウンをしたので、ペースを維持して走るようにした。関門との戦いだけでなく、ペース配分も意識するので、いつものレースと違って考えることが多い。6キロにさしかかる前に左折し、中間点に向かってコースを南下した。最初の給水所をでは尿意が心配だったので、コップに入った水は半分だけ飲んだ。
 すぐに左折して片側2車線の県道を東に向かって進んだ。道幅が広い分、ランナーとの間隔が広がり圧迫感がなくなった。遠くに見える山はくすんだ茶色で葉を落とした木々がなす色をしていた。山の前には工場が視界に入り、工場の煙突から白い煙を吐き出していた。このときは北になびいていたように思う。
 8キロ過ぎでほにゃらかさんと目が合い、応援を受けた。FRUNメンバーからの応援は心強い。この応援にこたえる走りがしたい。小雨は降り続けていたが、気温は8度前後で走っている分には寒さを感じることはなかった。スタート時のペースを維持することができ、片側1車線になり始めた10キロ地点を無事に通過。40分をわずかにきるタイムで、この5キロは先の5キロとほぼ同じだった。

●10〜15キロ 1゜00’33”(20’36”)
 左から風を受けつつ、林立する工場群を通り過ぎた。スタート時の小雨が次第におさまり、走りやすくなった。ちょっとしたアップダウンのある橋を渡り、三田尻港につながる道にさしかかる頃にはランナーがまばらになった。
 市街地にさしかかると再び沿道の応援が戻り、頑張れの声があちこちから聞こえてきた。12キロ過ぎでは地元の子どもたちによる打楽器のようなものを叩いて応援していた。その後JR山陽本線の高架をくぐり、すぐに左折して旧国道2号にあたる県道を通った。昨夜通ったアーケード街の入口や泊まったホテルを確認した。曇っている上にビル影の関係で寒かった。
 山陽自動車道につながる交差点では車が長い列を作っていて、レースで犠牲になっている人もいるのだと気がついた。市街地から郊外にさしかかるところで15キロ地点で、1時間強だった。昨年よりも3分下回り、抑え気味とはいえ、これはちょっと大丈夫だろうかと不安がよぎった。
 
●15〜20キロ 1゜21’32”(20’59”) ここまで大会HPに掲載された記録から
 その不安は見事に的中した。15キロを過ぎると向かい風が正面から吹いてきた。これだけならまだ良いのだが、ここに来て後続のランナーにどんどん抜かれていった。後になれば、後続のランナーは22キロ関門を計算して走っていたことがわかったが、このとき22キロ関門を通過するよりも抜かれたことに焦りを感じた。まこてぃんさんやしげきっちさんに抜かれたのは16〜17キロ地点だった。
 焦りだしたら体は正直なもので、足取りが重くなっていった。それにはすぐ気がつかなかったが、抜かれたランナーとの足取りを見ると一目瞭然だった。このままでは完走はできなくなるかもしれないという思いが強くなり、レースに集中できなくなった。昨夜の落ち着いた気持ちとは対照的で、冷静さを失っていた。
 17キロ半で左折し、陸橋を渡ったときも足が思うように動かず、去年のような走りが望めなくなっていた。どうしてここで走れなくなってしまったのか、完走をしたいと思った気持ちを持っていたのにもろくも崩れてしまうことに、自ら問いかけていた。
18キロを過ぎたところで、対向車線を先頭のランナーが通過した。
 風は追い風だったが、ペースは上がらず、中間点の関門通過を目指すランナーが目の前を次々と過ぎていった。このときに、防府駅で落ち合っGOさんとchihikinさんに声をかけられた。2人とも同じように中間点の関門通過を意識している走りだった。昨年は32キロ付近でGOさんに声をかけられ35キロ関門を通過する原動力となったが、今年はそれどころではなかった。
 こういう状況でも20キロは通過し、1時間21分半だった。この5キロは21分近くかかり、ペースダウンは明らかだった。

 その4に続く。さて、この後はどのような展開になるか?

    2007.6.21 はやと丸
はやと丸
  • 登録日: 2007-4-2
  • 居住地: コバトンと同じ埼玉県
  • 投稿: 470
第37回防府読売マラソン参加記(その4)
はやと丸です。
 防府読売マラソン(その4)はレース後半です。

●20〜25キロ 1゜43’24”(21’52”) ここから手元時計による推計タイム
 (22キロ関門まで)
 折り返したランナーは誰もが真剣な顔つきだった。知人のランナーを見つけても、あっという間に過ぎていくので声をかける間がなかった。中間点(ハーフ)の通過は1時間26分。22キロ関門までは900mあるから、ギリギリ通過できるのではと思った。その後、22キロ関門通過を目指す集団のランナーが通り過ぎ、自分は大きな魚に食われる小魚のようであった。
 県道の交差点を過ぎ、22キロの関門が見えてきたが、役員はカウントダウンを始めた。どうか通過できるようにと思いつつ走ったが、なんと目の前で制限時間の1時間30分に達し、その場で競技打ち切りとなった。22キロ関門でつかまるとは思ってもいなかったが、これが今の実力だった。役員の指示に従いその場でゼッケンを外した。

(22キロ関門から)
 競技打ち切りになって、頭が真っ白な状態で後ろを向いたら、そこにはaonoさんがいた。スタート時に抜いてから、ここまで抜かれなかったことに調子が悪かったのだろうかと思ったが、最近のハーフは記録を出していたし、思い当たる節がなかった。aonoさんも自分がここにいることに驚いたに違いないが、自分もこの光景が信じられなかった。声をかけたかったが、このときにはすぐにゴール目指して走ることに心を切り替えていたため、aonoさんの肩を叩いて「おつかれさま」と一言だけ言って、22キロ関門を後にした。その間わずかに30秒くらいだったか。
 正式な完走ができなくてもゴールを目指すと決めていたので、自分への約束は守りたかった。それは他者からどう思われてもかまわなかった。走り出したときは悔しくて涙が出たが、すぐに止まり、最後尾の車を目に据えて黙々と走り出した。ゼッケンを外していているのに、沿道からはレース中のランナー同様に応援を受けた。そのたびに「ゴールを目指します」とはっきり言ったら、逆に「いいぞ!」と言われた。この人たちの応援を無駄にしないように走ろうと思った。
 競技からは解放されたので、できるだけ沿道や遠景の景色を見るようにしてLSDみたいな走りをした。23キロを過ぎて、右手に広がる航空自衛隊北基地の向こうにある工場の煙突が南にたなびいていて、先に見たときとは向きが変わっていることだけでなく、北よりの風通りに吹いていることに気付いた。すぐ後に左側のコンビニ駐車場で3110(さいとう)さんを応援するちえさんを見つけ、「ゴール目指します!」と言ったら、ちえさんは手と大きく振って応援してくれた。
 収容バスが止まって、役員からバスに乗るか聞かれたが、きっぱりと断り、ゴールを目指して走ることを伝えた。意志が口調に表れていた。バスは煙を出してゴ−ルに向かった(こういうランナーを認めてくれる大会側の懐の深さに後になって感じるのであった)。その先で見た華西中学校は鉄筋3階建ての白い校舎で、造りから見て30年近く経っている感じだった。4回走って、今回初めてこの中学をじっくり見た。レースだとちらっと見るだけだから。

●25〜30キロ 2゜10’54”(27’30”)
 25キロを通過し、左前方には岩肌を見せた山々が見えた。枯れ松も目立つけど、防府周辺はこのような岩質の山々が多いのだろうかと疑問を持った。
 26キロ過ぎの給水所はまだ片付いていなかったため、スタッフに給水をお願いしたら、手にしたものはなんと招待選手である入船 満選手(同じカネボウに所属する入船 敏選手の弟)のスペシャルドリンクだった。多分取り損なったものかもしれないが、スタッフの粋な計らいで実業団選手のドリンクをいただくことができた。茶色のプラスチックのボトルにはどんな味のドリンクなのか気になった。陸橋を淡々と上り下りしながら口にすると、意外にもさっぱり味。何だろうと思ったら、これは麦茶だと気づき、入船選手の庶民的な一面が感じられた意外な発見だった。
 県道(旧国道2号)に右折すると、収容者の後ろに連なる車から発生する排気ガスの煙で気分が悪くなった。車道を走っていたら、役員から歩道を走るように注意を受けたので、渋々歩道へ。この辺は店や事業所が並んでいて、近所の人に加えて店の人たちが仕事を休めて(仕事どころではないか)応援していた。ここも応援はずっと受けたので、ありがたかった。すると小学校高学年の2人の男の子が自転車で追いついてきて、自分の後に付いてきた。男の子に話したら、一緒に併走するということで、びっくりしつつも、リタイアランナーのために併走応援するサポーターができたことに正直嬉しかった。小学生だからどこまで付いてくるのか気になったが、反対側の歩道に移る29キロ付近まで2キロ近く一緒に自転車をこいで応援してくれた。最後はなにも言わないで消えちゃってごめんね。本当にありがとう!
 反対側の歩道に移ったのは、この先の交差点に横断歩道がなく、車が走っている中横切るのは危険だと判断したからだった。その交差点を右折し、防府郵便局を通過したら、反対側には収容バスが待機していて、30キロ地点を通過したことがわかった。関門は気にしなかったので、そのまま通過。25キロの時もそうだったが、GOさんとchihikinさんが収容車に乗っていなければいいのだがと思った。

●30〜35キロ 2゜37’25”(26’31”)
 過去の防府読売マラソンであれば、30キロ以降で足にどっと疲れが出てペースダウンしたが、今回は22キロからLSDペースで走っていて、いつもの練習に近い走りだった。そのおかげか、かえって疲れが抜けて走るのが楽だった。レースもこのくらい足取りがうまく刻めばよいのだが。
 防府サティがある通りにさしかかると、交通規制の解除後で歩道を走った。歩道は応援ではなく、買い物客が往来していて、当然ながら声をかける人はいなかった。さすが年の瀬の休日、サティに向かう客は多かった。31キロ付近の給水所は水を2杯摂り、役員から「完走が大事だよ」と言われた。自分の思いはこれでいいんだ。
 32キロを過ぎると、30キロ関門は通過したものの、ペースが上がらなくなった選手が視界に入った。今まで、自分もこんな風になっていたのだと客観的に見ていた。ジョギングペースでこの選手をとらえ、「リラックスで行きましょう」と言いながら追い越した。本当は苦しくてもここまでゼッケンつけて走りたかった!
 三田尻港へつながる分岐点、小さな起伏差のある橋を渡ると33キロを超えた。このペースで走りながら、改めて視界に入る光景を眺めた。右手には防府市の清掃所があり、空に向かってまっすぐ立つ白い煙突がすごく太かった。日曜だが、清掃車は出入りしていた。その間にも歩くペースに近いランナーを3,4人追い越した。こういう展開は考えていなかったが、追い越すときは嬉しさよりも悲しさが強いように感じた。コースは西よりになり、再び向かい風が正面から受けるようになった。
 右折して防府駅に向かう県道に入ると、35キロのポイントが視界に入った。通過点ではすでに計測マットを片づけているのが見えた。関門から10分近く経って、悲喜の分かれ目はあっという間に片づけられた。

●35〜40キロ 3゜06’22”(28’57”)
 35キロには収容者が待機して大会の雰囲気が残っていた。ここから先は本当の一人旅だった。左折してもう1回山を見ながらのラン。関門解除後で車の列が続いていた。空を見上げると、スタート直後とうって変わって太陽が顔を見せていた。しかし、西よりの風が激しく吹き、体が冷える上に足が前に進まなかった。昨年、36キロくらいで応援してゴール後に競技場まで駆けつけた島津さんの姿はなかった。競技は終わっているし、この強風だと外にいても体を冷やすだけだから、家に戻ったのだろうと思った。
 36キロ過ぎの給水所は片づけ終わっていたが、のどが渇いているので水分を取りたいと言ったら、箱からコップとペットボトル取り出して、水を分けてもらった。その場で飲んで、お礼を言ってまた走り出した。体がよろけそうなくらいに吹きつける風を受けながら、時が長く感じられた。早く左折ポイントに来ないか、その事ばかり頭に描いていた。目の前に見える山の木々は、全て葉を落としていて、くすんだ黒山のようだった。ああ、山口も冬なんだなあ。
 38キロを過ぎ、左折して3度目のコースを通った。給水所は既に片づけられていた。その時に、ふと目の前に見えないものに導かれていくのが感じられた。これが、ジョルジージョが信じていた神様を言っているのか。一人で走っているが、目の前に神様がいると思ったら、一人ではないのだと思った。不思議なことに寂しくはない。神様に導かれながら、残り4キロあまりのコースを走ろう。そうすると苦しさから、再び楽しさや喜びを感じられるようになった。
 すぐに左折して、2度目のコースへ。遠くに見える山々やその前にある工場と南にたなびく煙、走りながら穏やかな冬景色だなと思った。浜方の太鼓演奏部隊は既に片付けを終えていて、三々五々帰るところだった。そんな様子を見ながら40キロをしっかりした足取りで通過した。

●40キロ〜ゴール 3゜18’02”(11’40”)
 40キロを過ぎた直後の給水所も片づけが終わっていた。スタッフも今ごろ走っている人がいるとは思っていなかっただろう。ここも、無理を言って給水を摂りたいと言ったら、アクエリアスを2杯分けてもらった。風の影響でのどがカラカラになっていたみたいで、あっという間に飲み干した。スタッフから応援を受けて、すぐに走り出した。道路はすっかり乾いていて、ウエアは汗の湿り気だけ。雨の予報は半分外れて、強風さえ除けば天気が回復して良かった。
 右手に見えたブリヂストン工場を見て、防府にも工場があることを初めて知った。上尾の本社工場よりも広々としていて、奥まで見えた。それからすぐに反対側の歩道に移り、ゴールに向かった。ゴールが近いこともあったが、一人ではないのだという思いもあって、わくわく感があった。
 やがてグランドが見えると、競技を終えて帰る選手を見た。フェンスに沿ってカクカク折れて、競技場の入口へ。駐車場へ移動したり、防府駅に向かうバス待ちの選手を見ながら、ちょっと恥ずかしさもあったが、気には留めなかった。競技場の通用門が開いていたので、お約束通りそこから進入し、日射しを横から受けながらトラックを走った。トラックを走りながら、今回も非公式完走だけど、ゴールできる喜びで一杯だった。メインスタンドにさしかかると、表彰式の最中だったので、気付かれないようにゴールラインを踏んだ。3時間18分あまりの長い道のりはこれで終わった。

その5に続く。レースが終わってからの話です。

   2007.6.21 はやと丸

はやと丸
  • 登録日: 2007-4-2
  • 居住地: コバトンと同じ埼玉県
  • 投稿: 470
第37回防府読売マラソン参加記(その5)
はやと丸です。
 その5はレース後のことです。

●ゴールしてから
 ゴールして過去2回における涙は出なかったけど、ゴールできたことで安堵感があった。更衣室に向かう前に、りゅうたさんに会った。このときに、りかちゃんが途中で棄権をしたことを聞き、耳を疑った。でも本当だったら、どう声をかけたらいいのだろうか。
 更衣室に戻るとGOさんに会った。30キロで競技打ち切りになったそうで、2回目の完走はならずだった。30キロの時バスに乗っていないことを思ったが、その時は乗っていたことになる。後で、合流することを伝えて先に行ってもらうことにした。更衣室はガランとしていて、自分だけの荷物が残っていた。外で中国電力の五十嵐選手の引退式を行う放送がかかり、荷物整理は後回しにして急いで外に出た。
 五十嵐選手の後ろには、雲の隙間から太陽がまぶしく差し込んでいた。その光景が、五十嵐選手のこれからの門出を祝っているようで、引退式にふさわしかった。外周には役員や選手等が幾重にもなっていたが、そのすきまから五十嵐選手の姿をカメラに収めた。中国電力は油谷選手や尾方選手などの花形選手もいるが、その一方で五十嵐選手が引退するというのを見ると、光と影があるように感じた。再び更衣室に戻り、シャワーを浴びる間もなく、荷物を整理した。散らかしていた分、容易にはまとまらなかった。

●防府で打ち上げ会
 16時前には着替えをすませて、急いでバス乗り場へ。ピークが過ぎたみたいで、乗ったバスは空いていた。前の方に座っていたら声をかけられて誰だろうと思ったら、なおきむちさんだった。約1ヶ月前の走友の結婚式に出席したとき、なおきむちさんもいて、防府読売マラソンに参加すると言っていたのを思い出した。結果の方は2時間40分くらいで完走できたそうで、別府大分マラソンへのいいステップを踏めたようだった。自身の結果を伝えると、完走できてよかったと肯定的にとらえてもらい、このような走りもよかったのかなと救われる思いだった。レース以外に、なおきむちさんが鍼灸師の資格を取って、走友会のメンバーに鍼を打っている話は興味を引いた。マラソンを通じて同じ仲間のためにケアをしたいという、資格取得の道を選んだ意志の強さに惹かれたからかもしれない。行きと同じ道をバスは防府駅に向かい、あっという間に着いた。駅前でなおきむちさんと一緒に写真を撮った。
 防府駅に着き、GOさんたちはどこで打ち上げをしているのだろうかと気になり、電話をしたところ、アスピラート裏の中華料理店にいるとのこと。アスピラートに行ったが店らしいものはなく、少し焦りながら奥に進むと、中央広場を囲むように店が環状に並んでいるのを発見(ここは駅前再開発でできた商業施設+住宅棟)。中華料理店らしきところを見つけて入ると、無事にGOさん一家、aonoさん、chihikinさんと落ち合うことができた。
 遅れながら打ち上げに加わり、ビールとおつまみをつつきながら話をした。この席で完走したのはchihikinさんだけで、残りは途中の関門で打ち切りだったこともあり、話のテンポは淡々と進んでいく感じだった。言葉を選びながら、さりげなく労をねぎらうのがやっとだった。途中からは北海道のレースに話題が移り、北海道マラソンが9月になる話が出て、本当なのかと思った(翌日の新聞で9月開催が出ていた)。chihikinさんは、ほにゃらかさんグループとの打ち上げがあり、途中で退席となった。
 3人のランナーが残って、そういえば今年の洞爺湖マラソンの中盤は、3人で三つ巴戦だったことを思い出した。また、3人揃って飲むのも初めてだったことも。17時過ぎにはお店を出て、店の前で写真を撮ってから防府駅に向かった。

●新山口駅で遭遇?
 防府駅のホームは大会参加者だけでなく、家路に向かう人もいて混雑していた。電車はすぐに入り、立ちながら話をしていた。車窓から暮れゆく空とマラソンのコースを見た。半分で競技が終わり、強風の中苦しんで走ったコース、夕暮れが優しく包んでくれるみたいで、これもいい思い出になるのかな。
 20分くらいで新山口に到着。GOさん一家とaonoさんは新幹線に乗り換えて福岡に向かうため、ここで再会を誓ってお別れとなった。駅を出てから空港に向かうバスの時間まで空いていたので、りゅうたさんたちが飲んでいると思われる居酒屋にこっそり入った。予想は見事に当たり、りゅうたさんをはじめとするランニング仲間が6人いて、みなびっくりした様子だった。ちょうどお開きになるところで、すぐに外に出た。
 まかべっちさんからどんな仕事をしているのかたずねられて答えたところ、なんと職業と勤務先の内容も同じ(職種のみ違う)ことがわかり、意外な共通点があることを発見した。話してみるものである。りゅうたさん、かずっちさんたちは新幹線で名古屋方面へ、まかべっちさんは近くの温泉で宿泊。自分はちえさん、3110さんとともに山口宇部空港に向かうバスに乗った。

●山口宇部空港へ
 乗ったバスは意外にも空いていた。3人で後ろの席を取った。3110さんはレース疲れに加えて酔いが回ったのか、熟睡モードだった。自分はちえさんと空港に着くまでずっと話していて、バスがどこを走っているか気がつかないほど夢中だった。レースの結果を説明すると、意外にも感心した様子で、走り抜く姿勢がいいととらえてもらった。それ以外にはちえさんが入っているクラブのことや大阪国際女子マラソンに参加することなど、ちえさんはこの数年でグンと走力を付けたんだなと、かつて自分も参加したNAHAマラソンがちえさんにとって初フル参加だった頃を思い出しながら、感心していた。
 山口宇部空港に着くと、カウンターにはクリスマスツリーが飾ってあった。誕生日が近いことを感じながら航空券を受け取り、荷物を預けた。幸か不幸か出発時間が遅れることがわかり、お土産を買う時間にゆとりができた。その前に宇部市の展示コーナーによって、自然や見所が多く、産学ともに盛んな街である宇部市にもいつか足を運んでみたいと思った。
 手荷物検査を受けてから、しげきっちさんと会い、無事にゴールできたことを聞き、思わずハグをした。最近は3時間以内の完走がなかったが、今回はきちっとまとめられたようで、1ヶ月前に一緒に走った上尾シティマラソンから、うまく調整できたのだと嬉しかった。
 少し遅れて乗った便は、同じ列にAさんもいて、これも偶然だった。空港を離陸して宇部の街を眼下に見ながら、長い1日が終わったなとふと振り返った。4回連続で正式完走していないので、来年は参加するかどうかわからない。でも、行きたいなと思ったらその時は申し込もう。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次はおきなわマラソンの参加記をアップする予定です。

  2007.6.21 はやと丸@これでサロマ湖へ行ける!
 


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