メインメニュー
frunデータベース
サイト情報
サイト運営者
ユーザ登録数:1010名
frun談話室
「frun談話室」の利用方法は次のページを参照して下さい。
frun談話室 - 投稿について - 投稿フォームの使い方
※投稿記事の閲覧は誰でも可能です。その点を配慮の上、利用して下さい。

6.大会報告室 : 第3回東京マラソン09/3/22【受付台】

投稿者 トピック
yotchan1957
  • 登録日: 2008-2-23
  • 居住地: 千葉県我孫子市
  • 投稿: 359
Re: 第3回東京マラソン09/3/22【受付台】
りっきさん、受付台の設置ならびにオフ会、ありがとうございました。以下長文ですが、私の東京マラソン完走記を記します。

1.スタート前
天気予報通りどんよりとした曇り空が広がる中、東京マラソンの朝を迎えた。
6:15発の常磐線に乗り、北千住でTXに乗り換え、更に新御徒町で大江戸線に乗り継いで都庁前へ向かった。駅にはランナー専用の出口があり、付き添いの方は入れないようになっていた。その階段を上ると、すぐに会場の入り口があった。
入り口で二回ほどゼッケンを確認され中に入ると、すでに大勢の参加者やボランティアの方々の熱気があふれていた。スタートまでまだだいぶ時間があるので、ボランティアで参加しているりっきさんを訪ねた。 その後、自分の荷物預かりのトラックを確認し、その前に陣取って持参したおにぎりを食べながらしばらく時間をつぶした。

2.スタートから20キロまで
 荷物預かりが混まないうちに荷物を預けて、スタート1時間前にはスタートブロックに入ったが、寒くて待ち時間が辛かった。前方のスクリーンに国歌斉唱が流れると胸がジンと熱くなってきた。やがてスタートの映像が流れるが、私がいたGブロックはなかなか進まない。ようやくスタートを切れたのはおよそ10分後だった。石原都知事に「行ってきます!」と大きな声で挨拶するが、届かなかったようだ。
スタート後は大集団でジョグペースだが、アップもかねているので好都合だった。しばらくは集団のペースについて走ったが、体が温まってきたのを見計らって徐々にペースを上げて行った。
序盤は体も軽く、カメラを持って楽しみながら走っているにも係らず、予定よりかなり速いペース進んでいけた。このときもう少し落としておけば終盤違ったのかもしれないが、やはり沿道の声援や大会自体の雰囲気に呑まれていたのかも知れない。右へ左へと空きスペースを見つけては、前へ前へと進んで行った。  飯田橋、水道橋、一ツ橋と過ぎ、日比谷交差点を右折すると日比谷公園が見えてきた。
10キロのフィニッシュを過ぎたあたりだったろうか、「frunがんばれ!」と大きな声援がしたので振り向くと、声の主はとっちゃんだった。沿道の見ず知らずの方からの応援もうれしいが、やはり知り合いからの応援は格別だ。日比谷通りに入ると、沿道の応援も増え、みんなが一つになってこの東京マラソンを楽しんでいるように思えた。その時、赤いfrunのランシャツが見えたので近づいて行き、ご挨拶をさせていただくと「むぎさん」だった。二言三言言葉を交わし先に行かせて頂いた。
このとき写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。
そうこうしているうちに、もうトップ集団が折り返してきた。カメラを取り出すまもなく第2集団までが過ぎていき、やっとその後の選手をカメラに収める事ができた。とにかく速い!
その後も快調なペースで新橋を過ぎ、芝公園が近づいてくる頃から少し薄日が差してきた。このまま天気が回復してくれるのかなと思ったが、その思いは叶わなかった。右手に東京タワーが大きく迫り、大都会東京のど真ん中を走っているという実感が湧いてくる。
コースが第一京浜に入るとそろそろ15キロ地点、折り返しの品川が近づいてくる。折返し地点で写真を撮り、いま走ってきた道をまた日比谷公園目指して戻っていく。
脚はますます快調になりキロ5分を切るラップまで出てしまった。今から思うと無謀であったが、このときはこのまま行けてしまうのではないかとさえ思えてしまった。

3.20キロから40キロ
20キロあたりから小問題が発生し、空いているトイレを探しながらのランニングになる。ちょうど港区役所を過ぎた辺りの公園で緊急ピットイン。ほとんどロスなく用を済ませてコースに復帰することができた。
二度目の日比谷交差点を右折すると、いよいよ銀座が近づいてくる。銀座四丁目の交差点辺りで家族が応援してくれているらしいので、コースを歩道よりに取る。
沿道の応援はますますにぎやかさを増し、こちらも一段とパワーがアップしてしまった。
残念ながら家族を発見することはできなかったが、応援の方の写真を撮ったり沿道の方とハイタッチを交わしたりしながら銀座通りを北上して行った。
25キロを過ぎてもまだまだいけそうな感じだったが、この頃から空模様が怪しくなり浅草に入る辺りから、とうとう雨が落ちてきた。浅草寺の前に差し掛かる頃には雨足もかなり強くなり、額を伝わって落ちてくる雨に汗が混じり、目がしみて痛い。体も大分ぬれ冷えてきたせいか、おなかがしくしくと痛くなってきた。
29キロ辺りから思うように脚が上がらずがっくりとペースが落ちてしまった。お腹の冷えを和らげるために給水も少し控えることにした。
しかし、こんな雨の中でも、沿道の応援は途切れる事なく、自分もがんばらねばという思いを駆り立ててくれる。
31キロ過ぎにfrunの仲間が応援してくれているはずなので、赤いfrunの旗を探しながら走りつづけた。水滴で視界が悪いサングラス越しに赤いfrunの旗を見つけ、精一杯手を振った。ここでも元気をもらい、いよいよ2度目の銀座4丁目交差点が近づいてきた。
声援は一段と大きくなり、ここではぶざまな走りはできないと、痛い脚にムチを入れなんとか5分半を切るラップを重ねるが、前半の飛ばしすぎの影響は思った以上に大きく、息もだいぶ上がってきた。
4丁目交差点を左折し歌舞伎座の前を通ったが、もうカメラを取り出そうという気力がなく、写真も撮らずにそのまま新大橋通りへと入って行った。

やがてこのコース唯一の難所と言われる佃大橋に差し掛かる。ここからは、冷たい雨と容赦ない向かい風が襲い掛かり、何度も心が折れそうになる。もうラップはキロ5分後半を保つのがやっと、ちょっと気を抜くと6分台に落ちてしまいそうな状態だ。そんな時、「frunがんばれ!」と声援を受け沿道に目をやると、この冷たい雨の中たくさんの方が声を振り絞り応援してくれている。Frunのなみこさんが声援をくれたのも、このあたりだったか。振り向き手を振るのがやっとで、声を返すことができなかった。「苦しいのは自分だけじゃない。」と自分に言い聞かせ、足が出なくなった分、腕を振ることを意識して冷たい風に立ち向かっていった。
沿道の声援に交じりどこからともなく「ロッキー」のテーマが聞こえてきた。「よし、絶対に歩くまい!」と決意を新たに風に向かって行った。ちょうどこの辺りでハリーさんが声援を送ってくれたそうだが、残念ながら気づくことができなかった。

4.40キロからゴール
沿道の声援に支えられ、ようやく迎えた40キロ。あと2キロ、たった2キロだが、この2キロが永遠に続くように長く感じられた。「あ〜、東京マラソンが終わってしまう」という寂しさと、「あと少しで楽になれる」という気持ちが、なんどもなんども交錯しながら、ゆりかもめの高架下を走って行った。
最後のコーナーを曲がると、声援と場内アナウンスの声が入り混じり、遠くにフィニッシュゲートが見えてきた。「あと少し、もうひと踏ん張り、かっこよくゴールしよう。」と思う気持ちとは裏腹に、脚は一向に上がらない。本当は、ラストスパートをして颯爽とゴールする予定が、よれよれになり引きつった笑顔で、やっとの思いで両手を上げてフィニッシュラインを通過した。ゲートを過ぎたところで振り返り「ありがとうございました。」と一礼をして、私の東京マラソンは終わった。

走り終えたいま、主催者の皆様、ボランティアの方々、雨の中沿道で応援をしてくださった方々、陰ながら応援してくれた友人、知人、そして家族、全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。
マラソンは、自分との闘い、孤独なものと思っていましたが、決して自分一人ではないし、自分一人では為し得ないものだということを実感しました。本当にたくさんの方々に励まされ、支えられました。
来年、もし自分が走ることができなかったら、今度は自分がランナーを支える役割を果たそうと思いました。

距離 ラップタイム
5KM 27’33”
10KM 26’52”
15KM 26’32”
20KM 27’04”
25KM 26’56”
30KM 27’55”
35KM 28’23”
40KM 29’20”
Finish 12’37”
NET TIME 3:53’12”
反省:30キロ以降失速してしまった。今後は後半落ちないスタミナと筋力をつけなけらば。


----------------
・・・・・・手賀沼のほとりから・・・・・・
♪ よっちゃん (yotchan1957) ♪


スレッド表示



ログイン
ユーザ名 または e-mail:

パスワード:

ユーザ名とパスワードを記憶

パスワード紛失

新規登録

ホーム -  frunからのお知らせ -  frun談話室 -  frunカレンダー -  当サイトについて -  お問い合わせ
Powered by XOOPS Cube 2.0 ©2005-2006 The XOOPS Project
Theme Designed by OCEAN-NET