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6.大会報告室 : 第30回記念 大阪国際女子マラソン11/01/30【受付台】

投稿者 トピック
なみこ
  • 登録日: 2008-8-11
  • 居住地: 東京都目黒区
  • 投稿: 368
第30回記念 大阪国際女子マラソン完走記
あのー。長いけど、いいですか?

第30回記念 大阪国際女子マラソン


国際女子マラソンの中で、自分が今まで走ったことがない唯一のレースが今回の大阪国際だった。

個人的に印象に残っているのは、赤羽選手のデビュー戦だった2009年の大会、自分にとって参考になる部分が多く、何度も録画を見返した記憶がある。このレースでは、低迷が続いていた渋井選手が優勝したが、最後の1kmをとにかく楽しそうに走っていたのが強く印象に残っている。

この大会には去年も申し込んでいたが、突然の海外出張が入ってしまい、やむなく棄権した。自分にとって重要な仕事だったので、レースをキャンセルしたことは後悔していない。けれど、その2ヵ月後の名古屋国際まで体調不良で棄権することになるとは、そのときは思っていなかった。

その前に走った国際フルとなると、その前年2009年の11月に出場した横浜国際だが、そのときは国際資格の3時間15分をこえてしまったので、2010年中に何らかのレースで自分の国際資格を更新したいと思っていた。ところが、7月の札幌国際ハーフは10km関門でDNF、8月の北海道マラソンは直前に捻挫してDNS、8月には軽い交通事故に遭ったりして、レースはおろか練習もできなくなってしまっていた。時期を同じくして仕事が猛烈に忙しくなって、ランニングをする機会も減り、自分はこのままマラソンからフェイドアウトしてしまうのかな、と思い始めていた。たまに見るfrunの掲示板が唯一自分をマラソンにつなぎとめているものだった気もする。

練習再開のきっかけは10月に都心に引っ越したことだった。通勤時間が圧倒的に短くなって自分の時間が増え、さらに通勤ランや通勤ライドができるようになり、気分のリフレッシュにもなったし、身体が動き始めてきた気がした。国立競技場のトレセンに通う機会も少しずつ増えて、12月は初めて月間利用会員になってみた。

今からでも大阪国際に間に合うかも!間に合いたい!と思い始めた12月はじめに、喉、咳、鼻、胃、腸、と次々に体調を崩し、年末年始はほとんど寝たきりだった。今思うと、それまでたまってた悪いものが全部出たのかもしれない。また、体重も増えすぎていた。年明けにTOTAL WORKOUTに行ったところ、筋力をつけながら3週間完全にカーボカットすることを勧められ、その日から、低糖低脂肪食を心がけた。1月中はささみの缶詰ばっかり食べていた気がする。

そんな状況だったので、無理に大阪国際に照準をあわせるのはよそうと思った。しかしながら、今回を逃すと次回までに資格を更新しない限り出場できないから、もしかしたら一生出場できないかもしれない。大阪は声援があたたかくすばらしい大会だと聞いていたので、今回、最初の関門まででもいいから、せっかくなので走りたい。練習のつもりで走ってみよう、と割り切って考えることにした。

レース1週間前、クジラさんとバニーさんと走った横浜練習会では、最初のスピードについていけなさそうだったので一瞬不安をおぼえたが、最後の方に身体が動くようになったので、大阪当日もウォーミングアップをしっかりしよう、と思った。練習会後の飲み会も楽しく、frunの皆さんに力をもらった。このまま大阪も楽しく走れそうな気がした。

レース2日前の金曜日に、本格的にカーボの禁を解いたら、すごい勢いで炭水化物が身体の中に流入してきた。ベーグルにご飯にうどん、いくらでも食べられるような気がした。土曜の朝は、近所の大岡山のヒンメルという最近お気に入りのパン屋を久しぶりに訪れ、ピンと来たパンを全て買ってしまい、完全に炭水化物祭になっていた。炭水化物ジャンジャン来い!という感じだったが、当然、そんなに突然たくさん食べたもんだから、胃が悲鳴をあげていた。でも、似たようなことはこれまでもよくあったので、とりあえずおなかにホッカイロを貼ってあたため、あまり気にしないようにして大阪に向かった。

大阪についてニューオータニで選手受付をしたら、なんだか気分がアガって、ワクワクしてきた。その直後、電車でバニーさんに遭遇し、お友達とお好み焼きを食べに行くと言っていたので、一緒に行っちゃおうかな、と一瞬思ったけれど、荷物もたくさんあったし、胃の調子が何だかおかしかったので、遠慮してホテルに向かった。バニーさんはちょっと緊張しているように見えたけど、まぁ、なんだかんだ言って完走するんだろうから、全く心配ないな、と思った。

長居のホテルに着いた後、食材調達をかねて、てくてく散歩しているうちにホテルからだいぶ遠くに離れてしまったことに気づいた。すでに日は落ちて、かなり寒くなってきたので、タクシーを拾った。タクシーの運ちゃんが、明日は風も強くて寒い一日になるだろうと言っていた。

レース当日の朝に食べたいアイテムのひとつとしてカステラがあったが、コンビ二のそれでは、どうも満足できそうになかったので、長居駅近くのケーキ屋でロールケーキを1本買った。真ん中のクリーム部分は捨ててしまえばいい。そう思ってホテルに戻り、ちょっと味見。大事なレース当日の朝、お口に合わなかったら困るから。そう言い訳しながら、外側のカステラ部分を食べてみた。おいしい。これなら合格。もう一口、もう一口、とカステラ部分を食べているうちに、うっかり生クリームが口に入ってしまった。そのときの衝撃と言ったら!久しぶりに口にした禁断の味!これこれ!私が求めてたのはこれよ!と思い、気づいたら、筒状のデカいロールケーキの3分の2以上が生クリーム含めておなかの中に入ってしまっていた。おーい、と呼んでも戻って来ない。ヤバイと思ったが、何か考えるのも面倒だったので、そのまま布団に入ってしまった。荷物は散らかしっぱなし、ウェアも、明日のスケジュールも決めていなかったが、面倒だったのでそのまま寝た。

レース当日は、スッキリと晴れ渡った朝だった。ホテルの部屋の窓から、長居のスタジアムの一部や、ナイター照明がよく見えた。何か音楽を聴きたいな、と思ってラジオのFMをONにすると、知りあいのミュージシャンの曲が流れてきてびっくりした。昨年知り合って、夫の写真展でミニライブをしてくださった石川優美さんという人の「老眼になった君へ」という、ちょっと変わったタイトルの曲だった。

「昔見えなかったものが、今は見えるよ、昔ぼんやりしてたものが、はっきり見えるよ」という印象的な歌詞で始まる曲で、彼女の曲の中で私が一番好きなものだった。それがこんなにすごいタイミングで偶然ラジオから流れてきたことにとても驚いた。ラジオ番組では何曲か彼女の曲を紹介し、最後に「もしも 君が強く願うなら」という、これまた気持ちを強くしてくれるような曲で締めとなった。

ちょうど数日前のbuzzに自分自身が「最近、ほしい!と強く願うとそれが手に入ったり、会いたい!と強く思うとその人と出会えたりすることが多い。何事も強く願えばかなうような気がする」という書き込みをしたばかりだったので、何か不思議なシンクロを感じた。

9時ぐらいに長居陸上競技場についたが、スタジアムの大きさに圧倒された。東京の国立競技場もいいが、新しくてきれいな長居の競技場も、とてもかっこいい。ここを走るのは、とても気分がいいだろう。到着してすぐにスペシャルドリンクを預けに行った。いつもは5km毎全てのポイントに預けるが、今回は10、20、25、30、35の5本。中身はVESPA、MEDALISTなど。係の女性が「ほらほら、同じ名前」と自分のネームプレートを指したので、見ると私と同じ苗字だった。「私は今回出られないけど、あなた、がんばるのよ!」とハッパをかけてくれた。入り口ではウェアの規定チェックがあり、ロゴが大きいものは、係員の指示でガムテープなどを貼られていた。ほかの国際に比べてだいぶ厳しいように思う。

ロッカールームはほかの国際に比べて場所に余裕があり、ロッカーも一人に一つずつ割り当てがあった。本を読む者あり、音楽を聴いて目を閉じるものあり、友人と不安を語り合う者あり、と、それぞれがそれぞれの時間をすごす。私も準備をし、手の甲に関門時間とペースを書き込んだ。しかし、手袋をしてしまうと、それが隠れてしまうことに後で気づいた。手袋にガムテープを貼ってそこに書いておけばよかった(スキーの大会に出ていた頃、よくそうしていた)と思ったけれど、めくれば見えるので、まぁいっかと思い、そのままにしておいた。

屋内で軽くストレッチをした後は、寒かったけれど、競技場の外に出てアップをすることにした。途中ストレッチや体操をはさんで何度かにわけてアップをし、最後に流しを2、3本やってロッカールームに戻ってきた。ランパンいっちょでいる選手もいたので、自分もランパンで走れそうかどうか、トラックを2周してみたが、ももに突き刺さるような寒さを感じたので、CW-Xで走ることにした。CW-Xでレースに出るなんてことは普段無いので、足さばきなどに不安があったが、それ以外のオプションは無さそうなくらいに寒かったので仕方がない。

上半身については、半そでシャツを着るつもりだったが、どうやら自宅に忘れてきたらしく、半そでもfrunウェアもバッグの中に見当たらなかったので、普通の白いNikeのランシャツにアームウォーマーといういでたちになった。frunウェアは見つけてもらいやすいので、忘れたのは失敗。おなかにはスタート直前までホッカイロを貼っていたが、走る直前に剥がして、それを手袋の内側に貼った。寒いときは手を握りしめるようにして走るとかじかむこともなく、正解だった。靴下はtabio。夏はちょっと暑いと感じることもあるが冬はもうこれしかない。色違いで何色か買って、気分に合わせて履き替えている。サングラスは沿道の人とのコミニュケーションに壁をつくる気がして好きではないのだが、風が強く、アップのときに目にごみが入りそうになったので、かけることにした。髪が邪魔なときにはカチューシャ代わりにもなるし。

スタート10分前を切ってからトイレに行ったが、係のおばちゃんがフレンドリーな感じでさばいていた。トイレが心配な私としては、10分前でもトイレに行けるレースはとてもありがたい。トイレ混雑があまり無いのは国際の好きな点のひとつだ。トイレで並ぶ選手の列が洗面所の鏡にうつっていたが、皆細い。貧血じゃないか?と思うぐらいの人もいる。国際ランナーの中では、私はまるまるとしている方だ。今回は思ったほど減量できなかったが、その分、貧血は改善された。少しくらいタイムは遅くてもこのくらいの体重でいいのかもしれない。

トラックに戻って上着を脱ぐと、さすがに寒かったが、空は晴れ渡っていて本当にすがすがしい気分だった。ここ最近棄権が続いていただけに、スタートに立てること自体が何だかとてもうれしく、じーんときそうになった。思わず、周りの人にそう言ったら、みな一様に「本当によかったね」と言ってくれた。「誰でも出れる大会じゃないんだから、出れることに誇りを持って、堂々と走ればいいんだよ!」と言う人もいた。ゼッケン番号の前後の人から「がんばって戻って来よう!」といわれ、お互いの快走を祈りつつ、スタートを切った。

1kmは4分36秒。2kmは4分11秒。確か最初の関門(19.3k)までは大体4分33秒ペースでいけばいいはずだから、4分30秒くらいでいけるように、あがり過ぎないよう気をつけていこう。それにしても競技場を出た直後の沿道の人のすごいこと。その人ごみの中で、会社の大阪チームの面々が集団の中で私を探して、名前を連呼してくれていた。名前入りゼッケンは遠くからだと、字が小さいため本人を判別しづらいようだ。番号のみが大きく書かれているゼッケンの方がかえって見つけやすいのかもしれない。それに加え、今回は風が強かったので、選手はなるべく集団について走ろうとしていたから、さらに見つけづらかったかもしれない。

5kmは21分53秒。10kmは21分50秒。気持ち的にはジョグみたいな感じでずっと走れていたので、このままいけば最初の関門を突破できてしまうかもしれない。というか、確実に突破できそうな気がした。それにしても大阪の沿道の応援は楽しい。「阪急電車も応援しとるでー」とか、2人組で「ファイトー」「一発!」と交互に言っていたり、「応援してるほうが寒いんやでー!!」と怒ったりとか。いちいち笑ったり、手をあげて答えたりして、楽しく走った。今回は給水はほとんどとらない作戦だった。いつもはせっかくスペシャルを準備したんだから全部とらなきゃ、と思っていたが、給水の後は、大抵いつも、おなかや胃の調子がよくない。それに、口の中でいったん水をあたためて、ゆっくり飲もうと思うので、息をとめる時間が長くなってしまい、呼吸も乱れてしまう。今回は、事前のウォーターローディングがしっかりできている気がしたのと、冬場だということで、必要以上の給水はとらないつもりでいた。結局スペシャルはひとつをのぞいて、取ることさえもしなかった。給水も口をすすぐ程度とした。給水については、どのくらいの暑さまで、この少なさでいけるのかは、試行錯誤してみないとわからないと思うが、今回のレースを通じて、少なくとも冬のレースでは、私の場合、給水はあまり要らないように思えた。

最初の関門19.3kは、かなり余裕を持って通過できた。20kmが1時間28分26秒だったから、4分25秒ペースぐらいか。ここまでは、はっきり言ってスーイスイという感じで、辛かった記憶はない。ときどき風が強くなったときに、走りづらいな、と思うくらいで、この時点ではそれほどこたえなかった。途中で大阪国際ハーフの人たちとすれちがったりして、気持ち的にも飽きなかったのだと思う。frunのウェアを見つけるととりあえず「frun!」と叫んでみた。気づいてくれるとうれしかった。また、会社の大阪スタッフの面々や夫やぶらんぼうさんが、なぜかちょうどいい間隔で応援してくれて、気持ち的に途切れなくつなぐことができたのも、大きかったのだと思う。

そんなわけで最初の関門を通過した段階で、かなりの確率で自分が完走できることを確信した。ここからは、どんどん遅れて大丈夫なわけだから。後は好きに走ればいいのさ!と思った。このように、気持ちに余裕があるということはとても大切なんだと思う。名古屋のときなんかは、次の関門は間に合うか、次はどうなんだ、と気持ち的に追い詰められながら走っていて、そういうときは身体の動きも硬くなりそうな気がする。今回は、給水ポイントを通るたびに腕をぶらーんとさせたり、上にあげてみたり、肩を上下させてみたりなど、定期的に上半身をほぐすよう心がけてみた。これが効いたのか、最後に脚が疲れてきたときに、腕を振る余力がまだ残っていたので、腕をしっかり振って走ることができたように思う。

道頓堀折り返し後は、たまに膝が痛くなったり、また、息がすいづらくなったり、そして、脚も全体的に疲れてきた感は出てきたが、「あー、そういえば、フルマラソンってこんな感じだったよなー」という懐かしさを感じる程度で、「もう止まりたい」とは思わずに走っていられた。頭の中でエンドレスで流れていたCraig Davidの「One more lie」のリズムの速度がレコードがとまるときみたいに少しずつ遅くなってきていた。(Four TopsのStanding in the shadows of loveをサンプリングしている曲で、ピッチ走法の人にオススメ)5kmのペースも23分、24分とだんだん遅くなっていったが、タイムはどうでもいいや、と思っていたので、好きに走った。

向かい風が強いときは、なるべく誰かを見つけてピッタリくっついて走るようにした。いつ風が吹いてもいいように、常に誰かを近くにおいて走りたいと思うのだが、この大会の出走者数自体がそんなに多くないのと、後半になるとだいぶ人がばらけてくるので、後半になればなるほど、一人旅になりがちということは横浜で学んでいた。今回は余裕があったので、前の人に追いつけそうなときは、無風や下り坂をみはからってアクセルを踏み、前の人につくようにした。のぼり坂や逆風では無理をしないようにした。

後半、沿道に人が少ない場所では、ショーウィンドウにうつる自分のフォームをチェックしながら走った。後で正面からの写真を見ると、首は横に倒れ、脚は巻いていたが、ショーウィンドウにうつる真横からの姿では、割とまっすぐ身体を起こして走れていたので、まだまだ大丈夫、と思った。

後半の給水ポイントで、スペシャルドリンク受付のときの女性がいたので、「私、ちゃんと走ってるよ!」と視線を送ったら、笑顔でこたえてくれてうれしかった。それにしてもこの寒い中、応援の人たち、係の人たちは本当に大変だったと思う。ボランティアの高校生なんか、マラソンを嫌いになってしまうんじゃないかと思うくらい、北風ぴゅーぴゅーだった。こういう人のおかげでレースが成り立っていることをあらためて感じた。本当に心から感謝したい。

37kmを超えるとポイント表記が「残り何km」に変わり、そして、道路の上の青い大きな交通表示に「長居」の文字が出始めた。応援も「もうすぐやで〜」「あとちょっと〜」という内容が増えてくる。長居公園内に入ると、すごい人だった。北海道マラソンの中島公園のウィニングロードもすごいといわれていたけれど、それを上回る人が競技場の入り口まで続いていた。トップ選手はとっくにゴールしているにもかかわらず、まだ結構な数の人が残ってくれていた。「おかえり〜」「ここまでようがんばったな」など、いろんな言葉をかけていただいた。このひとつひとつの声援が私をここまで走らせてくれたのだ。まだまだずっと走っていたい、と思えるような公園道路にわかれを告げて、係員の誘導に従ってトラックに入っていく。競技場は大きくて、その中を走っていくのはとても気持ちよかった。トラックを走っているときに、おととしの渋井選手のラストのトラックでの走りがフラッシュバックした。すごい楽しそうに走っていたっけな。私もすごく楽しいぜ!と思い、ガッツポーズでゴールした。3時間12分25秒。

自分にとって、3時間15分というのは結構大きな壁だ。4時間なら練習しなくても走れそうな気がするし、ちょっと練習すれば3時間半はクリアできそうな気がする。けど、3時間15分は、今の自分には、ある程度負荷をかけて練習しないとクリアできない感じがあるし、ゆえに、国際出場・完走は、身体のメンテナンスも含め、ある程度の時間も割かないと実現できないイメージだ。出場を夢みて、つらい練習をして、ある程度の時間も割いたのに、完走できなかったり出場できなかったり、ということが何回か続くと、気持ち的には結構疲れる。トップ選手はそれが日常なのだろうけど、市民ランナーの私たちにとっては、生活の中心は、会社なり家庭なり、別のところにあるのが普通で、その中で、どこまでできるのか、どこで気持ちの折り合いをつけるのか、というところは、自分で考えて線を引いていかなくてはならない。

ここ1年くらい、その線引きの判断をどこにするか迷うことが多かった。やりたいことがほかにもあるし、けど、マラソンももう少しやってみたい。やるからには上を目指したいし、それにはある程度の時間が要る。そんな迷いの中、DNSが続き、練習から遠ざかったのは、いろいろなことを考え直す意味でよかったのかもしれない。加えて、2回連続10kmでDNFしている札幌国際ハーフだが、この、ハーフに向けた夏場の辛いスピード練習が、実はじわじわと効いていたのかもしれない、と思う。いろいろなことが無駄ではなかったんだな、と思った。

長くなりましたが、同じことで悩んでいる人がいたら参考になるかな、と思って書きました。マラソンは楽しいですね。また走りたいと思います。


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