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7.オフ会・練習会 : 「琵琶湖疏水を走る・秋の紅葉狩りマラニック」のお知らせ

投稿者 トピック
ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1253
Re: 「琵琶湖疏水を走る・秋の紅葉狩りマラニック」【事前学習2】
山科の疏水は山科運河ともよばれ、市民の憩いの場になっています。素敵なジョギングコースです。疏水に沿ってタラタラ走ります。

■琵琶湖疏水については、ご存知の方も多いので簡単に。
明治2年に都が東京へ移ると、京都の産業は衰退し人口も急減しました。この京都を復興させるために計画されたのが疏水事業でした。
明治14年、京都府知事となった北垣国道は、琵琶湖の水を京都まで引くための疏水を開削し,琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き,同時に市民の飲み水や、灌漑、防火、水力発電などに利用して,京都の産業を振興しようとしました。そして、この大事業の主任技師として選ばれたのが、工部大学校(現在の東京大学)を卒業したばかり、わずか21才の田邉朔郎でした。今だったら考えられない若さですね。それだけでなく、長等山を抜ける第1トンネルの長さが2436mもあり完成が危ぶまれましたが、ほとんどが人力による難工事の末、着工から5年後の明治23年に疏水は完成しました。竣工を祝って、市内各家には日の丸と提灯が揚げられ、祇園祭の月鉾、鶏鉾などが並び、大文字も点火されたといいます。市民の喜びがいかに大きかったかを物語っています。
疏水のおかげで、蹴上に日本初の商業用水力発電所が稼働し、紡績などの新しい工場が生まれ、明治28年にはわが国最初の路面電車(京都駅〜伏見)が開通し、京都は活力を取り戻しました。
それから20年後,さらに豊かな水を求めて第2疏水が建設され、蹴上浄水場より給水も開始され、今日の京都のまちづくりの基礎ができあがりました。
ちっとも簡単じゃなかったですね。すみません。

途中で、疏水からそれて天智天皇陵に寄ります。
ここも紅葉がきれいなんです。(つづく)


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ケイタロー(京都・桃山)


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