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7.オフ会・練習会 : 4/29 幕末&龍馬 春の京都観光マラニック

投稿者 トピック
ケイタロー
運営スタッフ
  • 登録日: 2007-3-5
  • 居住地: 京都
  • 投稿: 1253
Re:幕末&龍馬マラニックの事前学習(その1)
「幕末&龍馬 春の京都観光マラニック」参加のみなさん、こんにちは。

昨今の龍馬ブームの中、ランニングの世界でも様々な催しが行なわれていますが、今回のこのマラニックは、龍馬の京都における足跡をほとんど網羅した龍馬ファン必走?の決定版。さすがマラニックの女王・まりもさんならではのタイムリーな企画です。(昨日「筍マラニック」も盛況だったようです。)
で、走る前に多少の予備知識があった方がいいと思うので、不肖ケイタローが事前学習の講師を勤めさせていただきます。エッヘン!
といっても専門家ではないので、ほとんどは受け売りですが・・・

第1回は、三条河原町界隈。
京阪三条駅に荷物を預け、鴨川に出て、さぁ出発!
■三条大橋を渡り、三条小橋を高瀬川沿いに南に折れ、1筋目を西へ入ったところが「酢屋」。材木商の酢屋嘉兵衛が龍馬に住居と海援隊の事務所を提供。近江屋で暗殺される3日前まで住んでいたところ。今はギャラリーになって、龍馬関係のお土産も売っています。

■その「近江屋」は河原町通りを南へ、蛸薬師をわずかに下ったところ。(今はコンビニ、だったかな?)1867年11月15日、ここで龍馬は中岡慎太郎とともに刺客に襲われ、わずか33歳で死去。龍馬は頭蓋骨を割られ、その血しぶきを浴びた掛け軸が京都国立博物館にあります。それにしても惜しかったですねぇ。龍馬が明治まで生きていれば・・・とはよく言われることですが、早世も人気の理由でしょうか。

■河原町通りを挟んで、すぐ向かい側が「土佐藩邸」。脱藩したとはいえ、藩邸にかくまっていれば・・・。それに、河原町通りは今のような道幅ではなかったから、近江屋と藩邸はわずか4、5メートルほどの距離だったはず。悔やまれますねぇ。
ところで、龍馬を殺したのは誰か?という犯人探しには諸説あって、いまだに結論は出ていません。当初、実行犯は新撰組とされ、のちの近藤勇の斬首につながるのですが、現在では見回り組が通説のようです。その黒幕となると、さらに諸説紛々。岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、桂小五郎・・・そうそうたる顔ぶれ。まぁ、それだけ敵が多かったわけですね。     

■龍馬とは直接関係はありませんが、三条小橋の西が「池田屋」。新撰組が尊攘派の長州藩士に壊滅的打撃を与えた、あの池田屋騒動の舞台。先ほど名前が出た桂小五郎は、この日、早く着いてまだ誰も集まっていないので、いったん池田屋を出て、対馬藩邸(河原町教会の裏)に行っていたため難を逃れた強運の持ち主。いくら桂といえども新撰組の猛者たちを相手には勝ち目はなかったでしょうね。歴史の明暗ですなぁ。
木屋町御池を上がったところが、その桂と幾松の寓居跡(現在は料理旅館「幾松」)。その向かいが佐久間象山と大村益次郎の遭難碑、大村宅はそのすこし北。河原町御池角のホテルオークラが、かつての長州藩邸。

とまぁ、ざっとこんなところでしょうか。なにせ、この界隈は、昼頃になるととても走れる状態ではなくなるので、足早に駆け抜けることにしましょう。
ここから西へ向かって、最後の将軍・徳川慶喜が将軍拝命を受けた二条城を経て、新撰組ゆかりの壬生へ向かいます。
今日はここまで。


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ケイタロー(京都・桃山)


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