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はやと丸 |
投稿日時: 2007-6-22 0:28 |
- 登録日: 2007-4-2
- 居住地: コバトンと同じ埼玉県
- 投稿: 470
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- 第37回防府読売マラソン参加記(その3)
- はやと丸です。
防府読売マラソン参加記(その3)は、レース前半です。
●スタート〜5キロ 19’54” 12時2分に小雨降る中号砲が鳴った。500人あまりのランナーがいっせいに走り出し、列が長い布のようにあっという間に広がった。競技場を出ると、濡れた路面をピチャピチャ音を立てて、雨中強行軍のような感じだった。ペースは抑えていこうと心の中でささやきながら、片側2車線の県道へ右折した。まだ始まったばかりだから、体が暖まらないのも仕方ない。広い県道から狭い県道へ左折した2キロあたりでも、体の重さは変わらなかった。35キロの距離表示を見て、今回もここを通過できるのだろうかと先のことを思い描いた。 3キロくらいでまた左折し、住宅街を通った。沿道の応援は何層にも重ならなかったけど、途切れることはなかった。昨年ゴール地点で駆けつけてくれた島津さんはいるだろうか。まあ、これだけランナーがいると気づかなくて当たり前か。 正面には雨でけむった山が見えた。去年この山は雪化粧していたっけ。路面の水たまりがあるみたいで、シューズが音を立てている。そんなことには気にかけずに、ただ前を見て走った。5キロの通過は20分をちょっときるタイムで、出だしのオーバーペースは抑えることができた。
●5〜10キロ 39’57”(20’03”) 3週間前のつくばマラソンでは5キロ以降ペースダウンをしたので、ペースを維持して走るようにした。関門との戦いだけでなく、ペース配分も意識するので、いつものレースと違って考えることが多い。6キロにさしかかる前に左折し、中間点に向かってコースを南下した。最初の給水所をでは尿意が心配だったので、コップに入った水は半分だけ飲んだ。 すぐに左折して片側2車線の県道を東に向かって進んだ。道幅が広い分、ランナーとの間隔が広がり圧迫感がなくなった。遠くに見える山はくすんだ茶色で葉を落とした木々がなす色をしていた。山の前には工場が視界に入り、工場の煙突から白い煙を吐き出していた。このときは北になびいていたように思う。 8キロ過ぎでほにゃらかさんと目が合い、応援を受けた。FRUNメンバーからの応援は心強い。この応援にこたえる走りがしたい。小雨は降り続けていたが、気温は8度前後で走っている分には寒さを感じることはなかった。スタート時のペースを維持することができ、片側1車線になり始めた10キロ地点を無事に通過。40分をわずかにきるタイムで、この5キロは先の5キロとほぼ同じだった。
●10〜15キロ 1゜00’33”(20’36”) 左から風を受けつつ、林立する工場群を通り過ぎた。スタート時の小雨が次第におさまり、走りやすくなった。ちょっとしたアップダウンのある橋を渡り、三田尻港につながる道にさしかかる頃にはランナーがまばらになった。 市街地にさしかかると再び沿道の応援が戻り、頑張れの声があちこちから聞こえてきた。12キロ過ぎでは地元の子どもたちによる打楽器のようなものを叩いて応援していた。その後JR山陽本線の高架をくぐり、すぐに左折して旧国道2号にあたる県道を通った。昨夜通ったアーケード街の入口や泊まったホテルを確認した。曇っている上にビル影の関係で寒かった。 山陽自動車道につながる交差点では車が長い列を作っていて、レースで犠牲になっている人もいるのだと気がついた。市街地から郊外にさしかかるところで15キロ地点で、1時間強だった。昨年よりも3分下回り、抑え気味とはいえ、これはちょっと大丈夫だろうかと不安がよぎった。 ●15〜20キロ 1゜21’32”(20’59”) ここまで大会HPに掲載された記録から その不安は見事に的中した。15キロを過ぎると向かい風が正面から吹いてきた。これだけならまだ良いのだが、ここに来て後続のランナーにどんどん抜かれていった。後になれば、後続のランナーは22キロ関門を計算して走っていたことがわかったが、このとき22キロ関門を通過するよりも抜かれたことに焦りを感じた。まこてぃんさんやしげきっちさんに抜かれたのは16〜17キロ地点だった。 焦りだしたら体は正直なもので、足取りが重くなっていった。それにはすぐ気がつかなかったが、抜かれたランナーとの足取りを見ると一目瞭然だった。このままでは完走はできなくなるかもしれないという思いが強くなり、レースに集中できなくなった。昨夜の落ち着いた気持ちとは対照的で、冷静さを失っていた。 17キロ半で左折し、陸橋を渡ったときも足が思うように動かず、去年のような走りが望めなくなっていた。どうしてここで走れなくなってしまったのか、完走をしたいと思った気持ちを持っていたのにもろくも崩れてしまうことに、自ら問いかけていた。 18キロを過ぎたところで、対向車線を先頭のランナーが通過した。 風は追い風だったが、ペースは上がらず、中間点の関門通過を目指すランナーが目の前を次々と過ぎていった。このときに、防府駅で落ち合っGOさんとchihikinさんに声をかけられた。2人とも同じように中間点の関門通過を意識している走りだった。昨年は32キロ付近でGOさんに声をかけられ35キロ関門を通過する原動力となったが、今年はそれどころではなかった。 こういう状況でも20キロは通過し、1時間21分半だった。この5キロは21分近くかかり、ペースダウンは明らかだった。
その4に続く。さて、この後はどのような展開になるか?
2007.6.21 はやと丸
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