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7.オフ会・練習会 : 【FRUN15周年記念行事】飛鳥古代ロマン歴史めぐりマラニックのお知らせ

投稿者 トピック
ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1253
飛鳥古代ロマン歴史めぐりマラニック【事前学習その2】
僕がはじめて明日香を訪れたのは1975年。高松塚の喧騒も収まり、素朴な正真正銘の?「村」でした。レンタサイクルもなかったのかなぁ、歩いてまわった記憶があります。それがいまでは・・・隔世の感あり。

■明日香入って、まずは「猿石」(さるいし)
欽明天皇陵に隣接する吉備姫皇女の墓内にある奇石で、全部で4体。1702年(元禄2年)に近くの田んぼから掘り出されて、1体は高取城跡へ運ばれたようです。柵の中なので前からしか見ることはできませんが、猿ではなく渡来人をモデルにしたユニークな人面石造です。とにかく明日香にはへんてこな石がいっぱいあるので、お楽しみに。

■さて、明日香といえば、高松塚古墳。
1970年、村人が生姜を貯蔵するための穴を掘ったところ切石が見つかり、1972年から発掘が始まりました。古墳はすでに盗掘を受けていましたが、石室の壁に描かれた極彩色の壁画は考古学史上まれにみる大発見として大騒ぎになりました。この年の秋に、田中内閣が誕生し日中国交正常化、僕はテニス部のYさんに振られて・・・(関係ないか)思い出ぽろぽろ。
古墳の時期は、2005年の発掘調査で藤原京期(694年〜710年)の間だと確定されています。
で、誰のお墓かというと・・・
天武天皇の皇子である、忍壁皇子、高市皇子、弓削皇子のうちの誰か。あるいは、臣下の石上麻呂。朝鮮の百済王か高句麗の王族クラス・・・諸説紛々。
で、一番の問題は、あれだけセンセーションを巻き起こし、一般公開せずに完璧に保存していた国宝の壁画に、大量のカビが生えていたことがわかり(実は早くからわかっていたのに公表しなかった)・・・これは明らかに保存に失敗したわけで・・・とうとう石室を解体して壁画の描かれた切石を取り出して・・・これは特別史跡である墳丘の破壊ですよね。いったい何をしていたんだろう?もう・・・。(ぶつぶつ)
文句を言っていても仕方がないので、先を急ぎましょう。

■畑の中をしばらく走ると、道の左の高台に「鬼の俎」(おにのまないた)、道の反対側に「鬼の雪隠」(おにのせっちん)があります。
もともとは、1つの古墳の石室(鬼の雪隠)とその底石(鬼の俎)が、盛土が無くなったうえ、二つに分かれてしまったものです。このあたりにいた鬼が通行人を捕らえて、「俎」で調理し食べ、「雪隠」で用を足したということです。
怖いですねぇ。 (つづく)


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ケイタロー(京都・桃山)


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