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はやと丸 |
投稿日時: 2007-6-22 0:32 |
- 登録日: 2007-4-2
- 居住地: コバトンと同じ埼玉県
- 投稿: 470
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- 第37回防府読売マラソン参加記(その4)
- はやと丸です。
防府読売マラソン(その4)はレース後半です。
●20〜25キロ 1゜43’24”(21’52”) ここから手元時計による推計タイム (22キロ関門まで) 折り返したランナーは誰もが真剣な顔つきだった。知人のランナーを見つけても、あっという間に過ぎていくので声をかける間がなかった。中間点(ハーフ)の通過は1時間26分。22キロ関門までは900mあるから、ギリギリ通過できるのではと思った。その後、22キロ関門通過を目指す集団のランナーが通り過ぎ、自分は大きな魚に食われる小魚のようであった。 県道の交差点を過ぎ、22キロの関門が見えてきたが、役員はカウントダウンを始めた。どうか通過できるようにと思いつつ走ったが、なんと目の前で制限時間の1時間30分に達し、その場で競技打ち切りとなった。22キロ関門でつかまるとは思ってもいなかったが、これが今の実力だった。役員の指示に従いその場でゼッケンを外した。
(22キロ関門から) 競技打ち切りになって、頭が真っ白な状態で後ろを向いたら、そこにはaonoさんがいた。スタート時に抜いてから、ここまで抜かれなかったことに調子が悪かったのだろうかと思ったが、最近のハーフは記録を出していたし、思い当たる節がなかった。aonoさんも自分がここにいることに驚いたに違いないが、自分もこの光景が信じられなかった。声をかけたかったが、このときにはすぐにゴール目指して走ることに心を切り替えていたため、aonoさんの肩を叩いて「おつかれさま」と一言だけ言って、22キロ関門を後にした。その間わずかに30秒くらいだったか。 正式な完走ができなくてもゴールを目指すと決めていたので、自分への約束は守りたかった。それは他者からどう思われてもかまわなかった。走り出したときは悔しくて涙が出たが、すぐに止まり、最後尾の車を目に据えて黙々と走り出した。ゼッケンを外していているのに、沿道からはレース中のランナー同様に応援を受けた。そのたびに「ゴールを目指します」とはっきり言ったら、逆に「いいぞ!」と言われた。この人たちの応援を無駄にしないように走ろうと思った。 競技からは解放されたので、できるだけ沿道や遠景の景色を見るようにしてLSDみたいな走りをした。23キロを過ぎて、右手に広がる航空自衛隊北基地の向こうにある工場の煙突が南にたなびいていて、先に見たときとは向きが変わっていることだけでなく、北よりの風通りに吹いていることに気付いた。すぐ後に左側のコンビニ駐車場で3110(さいとう)さんを応援するちえさんを見つけ、「ゴール目指します!」と言ったら、ちえさんは手と大きく振って応援してくれた。 収容バスが止まって、役員からバスに乗るか聞かれたが、きっぱりと断り、ゴールを目指して走ることを伝えた。意志が口調に表れていた。バスは煙を出してゴ−ルに向かった(こういうランナーを認めてくれる大会側の懐の深さに後になって感じるのであった)。その先で見た華西中学校は鉄筋3階建ての白い校舎で、造りから見て30年近く経っている感じだった。4回走って、今回初めてこの中学をじっくり見た。レースだとちらっと見るだけだから。
●25〜30キロ 2゜10’54”(27’30”) 25キロを通過し、左前方には岩肌を見せた山々が見えた。枯れ松も目立つけど、防府周辺はこのような岩質の山々が多いのだろうかと疑問を持った。 26キロ過ぎの給水所はまだ片付いていなかったため、スタッフに給水をお願いしたら、手にしたものはなんと招待選手である入船 満選手(同じカネボウに所属する入船 敏選手の弟)のスペシャルドリンクだった。多分取り損なったものかもしれないが、スタッフの粋な計らいで実業団選手のドリンクをいただくことができた。茶色のプラスチックのボトルにはどんな味のドリンクなのか気になった。陸橋を淡々と上り下りしながら口にすると、意外にもさっぱり味。何だろうと思ったら、これは麦茶だと気づき、入船選手の庶民的な一面が感じられた意外な発見だった。 県道(旧国道2号)に右折すると、収容者の後ろに連なる車から発生する排気ガスの煙で気分が悪くなった。車道を走っていたら、役員から歩道を走るように注意を受けたので、渋々歩道へ。この辺は店や事業所が並んでいて、近所の人に加えて店の人たちが仕事を休めて(仕事どころではないか)応援していた。ここも応援はずっと受けたので、ありがたかった。すると小学校高学年の2人の男の子が自転車で追いついてきて、自分の後に付いてきた。男の子に話したら、一緒に併走するということで、びっくりしつつも、リタイアランナーのために併走応援するサポーターができたことに正直嬉しかった。小学生だからどこまで付いてくるのか気になったが、反対側の歩道に移る29キロ付近まで2キロ近く一緒に自転車をこいで応援してくれた。最後はなにも言わないで消えちゃってごめんね。本当にありがとう! 反対側の歩道に移ったのは、この先の交差点に横断歩道がなく、車が走っている中横切るのは危険だと判断したからだった。その交差点を右折し、防府郵便局を通過したら、反対側には収容バスが待機していて、30キロ地点を通過したことがわかった。関門は気にしなかったので、そのまま通過。25キロの時もそうだったが、GOさんとchihikinさんが収容車に乗っていなければいいのだがと思った。
●30〜35キロ 2゜37’25”(26’31”) 過去の防府読売マラソンであれば、30キロ以降で足にどっと疲れが出てペースダウンしたが、今回は22キロからLSDペースで走っていて、いつもの練習に近い走りだった。そのおかげか、かえって疲れが抜けて走るのが楽だった。レースもこのくらい足取りがうまく刻めばよいのだが。 防府サティがある通りにさしかかると、交通規制の解除後で歩道を走った。歩道は応援ではなく、買い物客が往来していて、当然ながら声をかける人はいなかった。さすが年の瀬の休日、サティに向かう客は多かった。31キロ付近の給水所は水を2杯摂り、役員から「完走が大事だよ」と言われた。自分の思いはこれでいいんだ。 32キロを過ぎると、30キロ関門は通過したものの、ペースが上がらなくなった選手が視界に入った。今まで、自分もこんな風になっていたのだと客観的に見ていた。ジョギングペースでこの選手をとらえ、「リラックスで行きましょう」と言いながら追い越した。本当は苦しくてもここまでゼッケンつけて走りたかった! 三田尻港へつながる分岐点、小さな起伏差のある橋を渡ると33キロを超えた。このペースで走りながら、改めて視界に入る光景を眺めた。右手には防府市の清掃所があり、空に向かってまっすぐ立つ白い煙突がすごく太かった。日曜だが、清掃車は出入りしていた。その間にも歩くペースに近いランナーを3,4人追い越した。こういう展開は考えていなかったが、追い越すときは嬉しさよりも悲しさが強いように感じた。コースは西よりになり、再び向かい風が正面から受けるようになった。 右折して防府駅に向かう県道に入ると、35キロのポイントが視界に入った。通過点ではすでに計測マットを片づけているのが見えた。関門から10分近く経って、悲喜の分かれ目はあっという間に片づけられた。
●35〜40キロ 3゜06’22”(28’57”) 35キロには収容者が待機して大会の雰囲気が残っていた。ここから先は本当の一人旅だった。左折してもう1回山を見ながらのラン。関門解除後で車の列が続いていた。空を見上げると、スタート直後とうって変わって太陽が顔を見せていた。しかし、西よりの風が激しく吹き、体が冷える上に足が前に進まなかった。昨年、36キロくらいで応援してゴール後に競技場まで駆けつけた島津さんの姿はなかった。競技は終わっているし、この強風だと外にいても体を冷やすだけだから、家に戻ったのだろうと思った。 36キロ過ぎの給水所は片づけ終わっていたが、のどが渇いているので水分を取りたいと言ったら、箱からコップとペットボトル取り出して、水を分けてもらった。その場で飲んで、お礼を言ってまた走り出した。体がよろけそうなくらいに吹きつける風を受けながら、時が長く感じられた。早く左折ポイントに来ないか、その事ばかり頭に描いていた。目の前に見える山の木々は、全て葉を落としていて、くすんだ黒山のようだった。ああ、山口も冬なんだなあ。 38キロを過ぎ、左折して3度目のコースを通った。給水所は既に片づけられていた。その時に、ふと目の前に見えないものに導かれていくのが感じられた。これが、ジョルジージョが信じていた神様を言っているのか。一人で走っているが、目の前に神様がいると思ったら、一人ではないのだと思った。不思議なことに寂しくはない。神様に導かれながら、残り4キロあまりのコースを走ろう。そうすると苦しさから、再び楽しさや喜びを感じられるようになった。 すぐに左折して、2度目のコースへ。遠くに見える山々やその前にある工場と南にたなびく煙、走りながら穏やかな冬景色だなと思った。浜方の太鼓演奏部隊は既に片付けを終えていて、三々五々帰るところだった。そんな様子を見ながら40キロをしっかりした足取りで通過した。
●40キロ〜ゴール 3゜18’02”(11’40”) 40キロを過ぎた直後の給水所も片づけが終わっていた。スタッフも今ごろ走っている人がいるとは思っていなかっただろう。ここも、無理を言って給水を摂りたいと言ったら、アクエリアスを2杯分けてもらった。風の影響でのどがカラカラになっていたみたいで、あっという間に飲み干した。スタッフから応援を受けて、すぐに走り出した。道路はすっかり乾いていて、ウエアは汗の湿り気だけ。雨の予報は半分外れて、強風さえ除けば天気が回復して良かった。 右手に見えたブリヂストン工場を見て、防府にも工場があることを初めて知った。上尾の本社工場よりも広々としていて、奥まで見えた。それからすぐに反対側の歩道に移り、ゴールに向かった。ゴールが近いこともあったが、一人ではないのだという思いもあって、わくわく感があった。 やがてグランドが見えると、競技を終えて帰る選手を見た。フェンスに沿ってカクカク折れて、競技場の入口へ。駐車場へ移動したり、防府駅に向かうバス待ちの選手を見ながら、ちょっと恥ずかしさもあったが、気には留めなかった。競技場の通用門が開いていたので、お約束通りそこから進入し、日射しを横から受けながらトラックを走った。トラックを走りながら、今回も非公式完走だけど、ゴールできる喜びで一杯だった。メインスタンドにさしかかると、表彰式の最中だったので、気付かれないようにゴールラインを踏んだ。3時間18分あまりの長い道のりはこれで終わった。
その5に続く。レースが終わってからの話です。
2007.6.21 はやと丸
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