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7.オフ会・練習会 : 4/29 幕末&龍馬 春の京都観光マラニック

投稿者 トピック
ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1250
Re: 幕末&龍馬マラニックの事前学習(その4)
第4回。
昨日はすみません。途中でバテちゃって。
フゥ〜、やっと伏見に着きました。市内から10キロちょっと。結構離れています。だから、伏見は京都市内といっても、ちょっと京都とはちがうんです。そもそも、伏見は一時「伏見市」だった時もあったくらいで、地理的には、淀川水系の北河内に属しているし、生粋の伏見人は、洛中の京都人とは明らかに気質も言葉も違います。だいぶ前ですが、伏見桃山の駅前に「お買物は京へ」という大丸の看板がかかっていて、なるほどなぁと感心した記憶があります。
伏見は、秀吉の伏見城の城下町であり、伏見港の港町であり、後には第十六師団司令部が置かれた軍都でもあり、酒は美味いし(関係ないか)・・・伏見は多彩な顔を持った町です。ここだけで1日中走り回ることもできますが、今回は幕末の志士のように一気に駆け抜けることにします。

■伏見で龍馬といえば「寺田屋」。
慶応2(1866)年1月24日、深夜2時ごろ、龍馬は長府藩士・三吉慎蔵とともに泊っていた船宿「寺田屋」で、伏見奉行所配下の捕方約百人に包囲されます。この時、入浴中のお龍さんが裸で階段を駆け上がり急を知らせ、龍馬は高杉晋作から贈られたピストルで応戦しますが、不覚にも指を切られピストルに弾も込められない。結局、三吉とともに何とか寺田屋を脱出して、材木小屋に隠れているところを薩摩藩に救出されます。三吉が薩摩藩邸(現在の「玉乃光酒造」あたり)に駆け込む前に、すでにお龍さんが龍馬の危機を知らせていたというから、彼女の活躍がなければ・・・女傑ですなぁ。
この後、龍馬は切られた指の治療のため鹿児島(薩摩)の温泉へ向かいます。この湯治は西郷が勧めたもので、幕吏の追求を逃れるためでもあったようです。この旅行が、龍馬とお龍さんの新婚旅行になりました。
なお、当時の「寺田屋」は鳥羽・伏見の戦の時に消失していて、現存する建物は後に再建されたものであることが、2008年に京都市から公式に発表されました。以前は「柱の刀傷」とか「お龍の入った風呂」とかを売り物にしていたんですが・・・まぁ、野暮なことは言わないことにしましょう。

寺田屋のすぐ東から、北に向かう細い商店街が「龍馬通り」。
角にある「辻政」は、なかなか美味しい料理を出す店で、僕もしばしば行きます。先日はTVにも出たそうです。昨今の龍馬ブームで、商店街も活気づいているようです。
目の前を流れる濠川(疎水の分流)に沿って「長建寺」から「月桂冠大倉記念館」へ。
ご存知のように伏見は「伏水」ともいい、良質の伏流水による酒造りが今も盛んで、知られざる銘酒がいっぱいあります。機会を改めて、酒精漂うディープな「夜の伏見」をご案内いたしましょう。ふふふ。

■さて、前回に続いて「鳥羽・伏見の戦い」。
鳥羽方面から大砲の音が聞こえてまもなく、伏見でも戦闘が始まります。東軍(旧幕府軍)の本拠地になったのが、伏見奉行所(現在の桃陵団地一帯)です。王政復古の大号令にともない大阪に引き上げていた新撰組も、まもなく戻ってきて最前線で戦います。一方、西軍(新政府軍)はすぐ北の「御香宮」に本陣を構え、大手筋を挟んで目と鼻の先の伏見奉行所に砲撃を加える。土方歳三率いる新撰組も刀や槍で応戦しましたが、大砲の威力には勝てず退却。その後も淀、橋本と東軍は退却を繰り返し、ついに大阪城へ撤退。

■「御香宮」は、神功皇后を祀る大社で安産の神様として知られています。伏見城の大手門を移した表門、桃山建築の拝殿、小堀遠州の石庭などがあります。拝殿の右の駐車場の奥に「戊辰戦争の碑」があり、神社には戦死者の名簿があって新撰組の戦死者24名の名前も載っているそうです。本殿横からは御香水が湧き出し、最近は水を汲む人たち列を作っています。

さぁ、急ぎましょう。マラニック当日までに洛中へ戻らないと。
大石内蔵助も遊んだ撞木町の遊廓跡から、疎水に沿って北上します。
次回で三条に着きそうです。ホッ。


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ケイタロー(京都・桃山)

まりも
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 2172
Re: 幕末&龍馬マラニックの事前学習(その4)
ケイタローさん、毎回ありがとうございます。
皆さん、楽しみにされて読んでおられるようです。
もちろん私もその1人です

マラニックの内容がすごく深まって、アカデミックになったなあ。
何しろ私は福山龍馬しか知りませんし

次回も楽しみにしております。
おくやん
  • 登録日: 2007-3-31
  • 居住地: 京都市
  • 投稿: 171
Re: 幕末&龍馬マラニックの事前学習(その4)
ケイタローさんみなさんこんにちは、おくやんです。

楽しく読ませていただいてます。
「龍馬がゆく」を読んだのは30年位前なので、改めて幕末の京都は大きな舞台だったんだなーと思いました。

前半戦は今の家の近所なので容易に行けるのですが、伏見は距離がありますのでいつか時間をとってケイタローさんのレジュメを片手に回りたいと思います。
幕府軍が敗走のおり開城を請うたのに頑に門を開かなかったという淀城の近くに数年住んでいたこともあり伏見には愛着があるので。

家の近くを通るので参加したいのですが、29日は愚息の誕生日で一日しもべとなり奉仕しますので残念ながら参加できません。
盛会をお祈り申し上げます。


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おくやん/京都

まりも
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 2172
4/25現在 参加予定者一覧
4/25現在参加予定者です。抜け落ちありませんか?
(敬称略、順不同)

【フル参加】
メグちゃん、ケイタロー、いぐち、サケもっと、ヨータロー、にゃむこ、tacoco、もっくん、ジャン、ボガ、ホノちゃん、Oちゃん、Kちゃん、しゅうちゃん、jowan、らにんぱすた、(じん)、まりも  17+1名

※じんさん未確認です。ご連絡お待ちしています。

【ランのみ】
おかん、ナオ(女性)、ナオ(男性)、なおっち 4名

【アフターのみ】
(わたっこ)←調整中 1名

アフター(池田屋)はまだ数名余裕あります。
ご参加希望の方は、27日中にご連絡下さい。
ナオ
  • 登録日: 2007-4-8
  • 居住地: 丹波篠山
  • 投稿: 58
Re: 4/25現在 参加予定者一覧
まりもさん

当日、外せない家の用事が出来てしまいました。

とてもとても残念ですが、キャンセルさせてください。

すみません。

ナオ(男性)


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丹波波篠山・ナオ

まりも
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 2172
4/25現在 参加予定者一覧【訂正版】
ごめんなさい、じんさんのコメント見落としてました。
訂正版です。

4/25現在参加予定者です。抜け落ちありませんか?
(敬称略、順不同)

【フル参加】
メグちゃん、ケイタロー、いぐち、サケもっと、ヨータロー、にゃむこ、tacoco、もっくん、ジャン、ボガ、ホノちゃん、Oちゃん、Kちゃん、しゅうちゃん、jowan、らにんぱすた、じん、まりも  18名

【ランのみ】
おかん、ナオ(女性)、なおっち 3名

【アフターのみ】
(わたっこ)←調整中 1名

アフター(池田屋)はまだ数名余裕あります。
ご参加希望の方は、27日中にご連絡下さい。
ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1250
Re: 4/25現在 参加予定者一覧【訂正版】
まりもさん、幹事ごくろうさまです。

「池田屋」の宴会、まだ空いているようなら、かみさんも行きたいと言っているのでよろしくお願いします。

あの『池田屋』で飲む酒の味は・・・ふふふ。
突然「御用改めでござる!」なんて襖を開けられたりして


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ケイタロー(京都・桃山)

ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1250
Re: 幕末&龍馬マラニックの事前学習(その4)
おくやんさん、お久しぶりです。

僕も高校時代に「龍馬がゆく」や「燃えよ剣」など司馬ワールドの虜になり、幕末に興味を持つようになりました。
あこがれの京都に来て、貪るように自転車で見てまわった頃が懐かしく思い出されます。
(こんなに長く住み続けるとは思わなかったなぁ。)

そうでしたね。退却する幕府軍は淀城に入るつもりだったのに、家老の田辺権太夫が門を開けなかった。会津藩や新撰組は、がっくりきたでしょうね。淀藩は譜代で、当時の藩主・稲葉正邦は老中だったのにねぇ。

息子さんのお誕生日、おめでとうございます。
思い出に残る一日にしてあげてください。


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ケイタロー(京都・桃山)

ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1250
Re:幕末&龍馬マラニックの事前学習(その5)
事前学習もいよいよ最終回。
伏見からは琵琶湖疏水に沿って北上。スタート地点の京阪三条へ戻ります。

■かつて、京都と伏見を結ぶ水運は「高瀬川」だったのですが、現在の二条から木屋町通り沿いを南下する高瀬川は、鴨川以南の東高瀬川と繋がっていないので、残念ながら、京都から伏見港を経て宇治川・淀川を大阪まで下ることはできません。

疎水沿いの遊歩道を「藤森神社」、「第十六師団司令部」(現在は聖母学院)を右手にかすめながら一路北上。十条で疎水を離れ、本町通りから東山へ向かいます。と書きましたが、どのルートを通っても道は狭いし、車は多いし・・・五条坂を上がり産寧坂(三年坂)にある龍馬の常宿だった「明保野亭」経由でもいいのですが、人は多いし階段の上り下りもあるので・・・
まりもさん、どうしましょう?

■いずれにしても、「龍馬の墓」がある「霊山護国神社」へ一気に上ります。上り坂がきついですが頑張りましょう。この神社は、幕末から第二次世界大戦までの戦没者を護国大神として祀ってあります。中岡慎太郎と並んだ龍馬の墓には花やお供えが絶えず、ファンの熱い思いが伝わってきます。墓前からは京都市内が一望できます。
ただ、ここは入山料というか墓地に入るのに300円必要で、龍馬の墓を見るだけなら少々お高いような・・・まぁ他にも有名人のお墓がたくさんあって、一番上には桂小五郎(木戸孝允)と幾松(松子夫人)の墓がありますが、そこまで上がる元気が・・・
このあたりは各自の判断で。

今回は立ち寄る時間がありませんが、神社の向かい側に、幕末維新の資料館・「霊山歴史館」があります。龍馬はもとより新撰組・桂・西郷・高杉らの手紙や肖像画、写真、遺品などが展示してあり、幕末ファンは必見。

■さて、この後は「円山公園」の龍馬と中岡の像を見て、知恩院、青蓮院の門前を三条通りに抜け、龍馬とお龍の結婚の地(現在の東山YH)を経て京阪三条に戻りますが・・・

ちょっと寄り道。
連休にかぎらず、普段でも八坂神社から祇園を走ることはほとんど不可能なので、今回は寄りませんが、八坂神社石段下の交差点の角のローソンのあるところが「祇園会所跡」。あの池田屋騒動の出発地です。
元治元(1864)年6月5日。祇園祭の宵山(当時は6月に行われていた)で賑わう祇園会所前に、新撰組の隊士たちが三々五々集まり、ここから近藤隊・土方隊の二手に分かれて過激派志士の探索に出かけます。夜10時頃、近藤隊5人が探索の末、三条小橋西の旅籠・池田屋にたどり着く。「御用改めでござる!」近藤の一声とともになだれ込む隊士たち。しばらくして土方隊も合流して・・・壮絶な斬り合いだったといいます。
しかし、第1回でもふれたように、ほんの偶然でこの騒動に巻き込まれずに助かった桂が、明治政府の重鎮として活躍し、従一位・木戸孝允として霊山の一番上に、龍馬や中岡よりはるかに大きな墓石で祀られているのを見ると、人生の明暗が紙一重であることに感慨を覚えます。(しんみり)

四条通りをさらに西へ行くと、花見小路の角に「一力亭」があります。
「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助が遊んだお茶屋。(実在の大石内蔵助は、前回ふれた伏見・橦木町で遊んでいます。)ここで行なわれた諸藩周旋方の会議に、新撰組の代表として局長の近藤勇も出席しています。

そこからさらに西へ行くと、新撰組の隊士たちが騒動をおこした「南座」。殿内義男が近藤一派によって惨殺された「四条大橋」。などなど。

■で、話を戻して。
「龍馬とお龍の結婚の地」は現在の東山ユースホステルの前に石碑と説明版があります。もともとは青蓮院の塔頭・金蔵寺があったところで、元治元(1864)年8月、ここで龍馬とお龍さんは内々の結婚式をあげました。しかし、龍馬は薩長の和解に奔走するなど忙しく、新婚生活を楽しむいとまもなくお龍さんを寺田屋に託します。お龍さんは明治39(1906)年まで生きました。

さて、このマラニックもようやくスタート地点の京阪三条へ戻ってきました。みなさん、ごくろうさまでした。こうやって走ってみると、京都が歴史の町であることを再認識します。龍馬や近藤や桂が走り抜けた同じ道を、時を越えて走れる喜びを感じます。これからも機会を見て、様々な時代の史跡を走ってみたいと思います。本日はありがとうございました。
さぁ、このあとは「桜湯」で汗を流して「池田屋」で宴会だぁ〜!


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ケイタロー(京都・桃山)

まりも
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 2172
Re:幕末&龍馬マラニックの事前学習(その5)
ケイタローさん、最後までご説明ありがとうございます。
皆さん、当日はケイタロー先生の抜き打ちテストがあるかもしれませんから、しっかり読んできて下さいね(笑)

さて、懸念いただいております東山での道取りなのですが、私も平日の下見の段階でも結構人出が多くて、大丈夫かなと若干心配しております。
まず、東福寺の中は車は少ないとは思いますが、多分観光客がわんさか。そのまま本町通を行ってもいいのですが、こちらは道が狭くて車も多いし・・・
東大路は歩道が狭いので、ブラインドさん達には併走がちょっと難しいのですよね。いっそ川端通に出て、五条通を行く方がまだ歩道が広いだけましかもしれません。そうするかな。

東山五条から霊山神社までのコースもどうしたものかと思っているのですが、明保野亭は見ておきたいのでやはり五条坂〜産寧坂かと思っています。でも階段危ないですかね。やめた方がいいかな。産寧坂下ってしまえば、東側のお寺の脇を東に入る道があって、人通り少なく霊山神社まで行けます。東山トレイルから清水寺辺りまで下りることができないかとも考えたのですが、よさげな道が途中で柵をされて入れなくなっているようです。

お金かかるけど、龍馬の墓には行きましょう。墓もだけど、ここから見る景色が素晴らしいので、お金払ってもいいと思いますよ。
なのでお天気悪かったらその時考えます。


霊山〜円山公園〜三条通は人出ものすごいでしょうが、かき分け歩いていくしかないでしょうね。この辺り全く走れないと想定して、その分時間もゆっくり取りたいと思います。
紛れないように、frunのバンダナでも旗にして先導しないと危ないかな。


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