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くまぼう |
投稿日時: 2008-9-15 11:10 |
- 登録日: 2007-4-13
- 居住地: 東濃
- 投稿: 759
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- 札幌〜支笏湖ウルトラチャレンジ70km(9/14)
- 北海道マラソンのスタート会場から峠を越えて支笏湖までの35キロを往復するランニング大会のボランティアをしてきた。
コースは、最初の25キロはだらだらと登り(標高差500m)、2キロで200m下り、次の3キロで150m登り、そしていっきに5キロで350m下って支笏湖畔へ。これを往復する、けっこう過酷なコース。 ちょうど、野辺山100キロの前半、天文台を回らずに野辺山駅から稲子湯までを往復するような感じ。路面はアスファルトだけど。
スタートは午前8時。快晴で、スタートの陸上競技場内にはさんさんと日が差す。立っているだけで暑い。 スタートのカウントダウン。 「ジュウ、キュウ、ナナ、ハチ、、」 えっ? 会場がざわめくがコールは続く。「ゴォ、ヨン、サン、ニィ、イチ・・・」 変になごんだまま、スタートしていった。
私が担当したのは、往路30キロ、復路40キロとなる山の上のエイド。つまり、往路は支笏湖へ下る最後の急坂の手前。そして復路は同じ急坂をへとへとになりながら登ってきたところ。でもそのあとにたらたら下って、また最後のひと踏ん張りの登りが待っている。 精神的には一番きついところである。
今回一緒のメンバーは、私以外にこの大会のボラ常連の2人と、男子学生4人。 この学生というのは、厳密にはボランティアではなく、授業の一環と言うか、要するに千歳日航マラソン、道マラ、そしてこの支笏湖マラの3大会でスタッフをすることで1単位がもらえるとか。 この学生たち、見た目は今どきの若者風で、最初、会ったときは不安だったが、いざ作業を始めてみるとけっこうてきぱきと働いてくれて、逆に楽をさせてもらった。すでに千歳と道マラで経験していたこともあったようだが、仕方なくやらされている、というのではなく、純粋に選手を応援しようという気持ちがでていて、気持ち良い若者たちであった。 (と思うのは、こっちも年取った証拠か、、、)
下界は残暑が厳しかったようだが、我々のエイドは、標高が高いせいもあって涼しく、かつ曇っていることが多く、ボラをしているのに関してはさわやかでよかった。 しかし、やはり走ってくる方にはつらかったようだ。まず、スタート直後は高温で、最初の10キロのペースがキロ7〜8分になっている、という情報が入ってくる。比較的上位でいつも走っている友人も、 「きつい、だめだ」 としか言わない。だんだん、走らず、歩いてくる人が増える。 距離的には、まだほんの30キロなのに、、、
折り返してやってくる人と両方が交差する。みんな、よれよれ。しかし、めげずに気合いこめて出て行く。 最初の関門は、折り返しの35キロ地点で13時(スタートから5時間)。最終走者が40キロエイドに来るのは14時頃と見込んでいたが、やはりこの5キロの登りはつらく、14時半頃になっていた。しかしその走者はここでリタイア。
撤収作業も、若者たちがてきぱきとやってくれた。車に分乗してゴール地点へ。彼らは車内からも野太い声で声援する。 自分が走っていて、車から子供の声援はよく聞くが、お兄ちゃんの声援はあまり聞いた記憶がないな、、、
途中、渋滞もあってゴール地点到着が16時過ぎとなったが、荷物を降ろしても最終ゴール時間の18時までまだ時間がある。それで、競技場に入る手前で、声援を兼ねてコース誘導に回る。
あと少しだ、と気合が入って最後の力走をする人。 ここまでくれば歩いてでも完走できる、と歯を食いしばって必死に歩いている人。 声をかけると笑顔を返してくれる人。 軽くうなづくがそれが精一杯だよ、という人。
だんだん、薄暗くなってきたところで最終走者が通過。1キロ手前地点で17時50分。なんとか時間内完走を果たしたようだ。
この後、ボランティアご招待の打ち上げも予定されていた。車で来ている人がほとんどで、時間的には帰宅後に出てこられるように設定されていた。しかし、妙に疲れてしまい、帰宅するとまた出て行く気にならず、そのまま失礼した。 自分の体力も相当落ちてるのかな、、、
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