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6.大会報告室 : 初完走記念・第38回防府読売マラソン参加記(大会前日編)

投稿者 トピック
はやと丸
  • 登録日: 2007-4-2
  • 居住地: コバトンと同じ埼玉県
  • 投稿: 470
初完走記念・第38回防府読売マラソン参加記(大会当日編)
 はやと丸です。
 こちらは、防府読売マラソン大会当日編です。では、どうぞ!

12月9日(日)

1 心穏やかな朝
 前日はお酒を飲んで酔いがひどかったが、6時にはちゃんと起きることができた。外はまだ真っ暗。ランニングをする気は起きず、目覚ましがてら近くの防府天満宮へ散歩をした。参道沿いのお店はまだ開いておらず、鳥の鳴き声だけが聞こえた。空が徐々に明るくなる一方で、冷たい空気が身にしみてきそうだった。そのうちトイレが近くなり、どこかにトイレがない か気が気でなかった。幸いにも天満宮の入口に公衆トイレがあり、駆け込んで用を足すことができた。あと一歩遅かったらどうなっていたか。
 5回目にして初めて行く防府天満宮。急な石段を上ると本宮はあった。上ってきた方を振り返ると、正面に防府市街地が、東の山から朝日が昇り始めたばかりだった。朝日を見ながら、心が落ち着いていることをはっきり感じた。それは、リラックスした状態であり、レースへの不安はあまり感じなかった。こんな心境で防府読売マラソン当日の朝を迎えるのは初めてだった。
 天満宮からの眺めを心に焼き付け、境内を散策してから、石段を下りた。帰りは参道を通らず、民家が建ち並ぶ裏道を十手ホテルに戻った。ちょっとした散歩ができた。
 朝食はバイキング形式で、多彩なメニューが用意されていた。腹八分目に抑えながらも、食材の数を多く摂るようにした。レースに参加する人も多かったが、作業服を着た人も多かった。泊まり込みか遠方から来て、工事現場に行っているのかなと思った。食後に少しベッドの上でうたた寝をしてから、チェックアウトをした。

2 会場へ
 会場までの道のりは、知人等に会うことはなかった。昨年は北海道の走友とともに防府駅から会場まで行動を共にしたしたことを思うと淋しかった。バスの車窓を見ながらぼーっと過ごしていた。
 10時過ぎには会場の防府市陸上競技場に着いた。受付や物販、新聞社等の白テント、地元テレビ局だけでなく近隣の民放の中継車が数台駐車して、人通りが多く賑やかだった。更衣室はランナーが少なく(早く着いたから?)、大会への緊張感がなかった。とりあえず奥の方に陣取ってほっと一息ついた。

3 スタートまで
 トラックでは、大会の前座にあたる記録会が行われ、中学生が3000mを走っていた。ランシャツランパンで寒そうだが、細い体で一生懸命自分の記録に挑戦していた。
 10時半過ぎには、更衣室の外側でストレッチを始めた。筋肉痛やハムストリングの損傷を避けるため、いつもより長目(といっても10分前後)に行った。記録会が終わり、11時前にフィールド内設置されている風向計に行った。風向計にぶつからないように風向・風速を見たら、北よりの風で、風速3mくらいだった。例年通り25km前後と35km以降は要注意と頭刻み込んだ。
 風向計を見ていたときに、昨日の前夜祭で一瞬だけ会ったほにゃらかさんがやってきた。ほにゃらかさんと一緒に5周くらい走った。話をしながらわかったことは、久々に大会に参加することもあり、完走できるかどうかはわからないとのことだった。また、走り終わったら、ラン仲間と打ち上げ会をするので一緒にどうかと誘われた。レース後の予定は特に決まっていなかったため、この勧めは渡りに船だった。
 ほにゃらかさんは先に準備をするためコースから外れた。その後、福岡のむっちんさんに会ったり、見知らぬランナーに声をかけられたりした(他の大会で会っていたかも)。結局3kmくらい走って体をほぐしていった。走った感じでは、痛み等はなく、ちょうどいい感じだった。この時点では、曇り空で風はそれほど強くなく、レースにはちょうどいい条件だった。
 更衣室に戻るとランナーでごった返し、移動も容易でなかった。着替えをしようと思ったら、白い布バッグがないことに気がついた。レース直前のアクシデントに一瞬焦ったが、とりあえず大会本部に状況を説明。スタートまで30分をきっている。どうか見つかってくれと思いつつ、冷静になって再び探したら、準備運動時に脱いだ服の下に隠れていた。大会本部に見つかったことを報告。これでレース前の不安材料は取り除かれた。ガランとしている更衣室で急いで走る格好に着替えた。迷った末に、赤いユニフォームの下に長袖シャツとハーフタイツ、頭に赤いバンダナ、首にオレンジのバンダナという格好でレースに臨んだ。他のランナー比べると重装備かもしれないが、寒さに弱い身としてはこれでも軽装備だった。
 器具庫前にランナーがおしくら饅頭みたいに固まっていたが、スタート5分前になって、蜂の子を散らすようにスタートラインに移動した。周囲のランナーが足を叩く音や、上空で待機するヘリコプターの音が聞こえた。スタートが近づく中で、リラックスした気持ちを生かしながら、今までやってきたことを信じてレースに臨んでいこうと思った。
 
4 レース展開(計時・通過順位は公式HPから参照)
■スタート〜5km 19:39/226番
 12時2分に号砲が鳴り、レースが始まった。前の方からランナーがばらけ、スタートはスムーズにはいった。まずはオーバーペースにならないように気をつけた。
 トラックを約500m走ってからマラソンゲートをくぐった。マラソンゲートから公道につながるコース沿いには、小旗を振りながら応援する人たちが列をなしていた。自分の周りには、ゼッケンナンバーの近いランナーばかりだった(同じくらいの走力なんだな)。少し気を取られると、レースに飲み込まれそうな雰囲気。落ち着いて、自分のペースを刻んでいくことを意識した。
 県道に出て右折すると間もなく1km地点。腕時計を見たら0表示で時間がわからなかった。そう、スタート時に押し忘れていたのだった。ここから押して、小さなショックから立ち直った。コースはすぐに左折し、今度は防府駅方面に向かって北上。2km地点でのラップを見ると4分強。ペースを抑えて、出だしはよかった。少し走ると35km地点の看板が目に入った。35km関門を無事にクリアできれば思いながら、その看板を通過した。
 そこからすぐ左折し、コースは西へ。1時間前は気になっていた風は弱く吹いていて、レースへの支障はなかった。住宅街にあるためか、ここも沿道の応援が多かった。前方のランナーとの間隔を維持しつつ、後続のランナーに抜かれないように気をつけて走った。5km地点の通過は19分台後半。つくばマラソン(茨城)から2週間空いていたが、1kmを4分以内で走れいていることに心中驚いた。正面にでんと立ちはだかる山は、葉を落としていて土色だった。

■5〜10km 39:29(19:50)/231番(▼5)
 初めの5kmは無事に通過したが、引き続きオーバーペースにならないように気をつけた。コースは左折してすぐに6km地点。ここが最初の給水で、小用をもよおさないように、軽く口をすすぐ程度に水を飲んだ。
 少し南下してすぐに交差点にさしかかり、左折してコースを東に進んだ。片側2車線の広い県道では、ランナーとの間隔が広がって圧迫感がなくなった。体からようやく汗がじわっとにじんできた。後続のランナーに抜かれたが、気にしないようにした。コース右手には浜方地区の有志による竹筒を叩いての応援。竹の音色が耳に心地よかった。
 昨日の下見で確認した1km毎のマーキングを見つけることができ、現在の距離を把握できた。陸上競技場前の交差点を過ぎてしばらくすると、片側車線が2→1車線と再び狭くなった。ここで10km地点が近いことに気がついた。ペースダウンしていなければいいなと思いつつ、10km地点を通過。39分台で、この5kmは20分台で走ったことになる。ペース調整は大丈夫だった。

■10〜15km 59:31(20:02)/234番(▼3)
 空を見ると白い雲が広がっていた。コースの両側は工場群。11km過ぎで緩やかな起伏のある橋を渡った。幸いにも足へのダメージはなく走れた。12kmくらいになると、レース自体軌道に乗ってきた感じで、展開としてはいい方だった。それに合わせて前方のランナーを幾人か追い抜いた。
 ホテルや病院を通過して、防府市の中心地に近づくと、コース右手に竹筒を叩いての応援が聞こえた。浜方地区と違うのは(たしか)子どもが叩いていたことだった。レースに集中しながら、JR山陽本線の高架、ビル、山並みが視界に入った。
 旧国道2号線の県道にぶつかるとコースを左折して西へ。高層ビルの影響でコース上は日影で、いくらか肌寒かった。それでもエイドではスポンジを取って首や足にあてた。15km地点が近いなと思った。
 三差路わきにある防府郵便局を過ぎて、中心地から外れかけたところが15km地点。2年前の大会よりも2分くらい下回ったが、1時間を切るペースで、この5kmもペースを維持できた。

■15〜20km 1:19:41(20:10)/248番(▼14)
 15km地点を通過し、2kmくらい先の植松陸橋が近づくにつれて、昨年の大会でペースダウンしたことを思い出した。ここで再びペースダウンするのではという、不安が頭の中をよぎった。そのとき、わずかな可能性を信じていけば大丈夫と、不安な思いを打ち消すことで、16〜17kmの区間をのりきった。
 やがて植松陸橋を渡り、近くに自衛隊の基地、遠くに工場群や山が視界に入った。ペースの方はほぼ維持できていて、昨年の大会でGOさんやchihikinさん等に抜かれたときと比べると、淡々としたレース運びをしていた。大丈夫、最後まで走れるよという思いが後押ししている。
 18kmすぎで、先頭集団とすれ違った。小高い山が右側にあるために、コース上は日影になっていて肌寒かった。緩やかに左にカーブしながら中間点が近いなと思った。この時点では、関門ぎりぎりで通過する駆け込みランナーはいなかったので、焦ることはなかった。そして20km地点を1時間20分台で通過した。

■20〜25km 1:40:07(20:26)/262番(▼14)
 20kmを過ぎると、すれ違うランナーが多くなり、往路も復路もランナーだらけの状態。最初の関門である22km地点が近くなり、緊張感が出てきた。中間点(ハーフ)は1時間24分台(1:24:07)で、11月中旬に参加した上尾シティマラソン(埼玉)よりも上回っていた。フルマラソンのレースであること、上尾シティから3週間空いていることを考慮しても、ここまで走れるのが不思議であった。
 中関地区は6kmくらいで走っていて、2回目の通過。交差点をそのまま南下し、22km地点の折り返しコーンが大きくなってきた。そして、22km関門は1時間27分半と、関門閉鎖まで2分半を残して通過できた。焦りやダメという思いはその時点でなかった。折り返してすぐ、昨年の関門閉鎖における出来事を思い出した。昨年はレースに臨めなかった悔しさを胸に、2年ぶりの後半戦に入った。
 往路側は22km関門を戦うランナーがペースを上げて走っていた。その集団が固まっていて、ここが通過できるかできないかの分かれ目だった。その後には収容バスがランナーの速度に合わせてゆっくり走っていた。バスの後はランナーが収容されたようで、道はガランとしていた。
 レース前に気にかけた横風は多少吹く程度で、レースには影響がなかった。そのおかげで、ペースを維持することができた。自衛隊の基地を右手に見ながら走っていたときに、下見で1km毎の目安となる建築物が頭の中に浮かんだ。実際は見ることはできず、レースに集中していた。
 折り返し後は、ランナーの間隔がまばらになった。自分は前のランナーから離れないように気をつけた。25km地点の通過は1時間40分台。関門の1時間42分ぎりぎりで通過と思っていたので、ここまで行けるとは思っていなかった。

■25〜30km 2:01:44(21:37)/259番(△3)
 25km地点の目標物である緑色の屋根をした家を、航空基地側にあるのを確認。その先には防府市街地が広がっていた。左手にそびえる山から離れて行くにつれて、西風が強く吹きつけるようになった。レース前に気をつけることが的中した。油断するとペースが落ちそうだった。その時、完走する可能性を信じること、あきらめないでレースを進めることを思い直した。
 26km地点の給水所では水を摂った。昨年は入船選手(弟)のスペシャルドリンクを飲んだことを思い出しながら植松陸橋を渡った。陸橋を渡るとき、正面に岩肌をあらわにした山並みを見た。地元ではあまり見かけない光景だったので、珍しきもありドキッとした。
 旧国道2号線交差点で右折して、コースは東に進んだ。まっすぐな道で先を行くランナーが見通せた。一時は不安になったペースはほぼ維持していた。この辺りから、歩いているランナーやペースが落ちたランナーを追い抜いた。前半ハイペースで入ったツケがここに来たのだろうか。自分は今のペースでゴールに向かって行くのみ。28km付近で、昨日電車で一緒だったXZTに追い抜かれた。抜かれるときにXZTさんが無言で顔を振り向いた。
 沿道にある自動車販売店は、仕事ができないのか、店頭に出て応援していた。近所の住民からは「頑張れ!」、「あきらめるな!」等、後押ししてくれるような応援が途切れることなく続いた。この人たちの意にこたえていきたい。この辺りでは1km毎のマーキング位置を思い出すことができた。
 三差路が近づくあたりでは、この先ペースダウンして走れなくなる不安がよぎった。そこで、まだ大丈夫というようにポジティブ(積極的)な方に持っていくように切り替えた。三差路を右に曲がり、30km地点が近くなったときに、昨年の大会でGOさんが収容されたことを思い出した。そして、収容バスを横目に見ながら30km地点を2時間1分台で通過した。ここまでやはり調子が良い。

■30〜35km 2:24:30(22:46)/264番(▼5)
 30km地点では、3分以上の貯金を残せた。でも、ここからの5kmは自分にとって賭けにあたる区間だった。JRの高架をくぐり、駅南通りを走っているときから、足に疲れが出始めた。防府サティ前を走っているときに、FRUNのけんあんさんや、神戸の女性ランナーYさんに抜かれた。この時点でペースが落ちていることを自覚したが、この人たちについて行くつもりで走り続けようと思った。
 コースを右折し、陸上競技場方面に南下。走るランナーとともに歩いているランナーもいて、これがレースの厳しい現実だと思った。マーキングを見ながら1km毎を確実に通過はしているものの、35km地点の関門時間である2時間25分は気になった。腕時計は怖くて見なかった(見たら気が焦りそうだったから)。ランナーは数m間隔で、その光景はサバイバルレースみたいだった。 
 33kmくらいで三田尻大橋を渡ると、歩いているランナーを発見。このランナーを見て35km関門で終わりそうな気がした。その様子を見て、関門につかまるなら、走らないよりも走った方が後悔はしないと思った。そして、重くなりつつある足を前に進めながら、35km関門を通過したいと思った。34km地点にさしかかる前に、陸上競技場の方から打ち上げ花火の音が聞こえた。先頭ランナーがゴールしたのだろう。その時は操業停止でひっそりした工場と、白い煙を立ち上げる清掃センターの前を通過していた。
 コースを右折するときにはいちかばちの状態。そんなときに左側の歩道を競技場に向かって歩く、駒沢公園JCのIさんを見かけた。声はかけられなかったが、途中棄権したようで、予期せぬ展開だった。やがて35km地点の計時が見えた。見えたときは2時間24分になったばかりで、距離から見てなんとか通過できそうだった。関門閉鎖1分前のコールも聞こえた。
35km地点は2時間24分半で、2年ぶりに35kmの関門を通過することができた。走り続けて良かったと改めて思った。

■35〜40km 2:49:50(25:20)/252番(△12)
 35km以降のレースは初めてだった。まさしく未知の世界で、どんな光景が待っているのだろう。ここで歩いたら、ゴールはできないと思い、寒さでがちがちになっている足を動かした。1kmを5分で走れば、ゴールする可能性はあった。
 沿道の応援は途切れることがなく、こういう光景が待っていたんだと、逆に新鮮な気持ちだった。2年前に沿道で応援し、その後競技場まで駆けつけたおじさんはいなかった。でも、どこかで応援しているのかもしれない。36km地点の給水所では、取った水を足にかけた。反対車線は交通規制が解除されたのか、車が走行していた。
 コースの行く手には向かい風がそこそこの強さで吹いていて、寒さが体にしみた。足は思うように動かなかったし、正面に見える山になかなか近づいていかなかった。序盤はあっという間に過ぎた次の1kmが遠く感じた。そのような状況で、初完走が手に届くかもしれないという、わずかな望みを持っていたことが、走りの原動力になっていた。
 38km地点にさしかかり、コースを左折。長く浴びた向かい風から開放されて、多少は楽になった。給水を取りながら、昨年と状況こそ違うものの、神様はそばにいるなと思った。すぐにコースを左折し、片側2車線の広い県道に出た。約4km走ればゴールに近づく。でも、今はそれどころではなかった。とにかくゴールしたい一心で走っていた。右側にブリヂストンの工場を見て、上尾にも同じ会社の工場があったことを思い出した。あとは遠くに工場の煙突が見えただけで、視野が狭くなっていた。それだけ、無我夢中だったのかもしれない。
 先を行くランナーも足取りが重かったけど、やはりゴールに向かって走っていた。このランナーを見て、自分も走ろうと気を奮い立たせた。少しして後続のランナーに抜かれたときに、「ゴールを目指して頑張ろう!」と励まされた。見ず知らずのランナーだったが、暖かなひとことに嬉しかった。40kmは2時間50分をきって通過。ここで2時間50分の関門閉鎖があると思いハラハラしたが、目の前に役員はいなかった。後で関門閉鎖がないことがわかり、いい意味で勘違いをした。

■40km〜ゴール 3:01:06(11:16)/254番(▼2)
 白バイのエンジン音が後から聞こえて、レースは続けられることに気がついた。走れる喜びを感じながら、2回目の浜方太鼓を聴いた。撤収前であったが、この太鼓演奏を2回聴いたのは初めてだった。太鼓演奏のポイントからすぐ先にある最後の給水所では、水を取って口に含ませた。ゴールまでもうすぐだったが、意識はもうろう状態だった。ゴールの可能性を信じて一歩ずつ走り続けた。バックネットの奥に陸上競技場を見たときには、既にレースを終えて駐車場等に向かって歩いているランナーを見かけた。この時点では競技場には入れるかどうか気になった。
 最後の交差点を右折して、競技場の入口に近づいた。どちらのルートになるかドキドキしたが、初めてマラソンゲートにつながるコースを通った。ゲートまでの沿道は応援する人が途切れることがなかった。マラソンゲートの近くで「関門閉鎖1分前」のカウントダウンを聞き、目の前のマラソンゲートが開いていた。ゲートの関門3時間をクリアできたことがわかり、この時点で初完走が確定した。
 泣かないでゴールしようと思ったが、無意識のうちに涙が出た。トラックを走りながら、足かけ4年で夢にまで見た完走が現実になることをしっかりかみしめた。特に今年は、思うように結果が出せなくて、防府読売マラソン自体危うかったこと思うと奇跡だった。最後の力を振り絞りながら決勝点に目を向けた。スタンドからの拍手を聞きながら最終コーナーを回るとき、ほにゃらかさんから、「はやと丸、初完走おめでとう!」とはっきり聞こえる声でエールを送られた。そして最後のストレートを100mあまり走って、両腕を高く上げてゴール。計時は3時間1分強。これだけ厳しい関門を初めてクリアし、なんちゃって完走から卒業した瞬間であった。

5 ゴールしてから
 ゴール直後は、涙が止まらぬまま気が抜けたようにひざまづいた。役員からバスタオルをかけてもらい、やっと立ち上がってコースから外れた。スタンドわきのゲート(なんちゃって完走時のゴールゲート)わきで、スタッフから温かい缶コーヒーを受け取った。コーヒーを受け取るとき、「5回目で初めて完走できました」とスタッフに言った。体が冷えた状態だったので、温かい飲み物はいいタイミングで手にできた。
 缶コーヒーを飲んでいるとき、防府市長が駆け寄ってきて、「ゴールの瞬間を見た。初めての完走、本当におめでとう!」と言われた。前夜祭で少し話し、最後の方のゴールにかかわらず、直接声をかけられたのが信じられなかった。後日、防府市長から、このような声がけをしていただいたことは、一市民ランナーとしてありがたいことだと思った。ゲートの付近はランナーや大会関係者などが行き来していて、なんちゃって完走の時とは対照的な光景だった。
 更衣室に戻って、ロッカーに保管したカメラを取り出し、マラソンゲートで通りがかりの人に記念写真を撮ってもらった。ポーズはもちろんガッツポーズだった。撮ってもらった人は、福岡・筑紫野市(二日市温泉)から来たとのことで、以前旅行で二日市温泉に行ったことを話した。完走できた嬉しさが、話しするテンポの良さから我ながら感じた。撮影後、ゴール付近を歩いていたら、時間外完走したJR西日本所属のランナーを見て、「よく頑張ったね!」とランナーに聞こえない程度の声でささやいた。その光景を見て、昨年までの自分と重なり、このランナーは記録は残らなくても多分納得のいくゴールをしたんだろうと思った。後には2,3人ゴールラインを目指して走っていた。
 表彰式が終わるのを見計らって、今度は横断幕をバックにして写真を撮った。1コマ撮った後に、防府市長がスタンド側から歩いてきて、一緒に写真を撮りませんかと声をかけられた。そして、一緒に記念撮影。撮った人が防府市職員だったのか、撮った写真を防府市に送ってほしいと言われた。最初は何のことだろうと思ったが、何かに使うのだろう。何はともあれ、この1コマは初完走の記念になった。
 トラックの方を振り返ると、雲の切れ間から沈みつつある太陽が顔をのぞかせていて、完走を祝っているようだった。再び更衣室に戻るとガランとしていて、自分の荷物だけが目立っていた。シャワーをさっと浴び、着替えをすませて、更衣室を後にした。マラソンゲートも片づけが進んでいて、恒例の葉ボタンの株配布をやっていた。防府駅に向かうバスに乗る人は少gなく、こちらもガランとしていた。

6 JR移動のひととき
 バスにゆられて約10分で防府駅に到着した。駅構内に入ると、ほにゃらかさんとその走友を発見。準備運動前に打ち上げ会を行うことを思い出し、行動を共にすることにした。乗車までに時間があったので、すぐそばのサティで山口県産品(ふりかけなど)を買った。買い物をするときの心も浮き立っていた。駅へ戻るとき、駒沢公園JCのIさんと会った。途中棄権したのは練習不足が原因とのこと。トップランナーの実績がある分、どう声をかけたらいいかわからなかった。しかし、ねぎらいの言葉をかけられただけで良かった。乗車時間が近づき、ホームに上ると、ランナーとともに家路に急ぐ人などで混雑していた。
 電車に乗り込むと、スピードを上げて動き出した。コース沿いをあっという間に過ぎていくのを見ながら、ほんの2,3時間前まで走ったレースを振り返った。夕日は地平線に沈み、空は夕暮れから夜のとばりをおろし始めた。そして20分くらいで新山口駅に到着した。

7 打ち上げ会
 新山口駅に到着し、駅北口からすぐそばにある居酒屋に行った。ここはほにゃらかさんのHPに書き込みをしている仲間が毎年打ち上げ会に使っている店であった。ほとんどの人は初対面のグループで少々不安があった(前日のバスで一緒だった人もいた)。店内に入ったら、まこてぃんさんは新聞に載せるための原稿を書いていた。これは、まこてぃんさんが奈良県から参加したランナーでいちばん速くゴールできたからだった。
 10人近く集まり、まずはよく冷えたビールで乾杯した。初めの一口を飲んで、これが本当の勝利の美酒なんだとおいしさを実感。走った人たちの結果を聞くと、2時間40〜50分台で完走した人がほとんどで、強者揃いだった。自分だけ3時間台で肩身が少々狭かったが、一緒にいたランナーからは温かい拍手をいただいた。結果報告を終えて雑談をしていると、チーム走り屋に所属している人が自身を知っていた。別のメンバーで知っている人がいたが、自分の気がつかないところで知っている人がいたのは意外だった。今後どこかの大会で会えるかもしれない。
 帰りの便に乗るため、30分くらいで宴席を退くことになった。これからというところなので残念。大半の人は新幹線で帰り、車内でも宴会をするとのこと。感動の余韻はどこまでも続くのか。
 
8 帰路
 18時過ぎに新山口北口から空港行きのバスに乗った。東京から来たTさん夫婦も一緒だった。走歴は浅いが、通勤ランで練習を重ね、短期間でトップランナーの域に達した。今回の完走で別府大分毎日マラソンの参加資格を得たとのこと。また、旅行も好きでNZには毎年行っているそうで、温暖で治安のいいNZに行ってみたい身としては羨ましい。初対面だったが、ランと旅の話であっという間の移動だった。ちなみに車内は新山口駅南口で補助席を使うくらいに混雑し、始発から乗って正解だった。
 山口宇部空港に到着し、搭乗手続きをしようとしたら乗る便は少し遅れることがわかった。2階のクリスマスツリーの前で、Tさん夫婦と別れ、売店でまた山口県産品を購入。そして珍しく、早めに荷物検査を受けて待合室へ。
 搭乗した便は19時半過ぎに出発した。少し離れたところに、前夜祭で隣に座っていたニッポンランナーズ所属のランナーがいた。彼は無事にゴールできたのだろうか。点々とした灯りを下に見ながら、物事をやり遂げたという安心感に満たされていた。防府市長から来年もぜひ参加してほしい旨の言葉を思い返し、来年のことはわからないけど、日程が合えば参加したいと思った。
 そして、初完走という心に残るお土産を胸に、日付が変わる前に無事に家路に着くことができた。

9 余談
 大会の翌日に、職場に防府市から電話があり、昨日撮った写真を送ってほしいとのこと。これは市広報に掲載するためであった。趣旨の説明を受けて承諾。記録証が届いた15日頃に写真を送って、どんな風に掲載されるのか期待と不安があった。
 そして、年が明けて1月18日ごろに、防府市から1月15日号の市広報が送られた。中を見ると市長メモのところで、自身のことが書かれ、写真も掲載されていた。このようなことは一生に一度あるかないかのことだったので、防府市長はじめ市の厚意に感謝感謝!これも初完走の忘れられない思い出になった。

 2008.6.3 はやと丸@今年は12月第3日曜開催決定

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