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7.オフ会・練習会 : 【FRUN15周年記念行事】飛鳥古代ロマン歴史めぐりマラニックのお知らせ

投稿者 トピック
ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1250
飛鳥古代ロマン歴史めぐりマラニック【事前学習その7】
さて、最終回です。
■「耳成山」(みみなしやま)は時間の関係で行けるかどうかわかりませんが、できれば大和三山完全制覇といきたいですね。
山頂の三角点で139.2メートル。眺望はあまりよくないけれど・・・桜の名所です。
円錐形のきれいな山で、山の形から「耳無し」山(余分なところがない山)といわれています。

■1940年に建築された、重厚な木造駅舎の「JR畝傍駅」は必見!
かつては、橿原神宮や神武天皇陵へ参拝する皇族のために駅舎内には貴賓室が設けられています。現在は閉鎖されていますが、年1回だけ秋に一般公開されているそうです。

■江戸時代の町並みが残る「今井町」もいいですねぇ。
今井町の歴史を語るにはとても紙数が足りませんが、ざっと概略を。
興福寺の荘園として始まり、その後は環濠集落の寺内町として発展。織田信長に反抗し、環濠を深くし土塁を築き、環濠城塞都市となりました。環濠は場所によって違いますが、幅が5メートルから7メートル、深さは2メートルほどもあったといいます。寺内町の強い団結力と抵抗にはさすがの信長も一目おき、大阪と同じように特別の立場が認められ、自治都市として「海の堺」「陸の今井」と並び称されました。
江戸時代には、幕府の天領になり、元禄の頃には「大和の金は今井に七分」といわれ、藩札と同じ価値のある独自の紙幣「今井札」が発行されるなど繁栄しました。
明治維新によって富豪は消滅しましたが、依然として、今井町は南大和の中心地で、一時、県庁舎を設置しようとする動きもあったそうです。鉄道駅の建設に反対したことから都市化を免れて町が保存できたといます。何が幸いするか分かりませんね。現在、今西家住宅はじめ多くの住宅・寺院が重要文化財として保存されています。

では帰りましょう。南へ走って、再び橿原神宮前駅へ戻ります。
ふぅ〜、お疲れさまでした。さぁ、お風呂に入って・・・ふふふ。
長らく事前学習にお付き合いいただき、ありがとうございました。(終)


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ケイタロー(京都・桃山)


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