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--「frun22周年記念飲み会」のお知らせ
(本文)
タイトル:「frun22周年記念飲み会」【ランの部】事前学習@
投稿者:ケイタロー
日付:2018-09-15 14:44
内容:
『大坂・上町台地を走る!』〜真田丸から天王寺七坂を巡って〜
今回の「22周年記念ラン」は大阪の上町台地を走ることにしました。
ところで上町台地って?
大阪の方には「釈迦に説法」ですが、遠く愛知から来られる方もいるし・・・せっかく走るので、事前学習をお届けすることにしました。といっても僕は専門家ではないので、受け売りと、あちこちからのカット&ペースト+妄想だということをご了解ください。
■上町台地
まずは、上町台地について。
遠い昔、はるか5000年ほど前、大阪の町はほとんど海でした。
そこに住吉大社から大阪城まで、長さ約9km、幅約2kmにわたって半島のように海に突き出していたのが「上町台地」です。標高は10〜25m前後、結構高低差があります。北の端から見渡すと、小さな島がいくつも浮かんでいました。(たぶん)
台地の上には縄文時代から人々が住んでいたことが、「森ノ宮遺跡」の発掘でわかっています。今回「森ノ宮人」に会いに行きます。(詳細は後述)貝塚からは、マガキやセタシジミ、フグやクロダイなどの骨も見つかっています。(僕もフグは大好きです)
当時は台地の東側も河内湾という海だったので、食糧調達には絶好の環境だったんでしょうね。
台地の上から毎日海を眺めて・・・のんびり暮らしていました。(たぶん)
古墳時代から古代にかけても、台地は海や川に囲まれていて、西側には砂浜や干潟が広がっていました。
難波津(なにわつ)には中国や朝鮮半島からさまざまな文化がもたらされ、壮大な難波宮が造営され、大阪は日本の中心として繁栄しました。
戦国時代、今の大阪城の場所には「石山本願寺」がありました。
織田信長との「石山合戦」の舞台となり、最強の信長軍団が11年間も僧侶や信徒たち相手に手こずったのも、三方を海や川や湿地帯に囲まれた難攻不落の場所だったからです。
本願寺の跡に豊臣秀吉は「大坂城」を築きますが、大坂の陣で焼失してしまい、その上に、江戸幕府は今の大阪城を建て、西国支配の拠点としました。
その後も大阪は「天下の台所」として発展し・・・今日に至ります。
さて、今回は、「上町台地」を天王寺まで走り、大阪の歴史の一端に触れてみたいと思います。
では、大阪城の南、森ノ宮からスタートします。(つづく)

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