メインメニュー
frunデータベース
サイト情報
サイト運営者
ユーザ登録数:1010名
frun談話室
「frun談話室」の利用方法は次のページを参照して下さい。
frun談話室 - 投稿について - 投稿フォームの使い方
※投稿記事の閲覧は誰でも可能です。その点を配慮の上、利用して下さい。

6.大会報告室 : 2010北海道マラソン 10/08/29【受付台】

投稿者 トピック
ゲスト
Re: 2010北海道マラソン 10/08/29【受付台】
ケイタローさん、お疲れ様でした。

あまりお話する時間が無くて残念でしたが、久しぶりの北海道マラソン無事完走出来て何よりです。翌日の札幌は最高気温が34度になり、1日ずれていたら大変なことになっていたなあと思います。

奈良マラソン、よろしくお願いします。
ケイタローさんから聞くまで京都と奈良が近いって感じしていなかったのでレース後は奈良だけじゃなくて京都観光にも行こうかな。
ゲスト
Re: 2010北海道マラソン LSD
genさん
書いたことあったと思うけど私も猛暑の年に10キロでもうダメ〜となったのだけど頭から大量に水ぶっかけられて復活完走したことがあった。水被るのって良いのかも。確かに靴がぬれるのがイヤだけど。
ゲスト
Re: 暑かったよ〜。
こうめさん

ゴールしてからお会い出来ませんでしたがお疲れ様でした。来ない来ないって心配してたけど完走出来て良かったですね。

実は私も勘違いしていて自分は4勝4敗だ卒業だと思っていたら4勝5敗だった。でもしばらく良いわ〜。バニーさんやしぶままさんみたいに仮装して華麗に走れるレベルになったら出ます。
ゲスト
Re: 【道マラ】ワレ34km地点ニテ中止命令ヲ受ク
うしまる♪さん、お疲れ様でした。

思い出すな〜、2000か2001年か、うしまるさんと私の間で無残にも25キロの関門が閉じられたことを。再挑戦お待ちしてます。

それから紙コップ捨ててくれてありがとう。ボランティアのリーダーから聞いたけど今回はランナーに紙コップをゴミ箱に捨てるように周知したそうです。そのおかげか40キロで観察していたら一般ランナーはゴミ箱に捨てて行く人が多かった気がします。
Kazoom!!
  • 登録日: 2008-12-6
  • 居住地: さっぽろ
  • 投稿: 40
Re: 2010北海道マラソン 10/08/29【受付台】
道マラ参加の皆様、猛暑の中お疲れ様でした。
今年は新川通の灼熱地獄が大きく口を開け飲み込まれたランナー、脚を引きちぎられたランナーが多かったような。。。
frunの高速隊も何時もの力は出ないおかげで「2010北海道マラソンfrunオフ会参加限定」最速ランナーとなりました。太平洋高気圧よ「道マラ」10回目の僕にプレゼント有難うぅーーー
ほしこ
  • 登録日: 2008-1-4
  • 居住地: 鹿児島
  • 投稿: 249
Re: 2010北海道マラソン 10/08/29【受付台】
北海道マラソン、完走できました。
結果は、不本意。でもこれが現実です。

15キロ手前から脚がしびれだす。
痙攣が起きる前に何とかすべく塩分補給等試みたけどあまり効果なし。
それでも20キロ手前までは5分30のペースで走れている。
でも日ざしが強くなり、徐々に体力消耗。

そんな中、今年の沿道の応援には本当に助けられました。
北海道マラソンは、エイドの給食は充実していない。
だから自分で持つか知り合いに頼むしかありません。
でも今年は自分の仲間以外にも提供してくれるエイドの多さが目につきました。
きつい新川通でいただいた「オレンジ」と「レモン」には本当に助かりました。

脚の痙攣はいつ起きてもおかしくない状況。これ以上スピードを上げたら絶対走れなくなるという感触があったので上げられません。
ストレッチも変に刺激を与えてしまい逆効果。
ずっと小痙攣状態のまま寝た子を起こさないように走るしかありませんでした。

スピードは出せないし、たしかに暑くて辛い。
けれど不思議と心はしっかりしてました。
これはやはり仲間のおかげ。4年間の北海道生活で知り合ったラン仲間。応援してくれる人、一緒に走っている人、チームの幟やウエアがどんなに心強かったか。
たぶん、知らない土地のレースで同じ状況だったら絶対、心が折れていた。
北海道だから走れた。そう思っています。

沿道の応援も本当にありがたかった。
女子3位になった那須川さんもインタビューで答えていた「折れない心」のメッセージボードもった青年。
私もうれしくて「ありがとう」って答えたら「完走してくださいね」って声をかけてくれました。

30キロ過ぎ、知り合いに追いつき、併走。
決してもう速くは走れないけど一緒に走ってくれる人がいた事で最後まで気持ちが切れることなく淡々と脚を動かせました。
エイドやストレッチで止まった以外、ラン中は歩かなかった。意地でしょうか。

痙攣の原因とウエアの失敗。
気持ちよく走れた奥武蔵と同じウエアのロングタイツ、サンバイザーで臨みました。
湿度は高いけれど日ざしがあったわけではない前半から脚に水をかけていたことで「冷え」たと思われます。
頭頂部が直射日光を受けたことによるダメージ。気づくのが遅かったけど、それからはスポンジを持ちづつけ頭に水を絞り出して熱中症回避。

ゴールした後、少し脚の痙攣はあったものの、大通公園で倒れこむ人、担架に乗せられている人が大勢いる中、すぐ回復。
レース中のあの辛さは何だったの。もっと走れたんじゃないの。もっとこうしてれば。と反省しきり。

でもほとんどの人が不調でベストタイムから20分〜30分遅かったと聞き、徐々にゴールできただけで十分という気持ちになってきました。

ウエアや補給、レース展開など、ただ走るだけでなく、考えて走ることを覚えないといつまでたっても殻から抜け出せないでしょう。
いろいろ考えさせられたレースでした。

ゴールタイム 4:13:00(道マラワースト)
りっき
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-7
  • 居住地: 横浜市
  • 投稿: 2747
はじめて救護室のお世話になってしまいました
りっきです。

道マラ出走の皆さん、本当にお疲れさま。
ボランティア参加の皆さん、応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。
苦しくも、楽しい道マラを堪能させて頂きました。
いや、やっぱりひたすら苦しかったかな…。
初めて救護室のお世話になってしまいました。
しかも救護のボランティアの皆さんに、本当にお世話になってしまって。
初めての貴重な経験でした。

もともと今シーズンは調子があまり良くなくて、右ふくらはぎの痙攣がしょっちゅう
起こっていたので、今回はそれなりの準備はして臨みました。
ポーチの中に、塩飴7粒、カーボショッツ2個、ビニール袋に入れた精製塩、そして、
サロメチールを1本まるまる…。

目標は、まずは完走。
できれば昨年の記録(3:42:09)を超えたいなぁ…と考えつつスタートラインに着きます。
ただ、いざ号砲が鳴ってみると、すっ飛んでいったいちびりさんにつられ、ついオーバーペースで、キロ5:00程度で突っ込んでいってしまいました。(これが後半の命取り)

15kmのラップは1:15程度(5:03@km)。
ゆきねこさんの応援にも笑顔で応える余裕があったのだけど、20km過ぎには左ハムストリングが痛み出し、次第にペースが落ちていきます。
新川通は日差しを遮るものもなく、真夏の太陽が照りつけ、容赦なく体力と筋力、気力を奪っていきます。
25.7kmの折り返しを過ぎたところで、サロメチールを両足にすり込みカツを入れるんだけど、気持ちは「いつやめようか…。」と完全に逃げモード。
それでも相変わらず続く大声援に後押しされるのと、「やめたら絶対に後で後悔する。」という思いがあったので、とにかく完走だけはしようと、足を進めます。

30km過ぎ。
既にラップは6分台に落ち、暑さのために思考能力はゼロ。
それでも途切れることなく続く応援がとても嬉しくてチカラになります。
「立ち止まりさえしなければ、いつかは必ずゴールにたどり着く…」と、自分で自分に言い聞かせながら、また、呼吸の際に「はっ、はっ…」とリズムを取りながら歩幅を狭めないようにして、足を運びます。

35km過ぎからは「まだゴールに着かないの?」と、本当に待ち遠しかったけれども、ふらふらになりながらも、なんとか4:03:59(グロス)でゴール。
最後は気力だけで走りきったようなものでした。
首にかけてもらった完走メダルがずっしり、重たくて嬉しかった。


預けた荷物を受け取ろうと、ゴール地点から荷物受け取りの場所まで歩いて行く途中、
足の痛みで立っていられなくなりお尻をついしまいます。
すぐに駆けつけてくれた救護ボランティアに付き添われ、救護テントに向かうんだけど、ここで、とうとう両足の太もも、ハム、ふくらはぎが全部同時に痙攣。
今まで経験したことのない激痛に見舞われました。
あと15mほどの救護テントまで歩けなくて、遂に担架。
あまりの激痛ぶりに、救護ボランティアや看護師の方に、
「早くこの痛みを何とかして下さい!!」と取り乱してわめきちらしてしまいました。
(後から思うと、とても恥ずかしかった…)

ただ、自分の症状は、要するに身体の中のミネラル分の枯渇から来るものなので、こういう時に足首を前方にひねったりして、我々がよく足つった時にやるように、筋肉を伸ばしたりしても、一切痛みは引かないんだそうです。
電解質が入った水分を十分とって、それが身体に行き渡らないと痛みは引かない…
それを知っている看護師や救護ボランティアの方は、冷静なもんでした。
そんなの知らない自分の方は、「早く痛みをなんとかして下さい!!」と、取り乱し
続けてしまっていましたが…。

水分補給と点滴の効果で徐々に痛みが引く中、今度は急に全身に悪寒が走りました。
自分の身体じゃないように体中が震え、歯がガチガチ鳴るほど。
「なんか、ちょっとやばいかも…」と、自分でも感じるほどだったのだけど、
ここから先の救護の方の対応は早かった。

全身に毛布を何枚もかけてくれて、両脇には湯たんぽのようなものを挟んで血管を
暖める措置をしてもらいました。
そのうえ極めつけ。
1人の看護師さんが、震えが収まるまでずっと手を握っていてくれました。
自分としても、「ちょっとやばい」という不安感からずっと強く握り看護師さんの手をずっと強く握っていたような…。(至福のひととき)

結局、ゴールした16時ちょっと過ぎから、17:30頃まで救護テントで休んでいたことになります。寒気がした時は自分でもまずいと思ったけど、観護措置のおかげで大事に至らずにすみました。

今回の要因
結局、水分補給不足だったようです。特に、ミネラル分の補給がおろそかになっていたようです。持参した塩も、精製塩だったけど、これじゃダメなんですね。
あとはやっぱり前半のオーバーペース。自分の走力をしっかり見極めないとダメですね。

いずれにしても、17:30頃には回復し、少し遅れてオフ会にも顔出すことができました。
そして、相変わらず企画盛りだくさんの楽しいオフ会を堪能させてもらいました。
幹事のREIさん始め、皆さん本当にお世話になりました。


この経験を忘れないように、来年はしっかり準備を整えて臨みたいと思います。
gen
  • 登録日: 2007-3-28
  • 居住地: 北海道札幌市
  • 投稿: 1196
Re: 2010北海道マラソン LSD
NAOJIさんもお疲れさんでした。

5キロから水被っていたら違った展開だったかも〜
でも最初からやられていたから、
スタート前、頭は濡らしていたけど、足りなかったね。
でも、やっぱ、バスには乗らんぞという
2年前の強い気持ちがありませんでした。
gen
  • 登録日: 2007-3-28
  • 居住地: 北海道札幌市
  • 投稿: 1196
Re: 2010北海道マラソン 10/08/29【受付台】
「2010北海道マラソンfrunオフ会参加限定」最速ランナー
Kazoom!! さんお疲れでした。

ツールドフランスならぬ、
frun 最速Tシャツを作って走ってもらうという
話をどこかでしていたな〜
暑さに強い人限定
マイヨ・ジョーヌ frun北海道マラソン
いちびり
  • 登録日: 2007-4-6
  • 居住地: 東京都立川市
  • 投稿: 509
北の大地に思いを馳せて
初めて4時間を切った1998年

走力をより確実にした1999年

そして
初めて走った『北海道マラソン2000』



身長170cm体重62kg体脂肪率18%



しかし…

北大前30km関門30秒届かず
人生初のリタイア
敗因は夏の暑さと連絡不足



マラソンから遠ざかった2001年から2005年



ふらり出かけた一人旅2006年

北海道マラソン翌週
中島公園ゴール跡
込み上げるあの時の悔しさ
人目もはばからず泣いたあの日



体重74kg体脂肪率25%



一念発起
僅か3ヶ月で作り上げた身体



体重62kg体脂肪率20%



2006年加古川マラソン
奇跡の自己ベスト復活
快進撃の始まりはずだった



7年ぶりに帰ってきた『北海道マラソン2007』

サブ4ペースを維持しながら
ロスタイムを失念
35km関門に僅か1秒届かず
再び流した悔し涙



かすみがうらマラソン
自己ベスト更新



ところが…
腰痛発症
苦悩の日々が始まった



急性気管支炎と直前の発熱『北海道マラソン2008』

32km3時間で強制終了



制限時間が緩和された『北海道マラソン2009』

腰痛によるスタート直前の出走断念



あの日から半年
走行距離0km
一向に良くならない腰痛



ぶっつけ本番で挑んだ『東京マラソン2010』

4時間7分
失いかけた自信に希望の灯が灯る



リベンジに燃えた『北海道マラソン2010』

目標は自己ベスト
3時間45分



しかし…

神様は試練を与えた



目標は僅か3kmで費えた

サブ4?
10kmで絶望的に

完走?
遥か彼方に感じる42.195km

滴り落ちる汗
失う自信
照りつける太陽
悪魔のささやき

40km手前
歪む視界
脱水症状



何度も折れた心



いいえ
折れてなどいない
これが全力
ベストを尽くした
余力などない



夢にまで見た
フィニッシュライン

天を突き刺した指
出場資格を手にした年に他界した
亡き父への報告



手にしたメダル

握り締めた瞬間溢れ出した涙



『完走』



何度も何度も諦めかけた夢の途中

もう駄目だと全てが嫌になって
逃げ出そうとした時も
思い出せばこうして沢山の支えの中で

走ってきた



『栄光の架橋』

堪え切れず涙したすすきのの夜



目標も希望もまだ失ってはいない

更なるステップ

来年こそサブ4



体重58kg体脂肪率15%



苦しみも歓びも
この身体が知っている






何のために走る?






北海道マラソンを走るためさ!


ログイン
ユーザ名 または e-mail:

パスワード:

ユーザ名とパスワードを記憶

パスワード紛失

新規登録

ホーム -  frunからのお知らせ -  frun談話室 -  frunカレンダー -  当サイトについて -  お問い合わせ
Powered by XOOPS Cube 2.0 ©2005-2006 The XOOPS Project
Theme Designed by OCEAN-NET