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9.ウルトラマラソンの部屋 : 第17回奥武蔵ウルトラマラソン10/08/01【受付台】

投稿者 トピック
バニー
  • 登録日: 2008-2-3
  • 居住地: 東京都
  • 投稿: 1288
第17回奥武蔵ウルトラマラソン完走しなかった記
暑くて熱い奥武蔵はウルトラの楽しさを教えてもらった大好きな大会ですが、今年は以下のような結果になりました。
(ゴールしなかったのでいくらか短いですけどやっぱり長いんだな。スミマセン)

痛さは傷めている右のアキレス腱より、左足膝内側の鵞足炎の方が気になった。
暑い気候に加えて故障しているので「バニー」で走るのはやめて、麦藁帽子(麦藁ではないのだが)と涼しげなチェニックに五分丈スパッツという「山に遊びにきました」というコンセプトのウエア(衣装)で走ることにした。
朝から暑くて、スタート前に既に汗がながれていた。
18kmくらいまでは低い山の周りを走り、1周したあとグリーンロードを走るコースになっている。
マイミクのyokoyanさんはいつも麦藁帽子に虫かご、虫取り網といういでたちで走っているので、今日はちょっとかぶるところがあった。
後ろから追いついて抜かしていったやはりマイミクのアルさんに「バニーさん、走ってる場合じゃないでしょ。畑はどうしたの」といわれたので、すぐ後ろに居たyokoyanさんの方を示し「おとーちゃんも来てるから今日は畑はいいことにした」と答えた。
で、このあとこの「畑仕事」をいただいちゃうのだが。

鎌北湖からグリーンラインを上がると、やはり少し涼しさを感じる。
蒸し暑い東京で走ってるよりはいいかもしれない。
そうはいっても、やっぱり上りはキツイ。
20kmを超えるとき、サロマ以来の最長練習距離を越えたとおもった。鵞足炎も時々痛いような気がしたが、麻痺してきたのか大丈夫になってきた。
ヒデゾーさんが車で応援に来ていてくれたのがそのあたりで、止めてもどるならここだよなと思ったが、まだ大丈夫だったのでそのまま行った。
奥武蔵は途中でリタイヤしても、関門で引っかかった人たちの収容バスがくるまで戻るバスはないので、それを待つか自分で降りてくるしかないのだと聞いていた。

30kmを超えてもアキレス腱も、いまのところ大丈夫。
でも、右足の付け根が上下運動に疲れてきたのか、少し痛いようにも思えた。
でもそれもそのうち大丈夫になったというか解らなくなってきた。
途中で応援ランをしているグループにあった。応援してもらったので「畑さ水撒きにいかねば」といって答えたりした。

エイドではおかゆやそうめん、メロン、スイカ、トマトなどいただき、頭から水もかけてもらった。

40km表示を超えてからのエイドでは「ここは41km」とアナウンスしていた。
まだ「ウルトラ」にならないのか。
さくらやさん、とエイドですれ違う。はやいなぁ。

ここでトイレを借り、出発するとすぐに稲練のマックさんとすれ違った。すれ違いざまに「トイレ近くにありますか?」と聞かれたので、さっき使ったばかりだったので「すぐソコにあります」と答えることができた。

すれ違う見知らぬランナーとエールを交し合いながら走る。奥武蔵のいいところだ。
順調、ではなかったけど不調でもなかった。

折り返しでは縄文人さんやいつもの水着のおねーさん、の他に「ちょうどいいくらいにキモイ」メイドのおにーさんがかき氷を配ってくれていた。

とうとう折り返しまできてしまった。ということは自分で帰らなきゃいけないわけだ。
折り返してすぐ、ウルトラ美女部のやっさるさんとすれ違う。腰を痛めていて途中で止めるといっていたのに、彼女も結局ここまできてしまったようだ。

すれ違うランナーとエールをおくりあいながら、走る。
去年、もうすこし向こうですれ違った知り合いたちと、すぐ近くですれ違う。今年はずいぶん遅いんだなぁと改めて思う。

復路は下り基調だけれど、ときどき上りもある。
今回下りは走り方を教わったので、試してみるとなかなかいい感じで走れた。
しかしこの辺りから登りを走ると右足の足首あたりに靴が当たって「靴擦れ」しそうな感じがあった。
この感じは知っている。サロマで靴擦れかと思ったのがアキレス腱炎だったアレだ。
まだちゃんと走れてないんだ。。。走りながらアキレス腱に負担のかからない走り方に修正する。
いい感じになったけど、やっぱりダメ??
折り返してからのすぐのエイドは知り合いたちがやっているエイドで、故障しているアキレス腱がちょっとヤバイ感じとこぼすと「エイド要員として雇うよ」といわれた。
ちょっと魅力的なお誘いだったけど、もう少し行ってみることにした。

次のエイドは往きにトイレをかりたエイドだ。
この頃にはやっぱりちょっとまずいかな〜が強くなってきていた。

ふいに「バニーさん!」と声を掛けられた。ポーラ♪さんだった。
ポーラ♪さんとふうせんさんのご夫婦は自転車で応援に来てくれていたのだった。
アキレス腱がやばいと訴えてみたが、自転車じゃ乗っけてもらうわけにはいかない。
が、横にharaさんも応援にきていて(ホントはランナーだった)二人乗りの車できているという。
心が揺れた。

折り返してからすぐにで会ったやっさるさんが追いついてきた。
「やめるかも」というと、やっさるさんも「心が揺れる」といったが、一人しか乗れないというと、走る気になったようだ。

まだ迷っていた。
エイドで給水した後、後ろの広場で座り込んで両足の靴と靴下をぬいだ。
右と左を見比べ触ってみた。
ひいきめにみても右の足首の方がふっくらしている。
なんども眺める。
決心がつかない。もっと痛いとかだったらすぐに止めるのだけど。
なでてみながら「明日もまた走りたいなら止めるべきだ」と言い聞かせた。
また何週間も思うように走れないのはなにより辛い。
明日もまた走りたいならここでやめよう。

関門に間に合わなくてリタイヤしたことはあったけれど、自分からやめることを決めたことはなかった。
ゴールすればどれだけのうれしさや満足感があるか、リタイヤすればどんな気持ちになるのか。私はよーくそれを知っている。
その気持ちを想像すると自分から止めるというのはものすごく力がいる。
あと26km走ろうと思えば走りきることができる距離だ。
諦めきれない。

それでも「明日また走りたいなら」

なのだ。

ポーラ♪さんたちが応援しているところに戻ると「びしょぬれで申し訳ないけど、乗せてください」とharaさんにお願いした。

ゼッケンをはずして足元に置いた。

それからしばらく応援をしていたが、知り合いたちはみな不思議そうだったし、畑仕事の衣装はそこそこ目立っていたようなので「あんなに調子よさそうだったのに?」と気に留めてくれる方もいた。

しばらく応援してから車でコースをたどってゴール会場にむかった。
車からみるグリーンラインは走っているときとは違って見えた。こういうコースなのかと改めて見た。
車で走ってもすごいアップダウンだった。
その中をランナー達は一生懸命走っている。
初めは車で追い抜かすランナー達にエールを送っていたが、なんだかそれもできなくなってしまった。

知り合いや美女部のメンバー達には声をかけたが、みなびっくりしていた。
抜かしていく一瞬に事情を説明するきとはできないので、ジョークの解りそうな人には「彼氏が迎えにきたから」とか答えてみたが。。。

わかっていたことだけれど、がんばってるみんなをみていると感動すると同時に辛さがつのる。
がんばれなかったことが悲しくなってくる。

ゴール5km手前のエイドには「冷やし汁粉」があり、それを楽しみにしていたが、今年はそれも食べられない。
と、おもったが、そのエイドにはmiyaさんがスタッフとして仕事をしていて、私たちの車をみつけると写真を撮ってくれ、冷やし汁粉を差し入れしてくれた。
haraさんには申し訳なかったが、助手席でひとりでいただいてしまった。

ゴール会場前で車をおりて、ゴール方向へむかう。
もともと普段着みたいな格好で走っていたので、ゼッケンを外してしまえば、誰もランナーだったとは思わない。
ひっそりとゴール脇のテーブルにチップを返した。

次々と入ってくるランナーや友人達をみながら
「何のために今日やめたのか。ちゃんと活かさなくてはいけない。
そうして来年またゴールをめざさなくては」とおもった。

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